山城ACTレベル:初級 ★☆☆
山城Wレベル:W1 ★☆☆
この山城の魅力|3つのポイント

① 体験価値(ウェルネス)
石垣と天守、城下町と武家屋敷をゆっくり歩ける平城さんぽコースです。
折れの多い石垣や鏡石、キリシタン墓碑に目を向けながら歩くうちに、足腰への負担が少ないまま自然と「歴史に集中する時間」に切り替わっていきます。
② 遺構の固有性
石高に見合わないほど過剰な高石垣、禁じ手とされる「立て積み」、層塔型天守の復元など、権威演出の強い城郭です。城内のキリシタン墓碑や「カマボコ石」など、島原・天草の宗教史を感じる要素も随所に見られます。
③ 景観・地形の固有性
有明海を望む微高地に築かれ、石垣越しに海と城下町を見下ろすと、海上交通と島原街道を押さえる要衝だったことが伝わってきます。武家屋敷の石垣や水路も含めて歩くことで、「城+城下」の一体的な歴史景観を体感できるのが魅力です。
現地レポート
見応えがある塔タイプ


「塔タイプ」は、すっきりしてて、特に青空に良く映えます。斜めの角度が特に良いですね。

大名の石高に見合わない異常な折れの数


この異常な折れの数には、絶句。しかも高石垣だし。石高の割にやり過ぎ感強い。よほど、権威を住民に見せつける必要があったのでしょう。圧制や重税もあったでしょうから、これじゃ「島原の乱」が起こっても仕方がない!?

ご法度な石垣の積み方「立て積み」

鏡石の角のこの石垣。これは、かなり強烈ですね。本来、石の立て積みはご法度とされています。
理由は良く分かりませんが。それが、こうも堂々と。ドンと置かれています。

他の場所でも、やはり立て積み!
鏡石

その隣は、本城最大の「鏡石」
大きいですね。また、この「笑い積み」の積み方は面白い!
このキリシタン墓碑って

島原城の松倉氏は、徹底した切支丹弾圧で知られる大名です。その城内に、なぜキリシタン墓碑が静かに置かれているのか?この“違和感”はどう見ても強烈です。
教育委員会の説明を読んでも、どうも釈然としないところがあります。

しかし、このカマボコの形をどっかでみたことがあります。そう、それは大分県の岡城の

「カマボコ石」
岡城(竹田)は、領主・中川氏を含め、
領内に多数のキリシタンが存在した地域として知られています。
そのため、石材加工や墓碑の形状にも“独自の宗教文化”が滲む場所です。
この島原城の墓碑にも、竹田・岡城周辺と共通した“石の文化”が残っているように感じます。
松倉氏の政策とは真逆の宗教的モチーフが、後世にこうして城内で保護されている。現在に通じる歴史のねじれを考えると、非常に興味深い存在です。
この城の概要
島原城は、江戸時代初期に松倉重政が築いた層塔型天守をもつ近世城郭で、雲仙岳の麓から有明海へと開ける要衝を押さえるための拠点でした。
現在の天守は昭和39年に再建されたもので、日本100名城(No.91)にも選ばれ、島原・天草一帯のキリシタン史や島原・天草一揆の歴史を伝える博物館として整備されています。
出典:島原市公式観光情報、島原城現地解説板、日本城郭協会資料などを参照しました。
山城ACTレベルと山城Wレベル
山城ACTレベル
天守・石垣・武家屋敷をつなぐ行程はおおむね平坦で、石段の昇り降りが中心です。距離は1.5〜2.0km前後ながら高低差は小さく、街歩き感覚でゆっくり周回できます。足腰への負荷が少なく、城歩きビギナーや中高年でも安心して楽しめることから、山城ACTレベルは初級(★☆☆)としました。
山城Wレベル
高石垣や鏡石、キリシタン墓碑、武家屋敷の石垣などに目を向けながら歩くことで、「日常の延長の中で歴史に浸る時間」が生まれます。ただし行程は短く地形変化も穏やかで、山上の山城のような大きな気分の切り替わりや没入感までは生まれにくい構成です。気分転換や気晴らしには十分ながら、W2・W3ほどの深い没入には届かないため、山城WレベルはW1(★☆☆)としています。
主なルート
・島原城天守周辺 → 高石垣と鏡石 → キリシタン墓碑 → 武家屋敷街を周回
累積標高差と所要時間
累積標高差:±50m未満のゆるやかなアップダウン/所要時間:約1時間(城内と城下を写真を撮りながら散策するペース)
地形の特徴
有明海に面した微高地の段丘上に高石垣と堀を巡らせた平城で、城内からそのまま城下町や武家屋敷へ歩き出せる「城と町が一体化した構造」が特徴です。
周辺観光・温泉(地域共鳴)
温泉
ホテル南風楼(島原市)
島原城から最もアクセスしやすい海沿いの温泉宿で、宿泊者以外でも日帰り入浴が可能な貴重な施設です。露天風呂は有明海に面しており、海風を感じながら湯に浸かる開放的な空間が魅力です。
泉質: 単純温泉(無色透明で肌あたりが優しい泉質。疲労回復・リラックス目的の「やわらかい湯」として親しまれています)
特徴:
・海が目の前に広がる露天風呂
・大浴場+サウナ完備
・タオル付きの日帰りプランがある日もあり、手ぶらで立ち寄りやすい
・島原城から車で約3〜5分
城歩き後のクールダウンにぴったりで、平城散策や城下町歩きの後、自然と呼吸がゆるむ時間をつくってくれます。
雲仙温泉(雲仙市)
ちょっと多いですが、島原城から車で約40〜50分、雲仙岳の中腹に広がる温泉地は外せません。白い湯けむりが立ち上る地獄エリアのすぐそばに旅館や日帰り入浴施設が点在し、中高年世代でも落ち着いてくつろげる昔ながらの温泉街の雰囲気があります。
泉質は酸性・含硫黄泉系の湯で、一般的に神経痛・筋肉痛・慢性皮膚病・冷え性などに対する適応症が挙げられています(温泉法に基づく一般的な案内であり、効果効能を保証するものではありません)。酸性・含硫黄系といえば

