基本情報
瀬戸内海芸予諸島の一つで、かつて「小島」と共に「芸予要塞」の一角をなし、太平洋戦争前後には「地図から消された島」「毒ガスの島」とも言われました。海峡のど真ん中という絶好の立地に要塞が存在する。
しかし、現在では、一転して「平和の島」「うさぎの島」と知られています。また、その時その時に、トレンドを積極的に取り入れており、「休暇村大久野島」「毒ガス資料館」や「大久野島ビジターセンター」が運営されています。
戦争遺跡 毒ガス ウサギ 温泉 キャンプ
まさに、あらゆる世代の老若男女の「観光ニーズ」に対応する。思うに
仕掛け人は「超」敏腕!
かつての観光客は10万人程度だったらしいですが、現在では外国人観光客も含め年間35万人もが訪れる一大観光地なのです。一度、来てみたかったわけです。
リピーター率は全体の4割を占める。来島目的は,ウサギとのふれあい93%,自然散策31
大久野島における観光対象の変遷と観光行動 富 川 久美子 (広島修道大学)
%,戦争遺跡の見学30%,観光(宿泊,温泉を含む)20%となっている。したがって,現在の大久野島における主な観光対象は,ウサギ・自然・戦争遺跡・休暇村である。
島嶼研究 第 23 巻 1 号 The Journal of Island Studies, Vol. 23 No. 1
この論文からもわかる通り、ほとんどの来島客の目的は、「ウサギ」とのふれあい。
そして、休暇村大久野島HPを拝見しても、全面的に女性・子供連れ家族をターゲットとしており、「負」の部分は、さらっと流す感じ
そこが絶妙!
なんですよ。すごく上手いです。全面的に明るい単なる観光地よりも、ちょっと影がある(ちょっとどころか、これ以上ない負の歴史)を抱えながら、「一大観光地」として昇華している。芸能人「タモリ」の口癖ではないですが、何でも「際」が面白い。管理人としても上陸直後は、
ウサギが群れで向かってくる!
と、「ウサギ軍団」の執拗な接近に戸惑っていましたが、全島を一周した帰り間際では、
ウサギ軍団とすっかりお友達
超絶人懐っこい。もうメロメロで完落ちです。(しかし、触るのはNGです)
いざ出航~
忠海港 フェリーターミナル 乗船切符販売所で切符を買いいざ、乗船。
子供連れ家族が多い
のでした。管理人のような「完装登山者」風乗船者は皆無。というかここでは場違いに近い。仕方がないですよ。なんせ「毒ガスの島」「地図から消された島」なんですから。過酷な散策が待っているに違いないと考えてました。
さ、いよいよ上陸です。
ほとんどの乗船客は、西にある「休暇村大久野島」や「大久野島ビジターセンター」方面を目指して、歩いて行きますが、管理人だけ東側へ。(天邪鬼ではなく、綿密な訪問計画のためです。)
芸予要塞時代の桟橋
海がめちゃめちゃ綺麗です。「紀伊水道の友ケ島」もそうでしたが。
なにやらトンネルがあります。ちょっと潜ってみましょう。
発電所跡
なるほど、「ふ号作戦」の風船は、ここで作られていたのですか。
「ふ号作戦」とは
1944年末から日本軍が行った風船爆弾攻撃の作戦名のことで、最高の秘密兵器。アメリカ本土強襲を目的にした九二式15㎏対人用爆弾と、12㎏焼夷弾を吊るした風船爆弾を利用し、偏西風に乗せることで、所要時間30~100時間、時速200㎞でアメリカ本土への到達を実現。爆弾を投下するものであった。
