長崎

金田城①(長崎県対馬市)|今なお大陸に睨みを利かせる石塁の城 古代編

山城ACTレベル:上級 ★★★
山城Wレベル:W5 ★★★★★

この山城の魅力|3つのポイント

① 体験価値(ウェルネス)
旧日本軍の車道を軸に、歩きやすい区間と要所の立ち止まりが交互に出ます。海の見え方が変わり、歩行リズムが整いやすい構成です。

② 遺構の固有要素
高さ2m以上の石塁が連続し、城戸(門)まわりの密度が強いです。崩落や散在も含めて「土木量」がそのまま見どころになります。

③ 景観・地形の固有性
黒瀬湾の眺望と、城壁が尾根をなぞる線形が一体で見えます。内海の風と波紋が視界に入り、場所の輪郭がはっきり残ります。

アクセス・駐車場

駐車:駐車スペース(3台程度)
登城:陸軍が作った車道、登山道あり
所要:全体を見て回る場合は4時間(目安)
※天候の影響を受けるため、雨後や強風時は無理をしない前提で組むのが安全です。

現地レポート

金田城の登城口付近(駐車スペースと案内周辺の様子)

前日まで、嵐のような天気。昼まで待機していざ、登城。駐車場は、狭く車三台で無理かも。簡単なパンフレットがあります。

旧日本軍が作った車道(登城の歩行路)

この道は、旧日本軍が作った車道で、ハイキングにもってこいですね。

山城Q
山城Q

え??何で旧日本軍なのか??

↓↓↓気になった方は、その2に進むこともあり!

金田城②(長崎県対馬市)|日本を守るためにのみ存在する石塁の城 近代編 | 山城って楽しい 
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黒瀬湾を望みながら続く車道(登城路の眺め)

黒瀬湾を見渡しながら、進みます。

歩きやすい旧日本軍の車道(路面と周辺の様子)

道は歩きやすくて丁度いい。旧日本軍の仕事は、いつも丁寧です。実は前日は、ものすごい嵐で本日は登城できるか心配でしが、宿の女将いわく「大丈夫」とのことでした。まさに。

眺望

黒瀬湾の眺望(内海の色と波紋が見える景色)

エメラルドグリーンの黒瀬湾!!素晴らしい景色。風の波紋が見えて内海ならでは。

南門~東南角石塁のインパクト

南門〜東南角石塁へ向かう道中(案内が見える地点)
金田城の現地看板(城域と見どころを示す案内図)
現地看板

なんか、看板が見えてきましたよ。

金田城の石塁(近づいて見えてくる石積み)
金田城の石塁(連続する石積みと崩落の迫力)
山城Q
山城Q

!!!

「これか~~!!!」なんという土木量。なんという崩れ方。

金田城の石塁(石積みの高さと量感が分かる箇所)
金田城の石塁(自然石を積んだ野面積みの様子)

南門から東南角石塁に近づくにつれ、石塁が「高さ」ではなく「連続」として見えてきます。

角部は突出し、崩落部は流れ落ちた石の分布まで含めて線形が追えるため、見学が地点では終わりません。

ここで一度、歩行が止まり、以後は「進む→止まる→確かめる」が繰り返される状態。

東南角石塁

東南角石塁(突出部の石積みが分かる地点)

この東南角石塁は、別名「雉・雉城」と言われている出っ張りで、「雉」とは「鳥のきじ」の意味ですが、岡山県の鬼ノ城にもあります。朝鮮築城術の一つとなっており、見張り台なのでしょう。

山城Q
山城Q

雉城(チジョウ・チソン) 中国では馬面(バメン)

東南角石塁の周辺(石塁の線形が見える位置)

その「東南角石塁」の端は、崩れている。どべーーーーーと。

東南角石塁の崩落部(石が流れ落ちた様子)
東南角石塁の崩落部(崩れた石の散在が分かる箇所)

国の存亡の危機、国家プロジェクトとなると、ここまでになるのか。凄すぎる。なんとも興奮が収まらず、写真を撮るだけでも手元がおぼつかないながらも、

進行方向を示す矢印と登城路(案内標示)

矢印に従い進む。

城域内の歩行路(矢印に沿って進む区間)

三ノ城戸

金田城の現地看板(城戸位置を示す案内図)
現地看板

三ノ城戸へ。城戸とは、城郭の出入り口の名称のこと

三ノ城戸(石積みが残る虎口)

残ってる。残ってる。

この城戸は、左右で作りが違うのがわかります。右側は、野面でがっちり組まれているものの、左側は大きく崩れさっております。

三ノ城戸(左右の積み方の違いが分かる石積み)

門跡柱の跡がありますが、流水の影響かひっちゃめっちゃか。この散在具合がタマラナイなあ

三ノ城戸(門跡周辺の石の散在)
三ノ城戸(門跡付近の石積みと崩れの様子)

実は、この三ノ城戸の西側は後世の修繕が行われている可能性があるとのこと。

根拠としては、目地がなく、算木積みではなかったり、谷積みがみられること。逆に東側は当時のものの可能性があるらしい。(北垣聡一郎氏見解)

三ノ城戸(下段に大石を据えた石積み)

下の方は、割と大きな岩を配置し、上は、多少小さい。下の岩が大きいとすごーーーーく威圧感があります。狭い空間なので尚更です。

三ノ城戸(最下層の水抜き穴がある石積み)

最下層には、穴が開いていてかろうじて今でも水が流れている。

二ノ城戸 復元石塁

二ノ城戸(復元石塁の全体)
二ノ城戸(復元された石塁の近景)

