基本情報
形態:山城
史跡指定:国の指定史跡
標高:462m
城の整備:登山道あり
所要時間:2時間(全部見ると)
訪問日:2020.02
駐車場 アクセス
当山城の遺構の多くは、「高松カントリー倶楽部」の内部にあったり、隣接しています。見学の際には、配慮が必要です。
ちなみに、管理人のゴルフ歴は8年間で終わりました。ベスグロは107。。。正直、辛かったです。
周辺の古代山城
「古代山城」の項をチェック
かつては、日本・大和朝廷は、唐と新羅の連合軍に攻め滅ぼされた百済を再興するため、救援軍を朝鮮半島へ派遣しましたが、西暦663年8月、白村江の戦いで両国連合軍に大敗しました。
これを契機として、唐・新羅の侵攻に備えて対馬から太宰府周辺・瀬戸内海沿岸に作られた朝鮮式山城の一つがここ「城山城(きやまじょう)」だと言われています。しかし、この城は文献には記載がされておらず、「幻の城」でもあります。
それぞれの距離は、20㎞~30㎞
特に、城山城、鬼ノ城、大廻小廻山城はやや内陸部に築城されており、戦国時代の山城とは立地条件や戦略上拠点の意義が全く異なります。大陸からの大水軍に備えた立地なのでしょう。なんと言っても
スケールが大きい!
地質 環境
地質を確認してみます。周辺の山城と大きな共通点があります。これらの山城の山頂の共通点は、
メサ と ビュート と 火山岩頸(かざんがんけい)
あまり聞きなれない言葉かもしれません。地質図を確認しますと、これらの山城の山頂は、地図では黄色で示された「讃岐岩質安山岩」です。真横から見て見ると、もっとわかりやすく
メサやビュートと呼ばれるこれらの地形は、山頂に硬い岩盤として「讃岐岩質安山岩」が乗っかっており、その下の黄色い層は「角礫凝灰岩」、下層の基盤は「花崗岩」となっております。ご存じの通り花崗岩は、雨風にもろく風化が著しい。
しかし、山頂に安山岩が水平に乗っかているために、周りの花崗岩が浸食されても、傘の下は崩れないでそのまま残ったというわけです。メサとビュートの違いは、硬い地層がテーブル状の形に残った土地を「メサ」、塔のように残った土地を「ビュート」とわけています。
さらに尖った急斜面でより三角形に近い山は、中心に安山岩が鉛筆の芯のように存在しているため、周りの花崗岩が風化して尖った山になったものを「火山岩頸(かざんがんけい)」と言います。近辺ですと、飯野山(讃岐富士)がこれにあたるようです。
実際に、メサとして認識されているのは「屋島」ということのようですが、その他、赤丸の五色台や城山も「メサ形溶岩台地」とされており、近くの「紫雲出(しうで)山」や「小豆島」もそれにあたるということです。
縄張り図
看板によると、二重の石塁で囲まれており、山頂部には礎石群、内側の石塁の間には城門、水門があるとのこと。この縄張り図を見る限り、これまでの朝鮮式山城中でも、区画化がされている。しかし、石塁や土塁は低い。
城域入る
駐車場 アクセスの項でも紹介しましたが、ここの遺構は「高松カントリー倶楽部」の敷地内でもあり、控えめな性格な管理人としては、コース内には入らないようにしました。ですので、今回の紹介はピンポイントでの紹介となります。
遠慮することも大事
もっと情報が必要な方は、先輩諸氏のホームページをオススメします。
ホロソ石とマナイタ石とカガミ石
この消えかかった案内看板には、この山城には
ホロソ石は、9個
マナイタ石は、3個
カガミ石は、3個
と書かれています。
これらのホロソ石は、鬼ノ城や兵庫県たつの市「城山城」にもあります。これらは、あちこちに不自然に散乱しており、「作り掛け」という見立てです。
一見、石塁だが、これは
石塁がありますが、こちらは畑跡という見解。
石積み
ゴルフコースに沿って、外側を歩き続けると、このような石積みもありました。これも安山岩のように見えます。これも石塁の一種なのでしょうか。
気づき
屋嶋城や周辺の山城と同じように、地質的な繋がりが大きい。特に、城山城・屋嶋城・小豆島は同じメサ台地であり、距離も20km程度と近い立地にある。
非常に大きな山城な上に、中にはゴルフ場もあり、見学はしづらい雰囲気でした。ゆっくり見学するには、時間の余裕が必要な山城です。
香川といえば「さぬきうどん」
香川といえば、「さぬきうどん」ではありますが、ハッキリってコンビニの数よりも多く、どこに入っても名店に思えます。そこで、管理者としては、「どうせだったら、城山城が見える場所が良い」と思い、いつもここであえて「カレーうどん」を食べていました。うまし
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