基本情報
形態:山城
史跡指定:国の指定史跡
標高:440m
城の整備:登山道あり
所要時間:2時間
訪問日:2020.10
前から気になっていた「白旗城(しらはたじょう)」。どうみても完全な名前勝ちでしょう。
最初は「初めから白旗を掲げているので、そもそも落城することはない山城」だと考えるべきだと思い込んでいましたが、どうも由来は違うようで、
近年の研究では当初この城は赤松城と呼ばれていた。
後に石清水八幡宮から赤松に源氏の白旗が飛来するという奇瑞譚の出現によって白旗の名が使われたと考えられている。これは尊氏の勝利に貢献したことを象徴的に示した命名と思われる。
兵庫県立歴史博物館 資料より https://rekihaku.pref.hyogo.lg.jp/
とのこと。白旗城なのに難攻不落。ややこしい。
駐車場 アクセス
登山口からはちょっと離れておりますが、安心して停めておくことができます。
地質をみてみる
この辺りは、九州とは違い地質も複雑で、古生代(2.5億年前)~中生代(2~1億年前)~新生代といろんな地質が入り乱れております。
しかし、よ~く見るとピンク部「流紋岩」分布が目立ち、何やら周辺を囲まれているように見えます。そこで、詳しく調べてみると、こんな情報を見つけました。
コールドロン
でした。しかも二つ。
これが中世代に存在していたようで、その火山灰が固まって流紋岩帯を形成しているようです。赤穂城などは、完全に赤穂コールドロンの中にあります。
天神山城に登る途中、この辺りはカルデラの崖にあたる「外輪山」のようにも見えます。阿蘇山でいつも見ていましたが。
※参考文献 兵庫県赤穂市周辺,後期白亜紀火成岩類の地質と構造 佐藤大介・山元孝広(産総研地質調査総合センター)
ちなみに、用語の説明として
カルデラ:マグマの噴出によりできた陥没地形
コールドロン:その後、長い年月でカルデラが埋まったり、外縁が削れてしまった元カルデラ
というところです。ですので、概念としてはコールドロンにカルデラが含まれます。
このあたりでは中生代に大噴火を起こし、一帯に分布したようです。ちょうど赤穂市の海岸端に、この赤穂コールドロン一端を見ることができます。
縄張り図 鳥観図
遠くからも目立つ看板です。
とても丁寧な看板があり、迷うことはありません。
城域に入る
ルート通り進めば大丈夫です。
うわ~
と言っても、道はゴツゴツした岩に溢れており過酷な登りです。しかも、手ごろサイズ。投石攻撃・足止めには困らなかったことでしょう。
途中、石積みや石塁があります。道が悪いのでこれは攻め上がりにくい。侵攻ルートを限られます。途中、中年男性が登っていましたが、あまりのキツサからか、「ふーふー」と言いながら休憩されていました。キツイ。
第一堀切
ようやく第一堀切に到着。ここらへんから城域ですね。
大手口
虎口には多少の石積みが残ります。
大手虎口から進みますと、分かれ道があります。どっちを進んでも本丸には到着しますが、まずは「櫛橋丸」を目指します。
櫛橋丸跡
この細かい粒子の岩は、流紋岩でしょう。空間としては狭いので、立地的にも出丸のような感じ。
そして、眼下には街道や「千種川」が見えます。やはり見張り台。
二ノ丸跡
二段で造られている。
馬場丸跡
この鞍部がいわゆる馬場丸跡で、二ノ丸と本丸を連結します。
本丸跡
本丸は、立派な切岸の上にありますが、道も整備されており、スムーズに登ることができます。
そして、ここに「格祈願絵馬掛所」があります。絵馬自体は、上郡駅前の観光案内所、赤松公民館や麓の自動販売機で販売しています。500円でした。
三ノ丸跡
気付き
本丸、二ノ丸、三ノ丸、櫛橋丸、馬場丸など一般的な連郭式山城。造り自体も技巧的な部分は少ないですが、室町時代頃の空間を広く、帯曲輪などを備えた縄張りです。
今回は、侍屋敷を見逃しましたがそちらには立派な石垣や井戸跡が残っているようです。
難攻不落な造り
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