戦時中、生産総数1万個、うち飛び立った物6千個。成果は、「アメリカのモンタナ州で巨大な気球残骸発見、大規模山火事発生、500人の死者が出た。その後も北米大陸のかなりの場所で原因不明の山火事発生」との様子であった。これを大本営陸軍部は「新兵器フ号」として発表したのでした。
海水タンク跡
他もそうですが、海沿いにあるわけではなく、中腹に存在します。しかも、割と強引に。理由があるのでしょう。
南部砲台跡
至るところにウサギがいます。彼らは、草むらからいきなり来るので、慣れてないとちょっとビビる。山城だと、それは大体「猪」ですから。
ここの棲息掩蔽部(せいそくえんぺいぶ)は、半地下と防御が徹底されている場所が多い。残念ながら、枯葉に埋もれて中は分からない。たぶん、ウサギ軍団の寝床じゃないでしょうか。となると史上最強の寝床。
ちょっと顔が黒いウサギ。そうここは
管理人と二匹のウサギのみ
の世界。しかも、この二匹。仲が良いというわけではなく、どっちかというと、この黒顔の方が強い。もう一匹を追いかけまわす。仲良くしてくださいよ。
むむむ、ガレキで封鎖されているから、進入は難しいですねえ。
砲台上部の塹壕跡
何気に、要塞跡は何カ所か訪問していますが、この本格的な塹壕を見たのは初めてかもしれません。これはスゴイ。綺麗に残っています。しかし、惜しい。この枯葉さえなかったら、中を移動できるのですが。内部から海側を見てみたい。
要塞でよく見る施設跡
たぶん、トイレ跡。
幹部用防空壕跡
地下に降りられますが、ここも枯葉が邪魔。滑り落ちることもあるので要注意。
自動交換機室跡
南部照明所跡へ
ちょっと広場から木の階段を登り歩きます。と言っても5分程度ですけど。そして、ここの雰囲気は、「うさぎの島」ではなく、「要塞」の雰囲気があります。この無理矢理道を作りましたというのが要塞のわがままなんですよね。
お、この場所は見覚えがあります。下の「芸予要塞 小島」の照明所と比べても全く同じ造り。喰い違い小窓の配置も同じ。やはり同時期に造られただけあります。
こっちは、芸予要塞 小島の照明所跡。
研究所跡
宿泊施設として使われていた。。これは、、、、怖い。。。
ちょっと嫌ですね。
猛毒イペリット
の保管10トンタンクが二つ備えられていたとのこと。別名「マスタード‐ガス」。微量でもこれにふれると、皮膚・粘膜・内臓にただれをおこすらしい。なんか、『インディ・ジョーンズ/若き日の大冒険』の何話目かで見た記憶があります。なんか黄色のガスがモワッとしていたような。
真剣に猛毒「イペリット」のタンク跡を見ている最中でも、
足もとに集結。
ここに、皮膚がただれるびらん性ガス「イペリット」があったんですね。分子式 (C2H4Cl)2S 第一次大戦でドイツ軍がベルギーのイープル付近で用いたところから名づけられた「イペリット」。きちんと保管されていたのでしょうか。ちょっと漏れたりとかしたと思います。恐ろしい。
ウサギ軍団がウサギ軍団が!「戦争の悲惨さ」「毒ガスの怖さ」に触れている時でも、お構いなし。
ちょっと待て、そもそもウサギってこんなに人懐っこかったですか。どっちかというとサッと逃げていく。そして適当に距離を置いて、また振り向いて、プイとまた逃げていくパターンじゃないですか。
もはや愛犬?
そう、管理人はこの時点で気がついていました。もうウサギ軍団に抵抗がなくなっているということに。とにかく、餌をくれると思ってか、寄ってくる寄ってくる。ここは、そう!「ラビットパラダイス」。(抱っこNGです。)
そんなウサギ軍団の攻撃をかわし、一路山頂へ進む。
中部砲台跡
入口の謎のレンガ跡。これは何に使ったのか??
