WWⅡ

【愛媛県】ゼロ戦の後継機 川西 N1K2-J 局地戦闘機 紫電二一型(通称:紫電改)

紫電改展示館にて

旧日本海軍戦闘機「紫電改」を収蔵する紫電改展示館は、老朽化に伴い**全面改修(建て替え)**が決定しており、リニューアル前の情報です。

訪問日:2020年2月

ゼロ戦は、いろいろな場所で見学することができるものの、「ゼロ戦の後継機」でしかも、世界で4機しかないうちの一機を見られるということを聞きやってきました。

日本国内

  • 愛媛県 愛南町「紫電改展示館」
    1978年に愛媛県久良湾の海底で発見され、翌年に引き揚げられた機体が展示されています。日本国内で唯一の現存機です。

アメリカ合衆国

  • オハイオ州 デイトン「国立アメリカ空軍博物館」
    スミソニアン航空宇宙博物館の別館で展示されています。
  • フロリダ州 ペンサコーラ「国立海軍航空博物館」
    アメリカ海軍の航空博物館で展示されています。
  • ワシントンD.C.「スミソニアン航空宇宙博物館」
    スミソニアン博物館の一部として展示されています。

しかし、この場所は、日本でも中央から一番遠い場所にあたるのではないでしょうか。

山城Q
山城Q

とにかく遠かった

なぜ、ここで展示されているかと申しますと、愛南町久良湾の海底で昭和53年に発見され、引き上げられた機体のようで、当時資料によると、昭和27年7月に豊後水道上空で交戦したうちの一機とのこと。

いろんな方の協力でこの資料館に永久保存されることになりました。

第一印象は、

山城Q
山城Q

でかい

なんというか、ゼロ戦より大きいように感じました。しかし、

山城Q
山城Q

非常に頼れる存在感

ゼロ戦と比べると、サイズは、全長はあまり変わりませんが、全幅・全高・重量などは、こちらが大きい。しかし、その分エンジンは「誉」という欧米で主力になりつつあった「2000馬力級」に匹敵するエンジンを積み、当時の最先端技術「自動空戦フラップ」を装備するなど、

<誉エンジンの特徴>
形式:空冷複列14気筒星形エンジン
出力:最大1,300馬力程度(モデルによる)
用途:主に戦闘機や爆撃機に搭載された。

代表搭載機:
紫電改(紫電改は誉エンジンを搭載したことで高速性能が向上)
雷電(日本海軍の双発戦闘機)

<誉エンジンのポイント>
当時の日本海軍の高出力エンジンとして、高性能かつ信頼性を重視して開発されました。

いわゆる「誉」は「ほまれ」と読み、「誉れ(ほまれ)」=「名誉・栄光」を意味し、期待の高いエンジンでした。空冷エンジンのため、冷却効率が良く、戦闘機に適していました。

海軍としても「ゼロ戦の後継機」として相当な力の入れようだったらしい。

プロペラが曲がっているのは、海面に不時着した時の衝撃で曲がったのだと思います。

この正面の「防風ガラス」の形状がゼロ戦とは違いますね。また、エンジン上部に機銃装備はない様子。

さらに怖ろしいのが、この武装。

通常ゼロ戦は、翼内九九式二〇ミリ機銃2挺 翼内三式十三粍固定機銃2挺というものだったが、この「紫電改」は、翼内九九式二〇ミリ機銃4挺 というものでした。重武装。大戦末期になると、二〇ミリ機銃が当たり前になってくる。

三菱が研究開発した局地戦闘機「震電」に至っては、武装は三〇ミリ機銃4挺という世界に。格納するだけで大きなスペースが必要。

ゼロ戦というと、「防御システム」など軽量化の犠牲になったというイメージが強いですが、この「紫電改」は、ガソリンタンクはゴム被膜で覆われいたようです。しかし、

山城Q
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銃跡があります

個人的には、川西航空機の飛行機が好きかもしれません。

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管理者
山城Q

西日本中心に山城500以上登ってます。名城82+続70、現存天守も11城。学生時代は京都で遺跡発掘にのめり込んでいました。観光学に興味があり、南紀熊野観光塾第1期生で、地域の歴史や文化を発信する活動に注力しています。古代山城紹介、温泉ソムリエマスター、地質好き、写真好き、珈琲豆にもこだわりがあります。週末は早起きして、どこかの山城か遺跡、または温泉へ出かけるのが楽しみな普通の会社員です。

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