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境界の崩壊 —古代山城が壊した「地域」

――体験構造学の観点から見る 神籠石系山城から古代山城への転換――

神籠石系山城から城への転換を考える導入イメージ

はじめに

本稿は、神籠石系山城および古代山城を、年代・編年・築造技術といった考古学的枠組みから直接論じるものではない。

体験構造学の立場から、遺構を実際に歩いて得られる所感をもとに、構造の特徴を比較し、解釈の整理を試みる。

ここで用いる体験構造学とは、建築現象学や環境行動学において蓄積されてきた
「人が空間をどのように知覚し、身体的に経験するか」という知見を踏まえ、それを考古学的遺構の読解に応用した独自の整理視座である。

背景には、地域統治や防衛が成立する基礎条件そのものを構造として捉えるという視点がある。

1.神籠石系山城は「地域をまとめる構造」だった

複数の神籠石系山城を歩き、比較すると、次の体験的特徴が共通して現れる。

  • 防御の向きが明確に定まらない
  • 強い威圧感が生じにくい
  • 周回しても緊張が持続しない
  • 日常の移動や生活動線と大きく衝突しない

軍事施設として見れば弱点である。しかし体験構造学の観点からは、これらは地域を内側からまとめる構造として合理的に機能している。

神籠石系山城は、外部を排除する装置ではなく、「ここまでが同じ領域である」という感覚を共有させる包摂的な囲域であった。

恐怖や断絶ではなく、緩やかな境界と共有された空間体験によって、地域社会を内向きに統合していたのである。

2.「簡易版」に見える理由を体験構造から読み直す

おつぼ山神籠石 二段の列石

神籠石系山城はしばしば
「終盤に造られた簡易な城」「百済式山城の縮小版」
と説明されてきた。

しかし体験構造学の立場では、この「簡易さ」は未熟さではない。

  • 威圧を強めすぎない
  • 排除線を引き切らない
  • 生活圏と完全に切り離さない

これらは、地域秩序との摩擦を最小限に抑えるための調整として理解できる。完全な城制は防衛力を高める一方で、地域の動線や生活を断ち切る。

神籠石系山城はそこまで踏み込まず、地域統治の基礎条件を保ったまま防衛性をにじませる構造であった。

また、体験の側から見ると、列石が連続する区間では注意や意識が境界に集まりやすい一方、列石が途切れる地点では身体的緊張が自然に緩み、視線や意識が周囲へと拡散する傾向がある。

その結果、境界を強く意識し続ける状態が持続せず、歩行全体として過度な緊張や疲労が生じにくい。これは防御機能の欠如というよりも、地域内部の移動や関与を日常的な範囲にとどめるための構造的特徴として読み取ることができる。

実際、列石が切れる場所では、緊張が抜けたからか、体が軽くなる感覚を得た。

神籠石系山城における列石の不連続性は、境界を強調しすぎないための調整として理解する余地があり、結果として体験の負荷や緊張を一定範囲に抑える働きを担っていた可能性がある。

3.包摂型が「未熟ではない」ことを示す技術的裏づけ

おつぼ山神籠石の第一水門(開口部の様子)
おつぼ山神籠石 第一水門

包摂型が原始的・未熟であったという見方は、事実と合致しない。

おつぼ山神籠石の第一土塁(版築土塁の外観)
おつぼ山神籠石 第一土塁

おつぼ山神籠石の第一土塁には、588年の飛鳥寺造営を契機に導入された百済系版築技術が用いられていることが確認されている。これは、当時の国家的事業と同水準の最新土木技術である。

おつぼ山神籠石の第一土塁に関する解説表示(根拠部分)
おつぼ山神籠石 根拠

つまり、神籠石系山城は「技術的に城になれなかった」のではない。最新技術を用いながら、あえて包摂的構造を選択した可能性が高い。包摂型は制約の産物ではなく、統治思想の選択だった。

