長崎

日野江城(長崎県南島原市)|安土を思わせる石段、日野江の謎

山城ACTレベル:初級 ★☆☆
山城Wレベル:W2 ★★☆

この山城の魅力|3つのポイント

① 体験価値(ウェルネス)
原城とセットで歩くことで、同じキリシタン大名が築いた「丘城」と「平城」の空気の違いを静かに感じられます。派手さはありませんが、段丘の上に立ったときの風と水辺のひんやりした空気が、気持ちをすっと整えてくれます。

② 遺構の固有性
日本でも例が少ない大規模な石造階段遺構が見つかっており、安土城のような格式高いアプローチを思わせる構造が特徴です。キリシタン大名・有馬氏の城らしく、宗教空間と権威を演出する舞台装置としての城づくりが垣間見えます。

③ 景観・地形の固有性
有明海に面した段丘状の丘陵に築かれ、周囲の河川と田園を見下ろす位置関係から「海と信仰の要衝」であったことが実感できます。原城とはまったく違う地形に、同じ大名が別の戦略を描いていたことが伝わってきます。

現地レポート|ルートと見どころ

お城としては、藪に覆われたところも多いです。正直、訪問するまであまり、ピンと来てませんでした。「原城から近いし、ついでに訪問してみようか」程度の軽いノリ。しかし、

山城Q
山城Q

歴史的にこのお城の意義と有馬氏施策は非常に重要だと思います

階段遺構 日本三大階段遺跡の一つ

「おっと、何かある??」

山城Q
山城Q

なんと、階段があったとは!

これは、驚きでした。

過去に、このような階段がある城は、
観音寺城
安土城
しか見たことがありません。

有馬氏とイエズス会を感じさせる「石段遺構」の違和感

そもそも、守り優先の城なのに階段があるということは、基本的にあり得ません。また、階段には、墓石などが使われていたというとのこと。有馬氏とポルトガルのイエズス会との関係性も見えてきます。

日野江城を治めた 有馬氏は九州屈指のキリシタン大名として知られおります。領内には

  • 教会
  • 修道院
  • 病院
  • 教育施設
    などが早期に整備され、日本でも最先端のキリシタン文化圏が形成されていました。

有馬氏の特別な宗教背景が鍵

この文脈で重要なのが、すぐ近くに残る 有馬セミナリオ跡 です。日本史の教科書で「安土城」にもあったと書かれていました。

すると、同じイエズス会が関与しているとしたら、日野江城の石段遺構に見られる「和の山城らしからぬ造り」にも、どこか共通性を感じてしまいます。

※余談ですが、

コレジオ(Collegio)=カレッジの語源
セミナリオ(Seminario)=セミナーの語源

という点も、有馬領の先進性を象徴する要素と言えます。

二ノ丸周辺

粘土層の上に石垣が組まれています。面白い。

本丸周辺

本丸は、何段かの石垣が組まれていますが、岩石は小粒です。そう考えると、原城の石垣は大きくダイナミックな積み方でした。

そんなに距離も離れていないし、同じ大名が作ったとは思えません。島原城の建築資材として相当がもっていかれたのかも。これより裏側にさらに城郭が広がるのですが、藪がひどく侵入は出来ませんでした。

この城の概要

日野江城は、南島原市北有馬町の日野江丘陵に築かれた丘城で、戦国期には有馬氏の本拠となった城です。

キリシタン大名として知られる有馬氏が城下に教会や学校(セミナリオ・コレジオ)を整備し、海外との交易やキリスト教文化の受け入れが進んだことで、日野江は一時期「日本有数の国際都市」のような性格を持っていたとされています。

現在は、石垣や曲輪の一部に加えて、大規模な石造階段遺構が発見されており、安土城との共通性を指摘する研究もあります。これらの価値が評価され、原城跡などとともに国の史跡に指定されています。

(出典:南島原市公式サイト・長崎県関連資料・カトリック長崎大司教区日野江城紹介ページ・原城跡ガイドパンフレット など)

山城ACTレベルと山城Wレベル

山城ACTレベル:初級 ★☆☆
標高の低い丘陵上に築かれた城で、駐車場から本丸周辺までは緩やかな坂道が中心です。急斜面や長い登りが少なく、歴史散策の延長で歩ける負荷感です。

山城Wレベル:W2 ★★☆
原城と対になるキリシタン大名の拠点として、階段遺構や石垣の残り具合から、有馬氏の宗教政策や都市構想を静かに想像できる城です。歩きながら「なぜここにこうした石段が?」と考える時間が、じわじわと没入感を高めてくれます。

主なルート
・日野江城跡駐車場 → 曲輪・階段遺構 → 本丸周辺 徒歩約15〜20分(写真撮影や案内板を読みながら歩いても30分前後)

