山城ACTレベル:初級 ★☆☆
山城Wレベル:W2 ★★☆

山城ウェルネス
山城ACTレベル:初級 ★☆☆
山城Wレベル:W2 ★★☆
ACT理由
登城時間は短めで、歩きやすい導線が中心です。
東西の出構→本丸→下りの見学も、極端な負荷は出にくい構成でした。
ただし標高は高めなので、足元と時間配分は雑にしない方が安全です。
W理由
「無駄がない」という納得から入り、出構の意味へ疑問が立ちます。
さらに「作り込みが甘い」「未完成」という違和感が残り、解釈が止まらない。
断定ではなく、“考え続ける余白”が体験として残りました。
主なルート
駐車場 → 東出構/西出構 → 階段(武田八幡宮方向) → 本丸跡 → 下りながら遺構確認 → 大手枡形虎口
所要時間
約1時間(一次記録の範囲)
駐車場 アクセス
これまで、代表的な武田流築城術を観てきました。見ごたえがあり非常に良く考えられたもので、

無駄がない
と感心するばかり。かなり作り込まれており、改修に改修を重ねたことが見て取れます。そんな武田流築城術の最後の山城が新府城だということで、やって来ました。
現地レポート


東出構 西出構


ここですよね。出構(でがまえ)。これはどのような意味があるのでしょうか。鉄砲櫓だの堀の水位を調整する施設だの未だに謎のようです。しかし、武田家の最新縄張りで「意味がない」ものはないと思います。
横矢的な意味もあるのでしょうか。乾門までは少し距離はありますが。長い空堀でこのような場所を丸子城で見たことがありますので、障害施設だと思います。
武田八幡宮に続く階段

この階段は、後世の後付けとなるでしょう。これがあるので、一気に本丸まで登りやすいのは間違いないです。
本丸跡


これは戦国庭園??

本丸から下っていきます





大手枡形虎口



この城の概要
新府城(しんぷじょう)は、山梨県韮崎市中田町の七里岩台地(標高約500m前後)に位置する平山城で、武田勝頼が天正9年(1581年)に築城した武田氏最後の本拠地です。
甲府の躑躅ヶ崎館から移転を計画し、真田昌幸らが普請を担当した甲州流築城術の集大成とされ、丸馬出し・三日月堀・出構などの先進的な遺構が特徴ですが、完成前に天正10年(1582年)の織田・徳川連合軍の侵攻でわずか68日で勝頼自らが火を放ち落城・廃城となりました。
現在は国指定史跡および続日本100名城に選定され、土塁・空堀・曲輪群が良好に残り、本丸跡に藤武神社が鎮座し、春の桃源郷や富士山・八ヶ岳の眺望が美しい人気の城跡です。
気付き
ここまで写真で紹介してきました。実は、あんまり解説を入れておりません。武田と言えば、要害山城のように「作り込まれた城」というイメージが強いのですが。
この新府城は、武田の最新鋭の山城らしく、だいたいのフレームは完成しているのでしょうけど、何か作り込み甘いと感じました。例えば、
土塁や切岸が低い
などです。また、この新府城は、どのような支城ネットワークを築いていたのか不明です。

調べてみたところ、この地図を見てみても、西側は七里岩という大きな崖で防備は万全。また東側にも川があり、街道を抑えるには絶好の位置だとは思いますが、北にあるのは「能見城」程度で、本城を支えるには心もとないと感じます。
つまり、この新府城は、城としての機能は

未完成
ということに尽きるのではないでしょうか。武田勝頼公は、どのようなシステムを考えていたのでしょうか。興味深いところです。
この山城の魅力|3つのポイント
① 武田流築城術の“終盤”を歩ける
要害山城などで見てきた武田の築城が「無駄がない」と感じる流れのまま、新府城の縄張りに入れます。
② 出構(でがまえ)と長い空堀の配置が気になる
東出構・西出構の存在が、入口の時点で引っかかります。鉄砲櫓だの堀の水位を調整する施設だの未だに謎のようです。しかし、武田家の最新縄張りで「意味がない」ものはないと思います。
③ “未完成”という違和感が、逆に考えさせる
土塁・切岸が低い/支城ネットワークが見えにくい、という観察から「城として未完成では」という到達点に収束します。完成品の凄みではなく、計画途中の輪郭が残る城です。
免責
本記事は、現地での観察メモをもとに整理し、筆者なりの解釈を加えた記録です。史実の正確性を保証するものではありません。また、整備状況・所要時間・交通手段・施設情報等は変更される可能性がありますので、訪問の際は必ず最新情報をご確認ください。






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