基本情報
形態:山城
史跡指定:国指定史跡
標高:780 m
城の整備:登城道
所要時間:約6時間(甲府駅からタクシー→要害山城~徒歩~躑躅ヶ崎館跡)
訪問日:2011年4月
躑躅ヶ崎館跡まで歩く
興奮収まらない要害山城をいったん下山。ここは下り坂だと気が付いたので、ウォーキングを兼ねてさらに躑躅ヶ崎館跡まで向かうことにしました。すると、いろいろ見どころが
さて、下ります
お聖道さま
このようなものがありました。普通は、車だと気が付きません。ウォーキングならではの発見です。
西日本人は珍しい 富士山
要害山の時もそうでしたが、ちょこちょこ富士山が顔を覗かせます。地元の方にとっては当たり前でしょうけど、県外人にとっては、見ごたえのある風景
なぜ、富士山はこうも「ありがたい」のでしょうか
お屋形様の散歩道
また、ちょこちょこ富士山が顔を覗かせる!
館ではなく城
大手門は東側にあった
現地の案内ではこのような配置です。武田神社へ目貫の参道が階段付きで走っています。見た感じは、小じんまりしたシンプルな作りです。
あ~あるある。この階段はよく見ます。必ずと言っても良いほど、マスコミで紹介されています、
武田氏時代の縄張り
武田氏時代は、やっぱりシンプルですね。がしかし、
現場に行けば、何か必ず発見がある(MOTTO)
縄張り図を良く観察
この館は単なる「館」では無かったのです。恐ろしい防御システムに守られた「鉄壁の平城」でした。
パンフレットを見ると驚愕の事実。まず、この階段は後世の「後付け」だったのです。当時、階段など無かった。
これがパンフレットに掲載されている本来の姿。大手門は、主郭部の東側にあったのです。
梅翁曲輪の恐ろしさ
えぐい!!!
曲輪自体が巨大な馬出しである「梅翁曲輪」。武田氏滅亡後に造営されたと書かれていますが、なんという大きさ。これは、仮に両サイドから侵入出来たとしても、
安全な隣の「西曲輪」と「主郭曲輪」から攻撃を受けます。さらに、仮に梅翁曲輪を抜けれたとしても、
西曲輪の内枡方門
深い空堀もあり、一気に城の雰囲気。
西曲輪の南入口 土塁が高く、確かに土塁枡方になっている。
さらにこの北部内枡方門を抜けて、北部の「味噌曲輪」に向かったとしても、
味噌を守るための曲輪
この正面から鉄砲射撃を受けるだけ。味噌を守るためにこのような曲輪を造るとか。
しかも、さらに東側には内枡方門。。。やっぱり味噌や塩分は大事だったのでしょうか。
この曲輪群があることで、この「館」という名を借りた立派な「平城」へと変貌していたのでした。
「風林火山」と「昆」の軍旗!!!
絶対に見た方が良いですよ
まさか、ホンモノを見られるなんて。これが、あの有名な
武田信玄の「風林火山」
上杉謙信の「毘」
掲げて走ってみたい!
信玄公の御使用井戸
気付き
結局、要害山城登城から躑躅ヶ崎館跡までの合計散策時間は、6時間ぐらいかかりました。
季節にも恵まれとても楽しかったです。要害山城は、ゴリゴリの山城で「絶対に落城させない」という武田方の意気込みがビンビン伝わってきました。
逆に躑躅ヶ崎館跡は、武田家時代は、本当に「館」だったのかもしれません。しかし、滅亡後の徳川期にかなり近世城郭化されたようで、完全な「平城」でした。
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