基本情報
形態:山城
標高:634m
城の整備:駐車場
所要時間:片道30分
訪問日:2013年4月
駐車場 アクセス
武田家滅亡に深く関与した岩殿山城
大岩の鏡岩はインパクトが大きすぎます
どうもこの城は、鏡岩の上にちょこっとあるわけではなく
その奥に本体があるようです。鏡岩を観ながら、登ることになりますね
地質から考察してみる
ではなぜ、このような大岩となって礫が露出したのかというと話は複雑。
つまり、
世界で最も複雑な地形の場所の一つ。1500万年前後にずっと南方において海底火山によって形作られた
「丹沢島」という島が次第に北上し、結果的に、古い日本列島の関東山地との間に厚い礫岩層を形成。
その後、関東山地と丹沢島がぶつかり合いプレートの流れに乗って隆起。その後、出来たのが「岩殿山」だということだそうです。
特に岩殿山は、中腹から山頂部にかけて、今から500万 ~600万年前に浅海に堆積した円い礫と、小さな石英粒の多い砂 とからなる「岩殿山礫岩層」から構成されているとのこと(かなり簡単に説明しています。)
参考文献:
山 梨 県 大 月 市 岩殿 山総合学術調査報告書 岩殿山の総合研究 1998 山梨県大月市教育委員会
説明が難しいので、簡単に
城域に入る
登城道は、道路の途中にありますので、その場に車の停車も厳しいです。手前の駐車場から10分程度、
歩くことになります。
それにしても、高い
これは、士気を削ぎます
丸山公園
大岩 鏡岩を見上げながら
鏡岩を観ながら、登城道を進みます。
気が付けば、かなり上まで上がってきました
眺望
この辺りから、一気に雰囲気が変わりいよいよ内部って感じです。高いですね~。
この岩肌を見ると、遠くからだと、ツルツルした感じに見えましたが、これは「礫岩」です。
鉄壁の守り「揚城戸岩」
ここは、見どころですよ
この「揚城戸岩」は、天然の扉ですね。ここを塞がられると、城への侵入は難しい。「揚げる」とあるので、上に跳ね上がるタイプの城門だったのでしょうか。
その裏には、番所といくつもの小曲輪があり、防備を固めています。また、ここを抜けたとしても細い尾根道を進まされるので、正面の三の丸から攻撃にさらされます。
これは、難攻不落
三の丸 乃木大将の碑
揚城戸岩の難所を抜けると、三の丸へ。ここには、乃木希典大将の碑があります
乃木希典(のぎ まれすけ)は、日本の陸軍軍人。日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、明治天皇を慕い、あとを追って殉死したことでも知られる。最終階級は陸軍大将。栄典は贈正二位勲一等功一級伯爵。明治天皇より第10代学習院長に任じられ、迪宮裕仁親王の教育係も務めた。~Wikipedia~
昔の将軍は、ホント、山城が大好きですね
確か、あの東郷平八郎も「山梨県の要害山城」「佐賀の名護屋城」に登り、碑を残しています。
東郷平八郎(とうごう へいはちろう)日本の海軍軍人。最終階級は元帥海軍大将。各地の東郷神社に名を残す。位階は従一位、勲位は大勲位、功級は功一級、爵位は侯爵。 日清戦争では「浪速」艦長として高陞号事件に対処。~Wikipedia~
馬場
馬場らしい馬場です。下からの風景とは打って変わり、広い!
二つの井戸
井戸も二つあったりします。かなり大規模です。地盤が岩石の一枚岩などでしたら、水も十分確保できたでしょう。
倉屋敷跡
眺望
・武田家滅亡に関与した山城で低山ハイクにピッタリ
・圧倒される大岩・鏡岩
少し足を伸ばして、「景徳院」
ここで武田家は滅亡したのですね
近くに、武田勝頼一族終焉の地があります。特に、この岩!「生害石」というそうで、この上で自刃したとのこと勝頼と奥方と息子の信勝、それぞれの石があります。合掌
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