山形の蔵王温泉!
雲仙温泉と蔵王温泉の泉質はどう違うのか
雲仙温泉は pH1.8前後の強酸性泉で、硫酸イオンを中心とした成分構成が特徴です。乳白色の湯は角質を落とす「酸性ピーリング」効果が強く、肌にピリッとした刺激を感じながらも、湯ざわりは比較的やわらかいタイプです。
一方、蔵王温泉(山形)は pH1.5前後とさらに強い酸性で、日本でも屈指の刺激の強さをもつ温泉として知られています。硫黄・硫酸・アルミニウムの比率が高く、白濁〜青白色の湯は雲仙よりも「ピリッ」が一段深いと感じる人が多い泉質です。
どちらも強酸性の名湯ですが、
やわらかい強酸性=雲仙
刺激の鋭い強酸性=蔵王
という印象の違いがあります。
観光:武家屋敷のたたずまい
一方、城下には、武家屋敷が残ります。
なんとも風情があって良いです。


亀甲積みではないですか

こちらは、布積みもあります。
グルメ:島原そうめんと秘話
城下の食事処では、手延べ「島原そうめん」や、根菜・餅・かまぼこなど具だくさんの「具雑煮」といった郷土料理を味わえます。
特に、島原そうめんの起源については、江戸時代に小豆島の素麺職人がこの地に技法を伝えたという伝承が残っています。
島原そうめんの背景|小豆島からの移住
島原の乱(1637〜38)ののち、島原半島は壮年男性を中心に人口が激減し、耕作や生活維持が困難なほどの過疎状態になりました。このため幕府は復興政策として、九州周辺だけでなく讃岐国(小豆島を含む)からも移住者を募る政策を実施しました。
香川県立図書館に収蔵されている、徳山久夫氏の研究「島原移住について ― 小豆島から島原へ」では、小豆島を含む讃岐国から島原への移住が史料に基づいて確認されており、島原の乱後の人口再生に重要な役割を果たしたことが示されています。
この移住の過程で、小豆島側が持っていた手延べ素麺の製法が島原へ伝わったと考えられています。島原半島特有の冬の寒風や水質が手延べ製法と相性が良かったこともあり、こうして現在の「島原そうめん」の基盤が育っていきました。
※なお、素麺製法が誰によってどのように持ち込まれたかを直接示す一次史料は確認されていませんが、移住政策と地域伝承・気候条件を踏まえると、その可能性が高いと考えられています。
アクセス・駐車場
・自動車 島原外港から約10分、長崎自動車道「諫早IC」から国道251号経由で約1時間〜1時間20分です。城周辺には来訪者向け駐車場が整備されており、天守までは徒歩数分でアクセスできます。
・公共交通機関 島原鉄道「島原駅」から徒歩約10分。駅前から城郭の高石垣と天守が見えるため、街歩きを楽しみながらアプローチできます。
まとめ
島原城は、高石垣と層塔型天守、そして武家屋敷街を一体で歩ける平城です。折れの多い石垣や立て積み、キリシタン墓碑などが、山城とは違う「静かな揺さぶり」を与えてくれます。
島原の乱後、この町は大きく荒廃しましたが、幕府の復興政策で讃岐国(小豆島を含む)から移住者が加わり、生活と文化が再び形づくられていきました。手延べ素麺の技法が根づいたのも、この再生の流れの中にあります。
歴史が重なる城下をゆっくり歩くと、思考が自然と落ち着いていく——島原城は、そんな“平城ウェルネス”を感じられる場所です。町歩きや雲仙温泉と組み合わせると、「歩く・味わう・癒やす」のリズムが心地よく続きます。










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