場所は変わって二ノ城戸は、かなり修復されている様子

二ノ城戸(復元石塁の石材のサイズ感)
二ノ城戸(修復区間の石塁と周辺の様子)
二ノ城戸(復元石塁の連続部)

どこまで修復されているのか。全体なのかは分かりづらいです。岩石も割と小さいかな

二ノ城戸から先へ続くルート(石塁沿いの移動)

そのまま横へ移動します。ずっと、石塁が横を走ります。

石塁が横に連続する区間(歩行路と石積み)

お!なんか、見えてきました。

一ノ城戸

一ノ城戸(虎口の石積みが見える位置)

そして、一ノ城戸へ。

一ノ城戸(門まわりの石積みの様子)

じーーー

と見ていて、面白いことに二つほど気が付きました。

真四角に加工された石(築石の形状が分かる写真)

こんな真四角の築石はあんまり他では見ません。

積み方に特徴がある石積み(違和感のある積層)

なにやら、積み方が独特です。何か、違和感を覚えます。

上段と下段で積み方が異なる石積み(層の違い)

上と下とでは、積み方が違う。

上は、泥岩による布積み
下は、石英斑岩による野面乱積み

修復されたのか、監督者が変わったのか、、、ちょっと何かおかしい。

そこで、古代山城研究会機関紙「溝婁 第4号」を読んでみると、次のような見解がされておりました。

一の城戸は、突出部だが「望楼」ではなく虎口を守る「横矢掛かり的」な設備

大吉戸神社の裏側にもう一か所の突出部があり、下部は野面積み、上部は切石加工
船着き場の護岸にも同様の切石が使われている

金田城の縄張り模式図(船着き場からの上陸を意識した配置)

つまりこのような感じであり、明らかに船着場からの上陸を意識した縄張りとなります。

一の城戸は、建築当初はなかったが、廃城後に船着き場の移動に伴って、城山のメインの入り口になった。つまり、下部遺構も含めて、この二つの突出部は、新規遺構の可能性が大きい。

ということでした。

三の城戸(虎口の石積み)
三の城戸

一の城戸と三の城戸を含め、金田城は全体にかなりの修繕が入っている可能性が大きいとのこと。

城域内の石塁・石積み(修繕痕を考える手がかりになる箇所)

なぜ大規模修繕されたのか

では、なぜ修繕されたのか、ということですが、

・1861年(文久元年) ロシア軍艦「ポサドニック号」事件

・1798年(寛政元年) 対馬藩 海辺御備覚

などの外部の影響があったのではないかと考えられております。特に「ポサドニック号」事件は、ほっとけばたいへんなことになったロシアの横暴です。

参考文献:
古代山城研究会機関紙「溝婁 第4号」
半田山地理考古 第11号 古代山城の石垣 乗岡実氏

古代編は以上。次の近代編では、もうめちゃくちゃな事態に。。。↓↓↓

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  山城ACTレベルと山城Wレベル

山城ACTレベル:上級 ★★★
山城Wレベル:W3 ★★★

ACT理由(約3行)
行程が長く、全体を見ると4時間規模の周回になります。
石塁・城戸など要所で足場や段差が出て、集中の維持が必要です。
天候の影響も受けやすく、同じ道でも条件で難度が変わります。

W理由(約3行)
眺望(黒瀬湾)と石塁の量感が、体感を一段押し上げます。
崩れ・散在・修繕痕など、「残り方」そのものが強く引っかかります。
要所で立ち止まらされ、見ている時間が自然に伸びるタイプです。

主なルート
駐車スペース → 旧日本軍の車道 → 南門周辺 → 東南角石塁 → 三ノ城戸 → 二ノ城戸(復元石塁) → 一ノ城戸(周辺観察)

累積標高差と所要時間
累積標高差:未計測
所要時間:4時間(全て見ると)

この城の概要

金田城(かなたのき/かねだじょう)は、長崎県対馬市美津島町黒瀬の城山(標高276m)に築かれた飛鳥時代の古代山城(朝鮮式山城)で、国指定特別史跡です。

天智天皇6年(667年)に白村江の戦い敗北後の唐・新羅侵攻に備え、大和朝廷が防人により築城した国防最前線の要塞で、『日本書紀』にも記録されています。

総延長約2.2kmの石塁・城戸・水門などの遺構が極めて良好に残り、日露戦争期に旧日本陸軍が築いた近代砲台跡も並存する稀有な城跡です。

現在は「続日本100名城」に選定され、登山道が整備されており、山頂からの眺望と歴史の重層性を楽しめる人気の史跡となっています。

周辺観光・温泉(地域共鳴)

温泉:上対馬温泉 渚の湯(対馬市上対馬町)
登城後に身体をほどく用途で使いやすい立ち寄り先です。

観光地:万関橋(万関瀬戸)
対馬の地形と近代の痕跡が、短時間で見えるスポットです。

グルメ:対州そば
対馬の定番で、移動日の食事としても組み込みやすいです。

まとめ

金田城は、眺望と石塁の量感が同時に立ち上がる古代山城です。歩きやすい車道区間で進み、城戸と石塁の要所で確実に足が止まります。全体を見る場合は時間に余裕を取り、天候条件で無理をしない前提で組むのが合います。

免責

本記事は、現地での観察メモをもとに整理し、筆者なりの解釈を加えた記録です。史実の正確性を保証するものではありません。また、整備状況・所要時間・交通手段・施設情報等は変更される可能性がありますので、訪問の際は必ず最新情報をご確認ください。

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