お~なかなかスゴイ棲息掩蔽部(せいそくえんぺいぶ)。6連。そして、このレンガは「ロシア産」ということ。ということは、小島のレンガも「ロシア産」なんでしょうか。てっきり、ドイツかオランダと思っていましたが。
内部の漆喰も綺麗に残っています。中で連結されており、行き来することができます。
この塀の高さ。これを越えて飛んでいく大砲となると、「榴弾砲」になるのでしょうか。ここで、「榴弾砲」と「加農砲」の違いを確認
榴弾砲:同口径のカノン砲(加農砲・カノン・加農)に比べて砲口直径(口径)に対する砲身長(口径長)が短く、低初速・短射程であるが軽量でコンパクト、高仰角の射撃を主用する長い射程と高い精度のため現在でも砲兵の主力
加農砲(カノン砲):キャノン砲とも呼ばれる。現代の定義は同口径の榴弾砲に比べて砲口直径(口径)に対する砲身長(口径長)が長く、高初速・長射程であるが重量とサイズは大きく、やや低仰角の射撃を主用する 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
そこで疑問が
何気なく、この凹みを見てみる。これは、どこの砲台に行っていも必ずあります。単なる装飾かと思っていました。
特に、この内部の「半円ヘコミ」は手の凝った装飾だと思っていました。しかし、上部に何やら金具があることに気がついたのでした。
これは、もしかして、、、
扉か蓋を固定する金具なのでは?ということは、これは何かの倉庫??ってことは、このサイズ。半円状の形となると
砲弾や薬きょうの保管室!?
だと考えたのでした。「湿度」もあるので、長期に置いていたかはわかりませんが、なんかそんな気がしました。
隅の小部屋にて
うわ~真っ暗でした。しかし、上部からかすかに光が差している。そこで、管理人の「OLYMPUS OM-D E-M5 Mark III」+大三元「M.ZUIKO DIGITAL ED 12-40mm F2.8 PRO」の実力とやらを見せてもらおうじゃないか。
ここまで映る!?フラッシュなし。手振れ全くなし。驚くべき性能です。
管理人が「OLYMPUS OM-D E-M5 Mark III」にした根拠としては、この「手振れ防止機能」も一つあります。山城にしても、これら要塞にしても、薄暗い場所が多い。そこで、手振れに強いカメラを選んだのです。
また、この大三元「M.ZUIKO DIGITAL ED 12-40mm F2.8 PRO」も、F2.8の割に、十分に明るくしっとりとした写真を撮ってくれる。小さくても非常に優秀です。「OMシステム」ブランド、最高。
北部砲台跡
ここには、元もは「24㎝加農砲(カノン砲)」が備えられていた様子。この塀の高さなら納得。やっぱり中部砲台は「榴弾砲」かな。しかし、「毒ガス時代」には、毒ガスタンクが置かれていたとのこと。
こっちは、「12㎝速射加農砲(カノン砲)」。ちょっと小ぶりですが、それでも立派な大砲です。
君たちも立派な要塞だと思いますよね!?_
ここの棲息掩蔽部(せいそくえんぺいぶ)もちょっと特殊。コンクリート部分が分厚い。これも、芸予要塞「小島」にあります。幹部の避難所なんでしょうか。
長浦毒ガス貯蔵庫跡
戦争遺構としても、巨大な方だと思います。毒ガス貯蔵庫を火炎放射器で焼却処分した跡って、、、めちゃくちゃ。飛散する気もしますが。そのせいで黒く焦げているようです。
ウサギ軍団ともお別れ
全島一周して、いよいよウサギ軍団ともお別れの時が来ました。もはや、何も言いません。好きにして下さい。
飛び掛かって、遊びに来ます。何度も言いますが、これはウサギです。
止めろ。止めろ。
と言いながらも、ちょっと嬉しくなってきてます。
しかし、このウサギ軍団の最終目的は「餌」ということを忘れてはいけません。隙あらば、狙ってきます。コンビニ袋の認識はたぶんあります。カサカサする物音とか。それは「進化」というものではないでしょうか(おにぎり、与えておりません。管理人が美味しく頂きました。)
ウサギ軍団よ。私は必ず帰ってくる!
“I will return.”
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