山城ACTレベル:中級 ★★☆
山城Wレベル:W2 ★★☆

山城ウェルネス
山城ACTレベル:中級 ★★☆
園路整備が進んでおり急峻さはありませんが、城域は広く、回遊しながら観察する歩行量があります。散策としては適度な負荷です。
山城Wレベル:W2 ★★☆
曲線白土塀、犬走り、水辺という要素が連続し、場面が静かに切り替わっていきます。強い刺激ではなく、穏やかな没入が持続します。
主なルート
・公園入口 → 曲線白土塀周辺 → 犬走り → 城域散策
アクセス・駐車場
臼杵市街地から近く、公園として整備された城域へは徒歩・車ともにアクセス可能です。
園路が整っており、短時間の訪問にも向いています。
※駐車場や通行条件は、訪問前に最新情報をご確認ください。
現地レポート
美しい曲線白土塀

基本的に、公園化が進んでおりますが、かつては、海城だったとか。


この土塀曲線は美しいと思います。特に晴れの日との相性は抜群で。個人的には、佐伯城の項で書きましたが
岡城
臼杵城
には、「曲線」での共通点があるように思います。
犬走り

犬走り いや、カモ走り。



隠された暗号

必見は、この城内の空堀。実は、ここにはある「秘密」が隠されているのです。よく見てみるといたるところに「H」「M」「+」などの文字を見つけることができます。

探せばたくさんあります。

これは、一説には石工達が掘った「H:ホザナ (Hosanna)で、どうか救ってください。という意味」「M:(Maria/マリア)」「+:十字架」を指すのではないかと言われています。
が、正確には不明とされています。

日本の石垣に多い家紋とはまた違う趣があって、これを考えるだけでも時間があっという間に過ぎます。
この城の概要
大分県臼杵市にある臼杵城(うすきじょう)は、別名「丹生島城」「亀城」とも呼ばれ、永禄5年(1562年)頃にキリシタン大名の大友宗麟が臼杵湾に浮かぶ丹生島に築いた海城で、当時は四方を海に囲まれた天然の要塞でした。
大友氏滅亡後、太田一吉や稲葉氏が入封し近世城郭化が進み、江戸時代には稲葉氏が5万石の臼杵藩主として居城とし、複合式の梯郭型天守などが築かれました。
現在は明治維新後の廃城で天守は失われていますが、石垣・堀・曲輪が良好に残り、臼杵公園として整備され、国指定史跡および日本100名城の一つで、城下町の風情とともに美しい景観が魅力の名城です。
地質
臼杵城の岩石は、白いです。まぶしいくらいに。その理由を確認しておく必要があります。ざっくり言うと、九州は、
北部九州
中九州
南九州
では、城の造り方が違います。理由は

岩石が違う
ということ。特に中九州は、岩石量が豊富で熊本城・岡城のような堅城が多い。そこに関与しているのが、



「Aso-4火砕流」
出ました。「Aso-4火砕流」!阿蘇の大噴火が深く関与しているわけです。

Aso-4火砕流堆積物が臼杵まで届いてる模様が見て取れます。
かなりの広範囲に広がっており、西は島原の原城から熊本城、岡城、臼杵城などの城材石に活用されたというわけですね。チェーンソーで切断できる上に、適度に硬いため、石垣にはもってこい。
特に熊本では、有名な石工集団も居たようです。
この山城の魅力|3つのポイント
① 曲線を描く白土塀の造形美
直線ではなく、なだらかな曲線で構成された白土塀が城内に連続します。晴天時には白さと影が際立ち、視覚的な心地よさが強く残ります。
② 犬走りと水辺が生む境界のあいまいさ
犬走りは水辺と一体化し、城郭と自然の境界をやわらかく溶かしています。防御施設でありながら、緊張よりも静けさが前に出る空間です。
③ 海城の記憶をとどめる開放的な配置
現在は公園化が進んでいますが、かつて海に近かった立地を感じさせます。閉じた山城とは異なる、抜けのある構成が印象に残ります。
周辺観光・温泉(地域共鳴)



大分県は、独自の石仏文化を持ちます。臼杵城に訪れたなら、近いのでおススメします。平安時代後期から鎌倉時代作と言われているそうです
国東半島などには、もっと多くの石仏などがあり、京都などとは趣が違う「素朴さ」「力強さ」がありますここまで来たなら、ぜひ訪れていただきたいのが、
免責
本記事は、現地での観察メモをもとに整理し、筆者なりの解釈を加えた記録です。史実の正確性を保証するものではありません。また、整備状況・所要時間・交通手段・施設情報等は変更される可能性がありますので、訪問の際は必ず最新情報をご確認ください。








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