紫電改展示館にて
訪問日:2020年2月
ゼロ戦は、いろいろな場所で見学することができるものの、「ゼロ戦の後継機」でしかも、世界で4機しかないうちの一機を見られるということを聞きやってきました。しかし、この場所は、日本でも中央から一番遠い場所にあたるのではないでしょうか。
とにかく遠かった
なぜ、ここで展示されているかと申しますと、愛南町久良湾の海底で昭和53年に発見され、引き上げられた機体のようで、当時資料によると、昭和27年7月に豊後水道上空で交戦したうちの一機とのこと。いろんな方の協力でこの資料館に永久保存されることになりました。
第一印象は、
でかい
なんというか、ゼロ戦より大きいように感じました。しかし、
非常に頼れる存在感
ゼロ戦と比べると、サイズは、全長はあまり変わりませんが、全幅・全高・重量などは、こちらが大きい。しかし、その分エンジンは「誉」という欧米で主力になりつつあった「2000馬力級」に匹敵するエンジンを積み、当時の最先端技術「自動空戦フラップ」を装備するなど、
海軍としても「ゼロ戦の後継機」として相当な力の入れようだったらしい。
プロペラが曲がっているのは、海面に不時着した時の衝撃で曲がったのだと思います。
この正面の「防風ガラス」の形状がゼロ戦とは違いますね。また、エンジン上部に機銃装備はない様子。
さらに怖ろしいのが、この武装。
通常ゼロ戦は、翼内九九式二〇ミリ機銃2挺 翼内三式十三粍固定機銃2挺というものだったが、この「紫電改」は、翼内九九式二〇ミリ機銃4挺 というものでした。重武装。大戦末期になると、二〇ミリ機銃が当たり前になってくる。
三菱が研究開発した局地戦闘機「震電」に至っては、武装は三〇ミリ機銃4挺という世界に。格納するだけで大きなスペースが必要。
ゼロ戦というと、「防御システム」など軽量化の犠牲になったというイメージが強いですが、この「紫電改」は、ガソリンタンクはゴム被膜で覆われいたようです。しかし、
銃跡があります
個人的には、川西の飛行機が好きかもしれません。
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