累積標高差と所要時間
累積標高差:おおよそ50m未満 / 所要時間:30〜40分

策込み)

地形・地質のポイント

有明海に面した段丘状の丘陵上に築かれ、周辺を河川と湿地帯が囲むことで、自然地形を防御線として活かした構造になっています。原城のようなシラス台地とは異なる粘土質の段丘上に石垣を積み上げた点も、この地域の城づくりのバリエーションとして注目できます。

引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日) より山城渡りQが加筆・修正したものである (スマホで拡大可能)

粘土層の間から水が染み出ていました。

コラム:有馬氏と小西氏 

同じ「キリシタン大名」でも、まったく性格が違う

日野江城(有馬氏)と宇土城(小西氏)は、どちらもキリシタン大名の拠点ですが、その信仰の入り方や城下の文化は、根本的に異なるという点がポイントだと思います。

この違いを押さえると、島原半島〜天草〜宇土の歴史が一気に立体的に見えてきます。

有馬氏:住民とともに信仰へ向かった「内側からのキリシタン化」

有馬晴信は自ら洗礼を受け、城下にも多くのキリシタンが存在した大名です。島原半島では住民のあいだでキリスト教が自然に広まり、領国全体が“静かに信仰へ向かった”地域といえます。

日野江城周辺に置かれた セミナリオ(神学校) はその象徴で、ラテン語・音楽・学問が教えられた国際性の高い拠点でした。石造階段や墓碑にも宗教的モチーフが残り、石文化そのものにキリシタンの影響がにじむのが特徴です。

小西氏:政治・外交と宗教を結びつけた「外側からのキリシタン化」

一方の小西行長は、堺の商人出身で貿易・行政に長けた大名。信仰は持ちながらも、キリスト教を外交・貿易の武器として使いこなしたタイプと思われます。

天草では人口の大多数がキリシタンという「爆発的な布教」が起き、宇土新城は中央集権的な都市計画による、行政・宗教・軍事を束ねた近世的な拠点として整備されました。

まとめ:信仰の入り方が違えば、城の表情も変わる

有馬氏は 「住民とともに信仰した大名」
小西氏は 「宗教と政治を組み合わせた実務型大名」

同じキリシタン領国でも、日野江城(有馬)と宇土城(小西)では、城下の空気・石材の扱い・城づくりの思想までまったく異なるのが面白いところです。

アクセス・駐車場


・南島原市北有馬町の「日野江城跡駐車場」を利用(無料・普通車向け)。
・島原市街から約40〜50分、原城跡からは約15〜20分。

公共交通
・島原港駅周辺から南島原方面行きバスで「日野江城跡」付近下車。
 ※本数が少ないため、事前の時刻表確認がおすすめ。

周辺観光・温泉(地域共鳴)

歴史スポット

  • 原城跡(はらじょうあと)
    日野江城から車で約15〜20分。島原・天草一揆の舞台となった城跡で、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つです。日野江城と合わせて歩くことで、有馬氏・松倉氏の政策の違いや、キリシタン弾圧の歴史を立体的に感じることができます。
  • 有馬セミナリオ跡
    かつてイエズス会が設けた神学校「セミナリオ」が置かれていたとされる場所で、日野江城とのセットで訪ねると、この地が教育と文化の発信拠点であったことがよく分かります。石碑や案内板を通じて、宣教師と有馬氏の関係性に思いを巡らせる時間が持てます。

日帰り温泉(中高年にもやさしい施設)

  • 布津福祉センター「湯楽里(ゆらり)
    日野江城から車で約20〜30分の布津町にある公共温泉施設で、大浴場と家族風呂(露天風呂付き)を備えています。比較的静かな雰囲気で、中高年世代でも落ち着いて浸かりやすい環境です。日帰り入浴は10:00〜21:00(休館日:火曜日)で、歩き疲れた足をゆっくり温めるのにちょうど良い選択肢です。

※泉質や一般的な適応症については、現地の案内や公式情報をご確認ください。ここで触れている内容は、あくまで温泉施設としての一般的な案内に基づくものであり、医療効果を保証するものではありません。

まとめ

日野江城は、一見すると小規模な丘城ですが、歩きながら目を向けるべきテーマは明確です。
「キリシタン大名・有馬氏の本拠地」であり、さらに日本でも数少ないセミナリオ(イエズス会の教育機関)を持った国際性の高い城下を背景にした特異な場所です。

特に、通常の山城ではほとんど見られない石造階段や、その中に墓石の転用が疑われる石材が混じる点は、有馬氏の宗教政策や地域の石文化、ポルトガルとの交流までを示唆する非常に貴重な遺構といえるでしょう。

免責

本記事は個人的な体験・調査に基づくものであり、効果や歴史を断定するものではありません。

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