4.内向き統治の限界

鹿毛馬神籠石の水門と暗渠部(通水構造の様子)
鹿毛馬神籠石 水門と暗渠部

この包摂的構造には限界がある。

体験構造として、神籠石系山城は調整的で、包摂的で、反応が緩やかである。地域をまとめるには適しているが、即応性は低い。

外部からの脅威が現実化した瞬間、この「ゆるさ」は致命的になる。一度の突破に耐えられない構造だからである。

5.破綻は「大きな山」で起きる

女山神籠石の横尾谷水門(粥餅谷水門)の石積み
女山神籠石 横尾谷水門(粥餅谷水門)

神籠石系山城が破綻し始めるのは、

  • 山が高く
  • 起伏が激しく
  • 管理負荷が極端に大きい

場所である。

ここでは日常的関与が失われ、周回自体が非日常化し、地域をまとめる装置として機能しなくなる。体験構造学的に言えば、地域統治の基礎条件そのものが失われる地点である。

6.決定的な転換 「向き」が生まれたとき

雷山神籠石の北水門(開口と石積み)
雷山神籠石 北水門

城制への転換を最も端的に示すのは、防御の向きが固定される瞬間である。

  • どこから敵が来るのか
  • どちらを向いて防ぐのか

これが明確になったとき、地域の使われ方は破壊される。移動路は遮断され、生活圏は分断され、日常と軍事は完全に断絶する。

7.城とは何だったのか

御所ケ谷神籠石の中門(門構えの石積み)
御所ケ谷神籠石 中門

城は、地域をやさしくまとめる装置ではない。

  • 生活より防衛を優先し
  • 調整より遮断を選び
  • 包摂より排除を前提とする

城とは、地域秩序を犠牲にして成立する構造である。文明の象徴というより、統治モードを切り替えるための装置だった。

結論

体験構造学の観点から整理すると、

  • 神籠石系山城は、地域を内側からまとめるための構造
  • 城は、地域を切り分けてでも国家を守るための構造

両者は進化の関係ではない。役割の交代である。

神籠石系山城が「簡易」に見えるのは、未熟だったからではない。地域を壊し切らないために、あえて強くしなかったからである。

城が必要になった瞬間、日本は「地域を中心とした社会」から「防衛を中心とした国家」へと切り替わった。その境目に立つ構造こそが、神籠石系山城であった。

ー北部九州の神籠石分類ー

遺構名分類体験構造の要点構造的整理
帯隈山神籠石Ⅰ 包摂型約2.4km全周列石/水門複数/向きなし生活圏内包型の完成例
おつぼ山神籠石Ⅰ 包摂型緊張が低い/周回が軽い地域統合の基本形
鹿毛馬神籠石Ⅰ 包摂型威圧感がない/日常動線と重なる包摂型の典型
杷木神籠石Ⅰ 包摂型囲域感はあるが排除が弱い包摂型の広がり
唐原山城Ⅰ 包摂型全周列石/第1〜第3水門水系内包型・包摂構造
女山神籠石Ⅱ 包摂維持・簡易防衛型防衛性がにじむ終盤・調整モデル
高良山神籠石Ⅲ 限界到達型起伏が激しい/管理負荷大包摂の物理的限界
雷山神籠石Ⅳ 反転型強固な南北門/急斜面/高所・海への視認性外向き防衛が前面化
御所ヶ谷神籠石Ⅳ 反転型向きが明確/排除感強城制への転換点
阿志岐山城Ⅴ′ 過渡的古代山城神籠石的処理が連続しない区間あり城制優勢・移行痕
大野城Ⅴ 古代山城威圧・遮断・軍事特化国家防衛城塞
基肄城Ⅴ 古代山城防御方向固定城制の完成形

※定義:包摂型とは

包摂型とは、防御対象を外部に限定せず、領域全体をゆるやかに囲い込むことで、人の移動・生活・水系を内部に取り込みながら地域秩序を維持しようとする構造である。

そこでは境界は排除線ではなく、共同体を成立させるための「共有された縁」として機能する。

神籠石系山城における包摂型は、城郭的防衛を目的とするものではなく、地域統治の基礎条件を整えるための囲域構造と位置づけられる。

免責

※本稿は、筆者の体験に基づく構造的整理であり、特定の学説や考古学的定説を否定するものではない。既存研究を前提としつつ、体験構造学の観点から一つの解釈可能性を提示することを目的としている。

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