≪新説≫ 那須与一 と 熊野古道 定守伝 ~紀州那須氏の興亡~ 下
「本編での画像・動画は生成AI技術を用いて制作されたシーンを含まれています。」
もう一つの人・物流ルート拠点を開発
山間と沿岸をつなぐ「もう一つの動線」を押さえることで、紀南の人と物の流れは再編されます。ここでは、道・拠点・結節点の関係を、図で追います。





足利義満の死去
中央の権力構造が揺らぐと、周縁は一気に不安定化します。義満の死去は、その「空白」を生みました。


高まる緊張
交渉の余地が狭まり、在地と守護の関係は、戻れない角度へ傾いていきます。局面の推移を、図で積み上げます。





緊張は、もう引き返せないところまで高まっていました。
熊野三山 挙兵
熊野三山が動くと、山と海の結節点が一斉に波打ちます。ここからは「集まる」「動く」「圧がかかる」を、順に追います。








1418年(応永25年)田辺合戦 勃発




催促
ここから先は、使者と返答の往復が「圧」そのものになります。決断を先送りできない空気が、前線より先に土地を締めていきます。




立つ愛洲氏 大瀬の戦いへ
動員は一点へ収束し、戦場は沿岸へ移ります。大瀬へ向かう「移動」そのものが、合戦の前段になります。







守護勢の敗退

田那辺(田辺)合戦 ~終盤~ 幕府軍は長尾坂へ。戦いは決着へ向かいます。





三栖荘長瀬 不動寺では、、、
戦線の外側でも、出来事は起きます。ここからは、不動寺の場面へ切り替わります。





豊臣秀吉による紀州攻め 天正13年(1585年)
時代が下ると、同じ土地は別の「圧」を受けます。ここでは、紀州攻めの推移をビジュアルで並べます。







最後に
ここで扱ったのは、日本のどこにでもあり得る「小さな地域の出来事」です。特別な事件としてではなく、土地に積み重なった記憶として見ています。
ただ、人口減少と多死社会の流れの中で、伝承や地域史が薄れていくのも事実です。そこで今回は、口伝えの内容を、動画と文章で「デジタルの記憶」として残しました。
この記録が、地域の方々にとって、アイデンティティを確かめ直す手がかりになればと思います。
【動画】完成した「地域のアイデンティティ」に関する動画
参考資料
多数の地域住民への聞き取り
『先祖を千年、遡る 名字・戸籍・墓・家紋でわかるあなたのルーツ』(幻冬舎新書)丸山 学
「那須与一と如々山不動寺」の伝承についての若干の考察(2008年)西田 孝道
『中世後期畿内近国守護の研究』(2006年)新潟大学大学院現代社会文化研究科 弓倉 弘年
「紀南守護と紀南の水軍領主」弓倉 弘年
田辺市熊野ツーリズムビューロー ホームページ
大田原市 ホームページ
小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
Wikipedia など






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