山梨

【山梨県】岩殿山城 低山ハイクにもってこい 巨岩鏡岩

基本情報

 形態:山城
 標高:634m
 城の整備:駐車場
 所要時間:片道30分
 訪問日:2013年4月

駐車場 アクセス

武田家滅亡に深く関与した岩殿山城

山城Q
山城Q

大岩の鏡岩はインパクトが大きすぎます

どうもこの城は、鏡岩の上にちょこっとあるわけではなく

引用元:国土地理院ウェブサイト(当該ページ)を当ブログ管理者Qさんが加筆修正したものである(スマホで拡大可能) 

その奥に本体があるようです。鏡岩を観ながら、登ることになりますね

地質から考察してみる

引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日) より山城渡りQが加筆・修正したものである (スマホで拡大可能)

ではなぜ、このような大岩となって礫が露出したのかというと話は複雑。

つまり、

出典:山 梨 県 大 月 市 岩殿 山総合学術調査報告書 岩殿山の総合研究 1998 山梨県大月市教育委員会 P162より抜粋

世界で最も複雑な地形の場所の一つ。1500万年前後にずっと南方において海底火山によって形作られた

出典:山 梨 県 大 月 市 岩殿 山総合学術調査報告書 岩殿山の総合研究 1998 山梨県大月市教育委員会 P162より抜粋

「丹沢島」という島が次第に北上し、結果的に、古い日本列島の関東山地との間に厚い礫岩層を形成。
その後、関東山地と丹沢島がぶつかり合いプレートの流れに乗って隆起。その後、出来たのが「岩殿山」だということだそうです。

特に岩殿山は、中腹から山頂部にかけて、今から500万 ~600万年前に浅海に堆積した円い礫と、小さな石英粒の多い砂 とからなる「岩殿山礫岩層」から構成されているとのこと(かなり簡単に説明しています。)

参考文献:
山 梨 県 大 月 市 岩殿 山総合学術調査報告書 岩殿山の総合研究 1998 山梨県大月市教育委員会

山城Q
山城Q

説明が難しいので、簡単に

城域に入る

登城道は、道路の途中にありますので、その場に車の停車も厳しいです。手前の駐車場から10分程度、
歩くことになります。

山城Q
山城Q

それにしても、高い
これは、士気を削ぎます

丸山公園

大岩 鏡岩を見上げながら

鏡岩を観ながら、登城道を進みます。

気が付けば、かなり上まで上がってきました

眺望

この辺りから、一気に雰囲気が変わりいよいよ内部って感じです。高いですね~。

この岩肌を見ると、遠くからだと、ツルツルした感じに見えましたが、これは「礫岩」です。

鉄壁の守り「揚城戸岩」

山城Q
山城Q

ここは、見どころですよ

揚城戸跡
出典:山 梨 県 大 月 市 岩殿 山総合学術調査報告書 岩殿山の総合研究 1998 山梨県大月市教育委員会 P17より抜粋、加筆

この「揚城戸岩」は、天然の扉ですね。ここを塞がられると、城への侵入は難しい。「揚げる」とあるので、上に跳ね上がるタイプの城門だったのでしょうか。

出典:山 梨 県 大 月 市 岩殿 山総合学術調査報告書 岩殿山の総合研究 1998 山梨県大月市教育委員会 P17より抜粋、加筆

その裏には、番所といくつもの小曲輪があり、防備を固めています。また、ここを抜けたとしても細い尾根道を進まされるので、正面の三の丸から攻撃にさらされます。

山城Q
山城Q

これは、難攻不落

三の丸 乃木大将の碑

揚城戸岩の難所を抜けると、三の丸へ。ここには、乃木希典大将の碑があります

乃木希典(のぎ まれすけ)は、日本の陸軍軍人。日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、明治天皇を慕い、あとを追って殉死したことでも知られる。最終階級は陸軍大将。栄典は贈正二位勲一等功一級伯爵。明治天皇より第10代学習院長に任じられ、迪宮裕仁親王の教育係も務めた。~Wikipedia~

山城Q
山城Q

昔の将軍は、ホント、山城が大好きですね

確か、あの東郷平八郎も「山梨県の要害山城」「佐賀の名護屋城」に登り、碑を残しています。

東郷平八郎(とうごう へいはちろう)日本の海軍軍人。最終階級は元帥海軍大将。各地の東郷神社に名を残す。位階は従一位、勲位は大勲位、功級は功一級、爵位は侯爵。 日清戦争では「浪速」艦長として高陞号事件に対処。~Wikipedia~

馬場

馬場らしい馬場です。下からの風景とは打って変わり、広い!

二つの井戸

井戸も二つあったりします。かなり大規模です。地盤が岩石の一枚岩などでしたら、水も十分確保できたでしょう。

倉屋敷跡

眺望

・武田家滅亡に関与した山城で低山ハイクにピッタリ
・圧倒される大岩・鏡岩

少し足を伸ばして、「景徳院」

山城Q
山城Q

ここで武田家は滅亡したのですね

近くに、武田勝頼一族終焉の地があります。特に、この岩!「生害石」というそうで、この上で自刃したとのこと勝頼と奥方と息子の信勝、それぞれの石があります。合掌

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