長崎

原城(長崎県南島原市)|沈黙☆山城ウェルネス×阿蘇NO.4火砕流

山城ACTレベル:中級 ★★☆
山城Wレベル:W3 ★★★

原城跡全体の様子

この山城の魅力|3つのポイント

体験価値(ウェルネス)
静けさと海風に包まれた原城跡を歩くと、足元のシラスや荒々しい地形が自然と「心をいまに戻す」時間をつくります。
城を歩く行為そのものが、歴史と自然に気持ちをゆっくり溶かす“瞑想的ハイク”になります。

遺構の固有性
石垣・虎口・土塁は近世城郭の顔をもちつつ、宗教戦争の舞台としての痕跡が各所に残り、遺構の一つひとつに緊張感があります。「城+信仰+戦い」という重層的な意味を背負う遺構は、全国でも原城ならではの独自性です。

景観・地形の固有性
阿蘇火砕流が生んだシラス台地の縁に築かれ、海へ落ちる段丘崖がそのまま天然の最終防衛線となる特異な構造です。ジオ(地形)・近世城郭・宗教戦争の三層が一体になった景観は、原城以外では体験できません。

現地レポート|ルートと見どころ

原城跡入口付近の様子

なかなか訪れる機会がないが、島原にある超有名な廃城といえば、この「原城」。島原の乱の舞台として、あまりにも有名です。

実のところ、登城するまでは「重税に苦しんだ農民3万人が一揆を起こし、4か月間籠城した」という程度のイメージしか持っていなかった。だから、勝手に「古い砦を改修しただけの小さな城」くらいに考えておりました。

三国志で言えば、敗走の果てに関羽が立て籠もったあの「麦城」みたいなものだろう、と。まさに廃城。ところが、実際に現地に立ってみて驚いたのでした。

本丸大手門付近

本丸大手門付近の石垣
原城跡の空堀の様子
空堀
山城Q
山城Q

イメージが覆りました

大手付近の石垣のクローズアップ

この場所は、大手の手前になります。大きな岩石によって石垣が作られています。本格的です。ちなみに、この石垣の作り方が謎です。奥と手前は明らかに作り方が違う。積み直した??

石垣と通路の様子
本丸大手門周辺の景観

ま~城割具合が凄いですね。土の高さまであったはずです。

削られた土塁跡の様子

本丸大手門の内側

山城Q
山城Q

ここがみどころですよ

本丸大手門内側の枡形空間

この大手門のところは、しかっかりとした枡形が形成されています。城門の楚石もあるので、だいたい想像ができますね。

主郭手前の門跡と石垣

主郭手前の門。ここにも折れがあります。この辺りでは、これほどの仕組みは珍しいのではないでしょうか。原城は、どうしてこうも本格的な近世城郭なんでしょうか。

本丸を覆う石垣群

本丸を取り囲む石垣
本丸石垣の別アングル

城割後の石垣がまとめられている

城割で崩された石材の集積
石材が並べられた区画

至るところに、城壁の岩が並べられています。城割の残骸なのでしょう。これらは、その後の発掘調査などで出土したものなのでしょう。

いろんな石垣の組み方

石垣の積み方の違いが分かる部分
谷積みが見られる石垣

谷積みもあります。後世の改変でしょうか。ちょっと分かりません。

原城跡内の石垣と斜面

この城の概要

原城は、肥前国南島原のシラス台地上に築かれた近世城郭で、キリシタン大名・有馬氏の拠点を経て、江戸初期には「島原の乱」の舞台となったことで知られています。

廃城後は徹底した城割を受けましたが、現在も本丸・二ノ丸・空堀・石垣・城門跡などの構造が確認され、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されています。

出典・参照元:現地説明板、南島原市公式資料、文化財指定関連資料、世界文化遺産関連公的情報 など

山城ACTレベルと山城Wレベル

山城ACTレベル:中級 ★★☆
駐車場から主郭までは片道20分前後の緩やかな登りが続き、城域全体を歩くとおおよそ2時間ほどの行程になります。シラス斜面や段差では足元への注意が必要ですが、長時間の急登は少なく、「散策以上・本格登山未満」という負荷感です。中高年でもペース配分を意識すれば無理なく歩けることから、山城ACTレベルは中級(★★☆)としました。

山城Wレベル:W3 ★★★
島原の乱の舞台となった歴史的背景と、シラス台地の静かな地形が重なり合い、歩くほどに場の空気がじわじわと濃くなっていきます。枡形や石垣、城割後に集められた石材をたどる時間そのものが、祈りや歴史に静かに向き合うきっかけになります。体力以上に心への余韻が大きく残る構成であることから、山城WレベルはW3(★★★)としました。

主なルート

  • 駐車場 → 本丸大手門付近 → 本丸・二ノ丸周辺を周回

累積標高差と所要時間
累積標高差:シラス台地上の小規模なアップダウン程度/所要時間:約2時間(城域全体を写真を撮りながら一周するイメージ)

地形・地質のポイント

阿蘇NO.4火砕流はここまでやってきた

山城Q
山城Q

ここがみどころですよ

原城跡の斜面と海の景色

原城跡は、島原半島世界ジオパークにも含まれております。どのような地質なのかと申しますと

原城周辺の地質図
引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日) より山城渡りQが加筆・修正したものである (スマホで拡大可能)

