基本情報
※令和6年(2024年)能登半島地震の影響により調度丸跡以降は当面の間立ち入り禁止
形態:山城
史跡指定:国指定史跡
標高:305m
城の整備:駐車場 登城道
所要時間:3時間(麓から登ったため)
訪問日:2011年7月
登城ルート
いよいよ城内へ
いきなり現れるし!石段と石垣
特徴的な岩石です。丸い。河原から拾い上げたような岩石
何段にも積み上げられている。すごい!
この積み上げ方は、当時の技術の限界を攻めている。そのために、何段にもなったのでしょう。これは、岩村城の有名な「六段石垣」と似ています。
調度丸 有名な写真ポイント
多くのメディアで紹介されるのはこの角度ですよね。
この岩は、見た感じいろいろ混じっている気がする
タイプが違う三段石垣~本丸へ
看板が豊富で迷うことはありません。
そうしますと、全く傾向が違う三段石垣が現れます。これは、前田家時代に造られたということです。
本丸からの眺望
七尾湾!絶景
ここの碑は、南向きに立っているために、どうしても写真では逆光になる。いつも画像が暗いです
本丸の土塁と石垣
ここは逃してはいけません
本丸土塁かと思いきや
実は石垣なのです。ここは当時のモノでしょう。これは普通は気が付かない。
遊佐屋敷と桜の馬場に降り、二の丸へ
この縄張り図を見てみると、良く分かることがあります。それは、
城主と家臣の立場は対等
ということです。
この七尾城は、室町時代から続く古いタイプの巨大山城となりますが、古いのは城だけではなく、城主と家臣の関係も織田家のような縦の関係ではなく、盟主としての城主の存在があります。
そのため、家老屋敷が城主と近い位置にあるのです。
この盟主と、立場が平等というのは、観音寺城でも見ることができます。現在では、会社は完全な縦関係ではありますが、この時代はそうではなかったということが分かります。
温井屋敷から二の丸へ行く
鏡石の九尺石
これは、巨大です。枡形虎口とされる場所にあります。
※この後に災害があり、辺りは再整備がされております。ですので、この画像は以前のモノです
最大堀切 二の丸~安寧寺まで
二の丸に急な階段が付けられており、降りると
城内最大規模の堀切にたどり着きます。ここは凄い。
三の丸
安寧寺跡の戦没者慰霊碑
七尾攻城戦の戦没者などを祭った慰霊碑があります。
気付き
この城の魅力は、一回ではお伝えできません。この城はいわゆる「織豊系城郭」のように技巧的に考えられ、いかに攻めづらいかを追求した山城ではありません。
この城が持つ歴史・規模・眺めから醸し出される
王者の風格
を持った「The 山城」だと考えています。雰囲気は、観音寺城や春日山城に近く
ゆっくり散策できます。
日本五大山城のひとつ
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