基本情報
周囲約3㎞で、標高約100mの小島ですが、その名前とは裏腹に、小島砲台跡は、国内に現存する最大級かつ「完形」に近い状態で保存されており、明治期の石造り砲台として2001年に「土木学会選奨土木遺産」に認定されました。
この芸予要塞は、来島・小島・大久野島(うさぎの島)からなり、沿岸要塞跡として、明治31年に当時「30万円」という巨費を投じて建設されます。しかし、大正13年(1924年)の芸予要塞廃止に伴い、払い下げられました。つまり、ちょうど100年前から「時間が止まっている」のです。大正時代のまま。
特筆すべきは、日露戦争時、国内の海岸要塞から28cm榴弾砲(りゅうだんほう)が旅順等に送られました。小島から送られた6門のうちの2門が旅順要塞攻撃に用いられたとされています。そして、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の撮影のために製作された原寸大レプリカが小島港のすぐ近くの観光休憩所前に据えられているのです。
これは見たい
ということで、今回の旅に出たわけです。すると、結果的に「中世の城」と「近代要塞」を船で渡るというアクティビティになったのです。そして、今回の「海城をゆく」の最後は、「芸予要塞 小島」なのであります。
地図 散策コース
上陸
先の「1時間」という制限がある中、来島城見学を終えてフェリーに乗ること、たったの
5分ぽっきり
という短時間で到着。なんかお得感。さっきの「戦国時代」の有名なお城から、今度は5分で「近代」の国内屈指の大要塞跡へ。これはもう~、頭の切替が追い付かない。そして、上陸するな否や
うお!これか~
面食らう。こんなのが見られるのって日本でもここだけではないでしょうか。なんという威圧感。
28㎝榴弾砲
ここで、榴弾砲と加農砲の違いについて確認。今では、あんまり区別はされていないようですが、当時は明らかに違うモノでした。
榴弾砲:同口径のカノン砲(加農砲・カノン・加農)に比べて砲口直径(口径)に対する砲身長(口径長)が短く、低初速・短射程であるが軽量でコンパクト、高仰角の射撃を主用する長い射程と高い精度のため現在でも砲兵の主力
加農砲(カノン砲):キャノン砲とも呼ばれる。現代の定義は同口径の榴弾砲に比べて砲口直径(口径)に対する砲身長(口径長)が長く、高初速・長射程であるが重量とサイズは大きく、やや低仰角の射撃を主用する 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
これが日露戦争の際に、旅順に運ばれたわけですか。これを撃ち込まれると、いかにベトンで固められた旅順要塞と言えども、被害甚大でしょうねえ。
そして、このレプリカは、何の材質で出来ているのかというと、なんと
プラスチック
なのです。だから触ると「カスカス」って感じ。しかし、見た目は金属の重厚そのもの。出来れば外ではなく、室内での展示を希望します。
こんなプレートも再現されている。大阪生まれらしい。
探照灯跡
これは、どっかで見たことがある。
大久野島(うさぎの島)
と全く一緒です。やはり同時期に建築されただけあって、造りは一緒。
発電所跡
基本的にルートに沿って見学します。特に道に迷うこともありません。しかも、人とすれ違うこともありません。というか人が居ない。
ひと気がない
さすがに、外国人もここまではやって来ないのかも。そして、日本人もここにはやって来ない。なんと言っても、
こんな建築を知らないとは、人生損しています。特にレンガの美しさ。おしゃれ~。ここでカフェをしても全然おかしくないです。お客は少ないかもしれませんが。
建物自体は、最近の修繕工事が入っている感じがしますが、このレンガがとても美しい。今から100年も前の建築物。他の要塞でも言えることなのですが、レンガ建築物がどこも素敵です。オランダかドイツかの技法だったと思います。
南部砲台跡
ここの「棲息掩蔽部(せいそくえんぺいぶ)」は、ちょっと特徴的です。入口のコンクリートがかなり重厚でどんな砲撃にも耐えることができそう。
弾薬庫跡
途中のこの道に苦戦。。。GORE-TEXの靴を履いていますが、落ち葉が猛烈で水も溜まっており進めない。仕方がないので、斜面を進むもここも落ち葉が堆積しており、滑る滑る。向こうに行くまで苦労しました。
半地下になっているということでしょうか。ただし、下に降りると、グチャグチャなので降りるのを止めました。
中部砲台跡
そして、中部砲台跡に到着。ここがメインの場所のよう。
冒頭の「28cm榴弾砲」を6門配備。恐ろしい。ここから2門が旅順要塞攻略戦に使われたわけですね。その時点で、この要塞の存在意義も怪しくなっていたということでしょうか。
この位置にあるということは、弾道はこう向かうってことでしょう。
ここの「棲息掩蔽部(せいそくえんぺいぶ)」も、かなり分厚い。さすが日本屈指の要塞です。この眺めは圧巻。
この壁にあるくぼみは、やっぱり砲弾とか使用済み薬きょうを保管した場所なんでしょうか。それにしても巨大です。しかも、この場所の雰囲気も大久野島(うさぎの島)に非常に似ている。それはそうでしょう。
将校地下室跡
司令部跡
この穴は、伝言ポストだったと思います。この上に、長崎にもある鋼鉄製掩蓋(こうてつせいえんがい)のような覆いがあったのかもしれません。
北部砲台跡
ここの右側の壁の装飾が美しい。なんかレトロな雰囲気なんですよね。
ここに配置されていた加農砲。砲身が長いのが特徴。
大正時代に、陸軍飛行隊と海軍航空隊による要塞への爆撃演習があったとのこと。結果、成果は散々だった様子。頼むからやめてくれ~~。遺構が損傷するだけだし。
これが、飛行機からの爆撃演習の際に、吹っ飛ばされたコンクリートとのこと。この辺りだけ、草がぼうぼうに生えている。100年前からこの状態と思うと、ついこの前のような壊れ方。
気付き
今回、前から行きたい行きたいと思っていた念願の「芸予要塞 小島」を訪問しました。しかし、要塞を訪れていて、いつも思うことは、
認知度が低い
ということ。戦国時代の山城にしても平城にしても、当時の持てる最高の技術を惜しみなく投入し造っており、それに後世の人々は惹かれて訪問しているのですが、こと「要塞」というものに関しては、注目度と認知度が低いがあまりにも低いと感じます。
これほど美しく立派であり、見学アクティビティとしても十分楽しめる遺構があるわけですが、あまり注目・活用されていないように思います。やはり理由としては、近代過ぎて、戦争色が強く、ネガティブ敬遠されているのでしょうか。そう考えると、
紀伊水道の「友ケ島」は、「今ラピュタ」
もう一つの芸予要塞「大久野島」は、「うさぎの島」
これらは、着目点をズラシ、Instagramなどを活用した映え、女性をターゲットとしたマーケティングが成功しているように感じますね。ほかにも、キャンプ場活用・温泉があるなども。この島はどうするべきか、恋人の島にするべきか、コスプレの島にするべきか。。。
観光資源として、あまり活かされておらず
非常にもったいない
と感じました。まずは、マスコットキャラを作ることでしょうか。
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