原城が築かれている場所は、島原半島の中でも極めて特徴的な地質帯に属します。地質図ではピンク色で示されていますが、これは 火砕流堆積物(シラス台地) が広く分布する区画です。

通常、島原半島は火山性の山地や段丘が多い地域であり、平坦なシラス台地の上に主要城郭が築かれている例は多くありません。

このシラス台地を形成した火砕流は、島原ではなく阿蘇火山に由来します。具体的には、九州一帯に巨大な火砕流を広げた 阿蘇 No.4 火砕流(約9万年前) の堆積物が、原城周辺の地形の基盤となっています。

島原の城郭でありながら、地形のルーツは阿蘇にあるという点が、原城の立地特性を理解するうえで重要なポイントです。

阿蘇4火砕流堆積物の分布図
引用例:星住英夫・宝田晋治・宮縁育夫・宮城磯治・山崎 雅・金田泰明・下司信夫 (2023) 阿蘇カルデラ阿蘇 4 火砕流堆積物分布図.大規模火砕流分布図, no. 3. 産総研地質調査総合センター. を山城Qが追記

そのインパクトは大きいです。「島原大変肥後迷惑」の逆パターンですね。

火砕流堆積物と別の地層の境目

実際の境目が、ここに当たります。

原城跡周辺の崖の様子

かつての砂浜と「天草四郎・海渡り」の背景

江戸時代の記録によると、原城周辺の海岸には広い砂浜が存在していたとされ、古地図にもその様子が描かれています。現在は水位の変化により砂浜はほぼ消失していますが、かつては干満差によって砂洲が現れる地形でした。

古地図に描かれた原城周辺の海岸 天草四郎

天草四郎の「海を歩いた」という伝承についても、この地形が関係していると考えられています。

春先から初夏にかけて、潮の条件が整うと砂洲が一時的に浮かび上がり、人が歩けるほどの浅瀬が出現することがあります。この現象が、後世に「海を渡った」と語られた可能性が指摘されています。

アクセス・駐車場

  • 駐車場:原城跡周辺に来訪者用駐車場あり(城域内は駐車不可・送迎バス運行ありのため、現地最新情報を要確認)。
  • アクセス:南島原市深江町・有家町方面から車でアプローチし、案内板に従って原城跡へ。公共交通利用の場合は、島原鉄道沿線の駅・バス停から路線バス等を乗り継ぐ形になります。
  • トイレ:駐車場付近や見学者向け施設に整備されている場合があります。

※交通ダイヤ・送迎バスの運行状況は、必ず南島原市や観光協会などの最新情報をご確認ください。

周辺観光・温泉(地域共鳴)

周辺温泉

原城温泉 真砂(ナトリウム‐炭酸水素塩泉)
原城跡から車で約5〜10分と最も近い日帰り温泉。泉質は ナトリウム−炭酸水素塩泉(いわゆる「美人の湯」系)で、湯ざわりがやわらかく、一般的には肌の清浄作用や筋肉疲労の緩和に適するとされています。露天風呂から有明海を見渡すロケーションが特徴で、城歩きのあとに静かに体を整えるのに向いた環境です。

周辺で立ち寄りたい歴史スポット

有馬キリシタン遺産記念館
原城跡と同じく、「島原・天草一帯のキリシタン史」を理解するうえで欠かせない資料館。

島原の乱に至るまでの社会・宗教的背景や、有馬氏・小西氏・旧勢力との関係などを整理したうえで原城跡を歩くと、城郭遺構の見え方が大きく変わります。事前に訪れることを強くお勧めします。

まとめ

原城は「島原の乱の舞台」という一点だけでは捉えきれない、近世城郭の構造と、シラス台地という特異な地質が重なる城郭です。現地で枡形や石垣、城割後に集められた石材、シラス崖と海岸線を順に見ながら歩くと、

  • 有馬氏・小西氏・旧勢力が交錯した領国史
  • キリシタン史と島原の乱がもつ歴史的負荷
  • 阿蘇火砕流が形づくった地形のスケール

といった要素が、静かなウォーキングの中で立ち上がってきます。

体力度としては初級〜中級で歩けますが、歴史・地形の情報量が多く、心へのインパクトは非常に大きい場所です。事前に「有馬キリシタン遺産記念館」などで背景を整理してから訪ねると、「山城ウェルネス」としての体験がより深まります。

キリシタン関連城郭記事

日野江城(有馬氏)と宇土城(小西氏)は、島原半島と天草・宇土という“キリシタン領国の両端”をなす拠点です。

有馬は「住民とともに信仰へ向かったタイプ」
小西は「貿易と政治をテコに領国をデザインしたタイプ」

日野江城を歩いたあとに宇土城や天草を訪ねると、九州西部のキリシタン史が、一気に立体的に見えてきます。

免責

本記事は個人的な体験・調査に基づくものであり、効果や歴史を断定するものではありません。訪問時には、必ず最新の交通情報・立入規制・施設情報をご確認ください。

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