
― 包摂から遮断へ― 統治思想転換論(試論)
*はじめに
本稿は、基礎条件構造学および体験構造学の観点から、神籠石式山城および古代山城の空間構造を読み解こうとする仮説的整理である。
ここで述べる内容は、考古学的年代観・編年研究・発掘成果を否定するものではない。また、既存研究を置き換える意図もない。
あくまで、
「空間がどのような統治思想を体現しているように見えるか」
という観察的・構造的視点からの一つの試論である。
【用語説明】
基礎条件構造学とは、
空間や遺構が「どのような秩序や行動を前提に成立しているか」を構造から読み解く視点である。
体験構造学とは、
空間が身体に与える感覚(囲まれ感・緊張・向きなど)を手がかりに、その背後にある構造的意味を考える視点である。
いずれも、考古学的事実を否定するものではなく、空間の読み方の一つである。
結論(構造仮説)
神籠石式山城から古代山城への変化は、
「内を包む統治」
→ 「内を統制する統治」
→ 「外を遮断する統治」
への転換として読み解くことができる。
その分岐軸は、
門を閉じるかどうか
に現れる。
Ⅰ型|包摂成立(地域成立の統治)
包摂(ほうせつ)とは、排除せず内側に含み込み、関係性として保つこと。
英訳インクルージョン(Inclusion)はその実践形で、違いを前提に参加と関与を可能にする設計・運用を指す。

初期段階では、神籠石式山城は地域社会を包み込む装置として機能しているように見える。
構造的特徴
- 向きがない
- 排除がない
- 全周が身体的に成立する
- 水は内包循環として機能する
- 門は閉鎖装置ではない
ここでは境界は「遮断」ではなく、生活圏を成立させるための外郭である。
統治史との接続(可能性)
このⅠ型(包摂成立)の文法は、国家が「外敵を遮断する防衛装置」を制度として整備する以前の、在地側が地域を成立させていく統治と接続して見える。
もしそうであれば、磐井の乱(527年)は「事件」そのものというより、在地の包摂的秩序と、のちに強まる中央の把握・統制が衝突しうる条件が表面化した断層として位置づけられる。
つまりⅠ型は、門を閉じて遮断する以前に、統治が「内側の成立」をどのように支えていたのか、その空間文法を残している可能性がある。
そしてこの「内側の成立」を可視化する技法は、次に扱う前方後円墳(中心の提示)の問題へ、そのまま接続していく。
遺構例
| 遺構名 | 標高(m) | 全周(km) |
|---|---|---|
| 帯隈山神籠石 | 35〜150 | 2.5 |
| おつぼ山神籠石 | 15〜50 | 1.9 |
| 鹿毛馬神籠石 | 15〜70 | 2.0 |
| 杷木神籠石 | 55〜145 | 2.4 |
| 唐原山城 | 49〜83 | 1.7 |
思想ベクトル:包摂
Ⅱ型|限界到達(包摂統治の物理的肥大)
次の段階では、包摂思想は維持されているものの、地形規模や管理負荷が増大し、全周維持が重くなる。
構造的特徴
- 向きは未固定
- 排除は制度化されない
- 全周維持が困難
- 水は実用優先化
- 門は依然として閉じない
思想は変わっていない。
しかし包摂圏が肥大し、維持の負荷が臨界に近づく。
遺構例
| 遺構名 | 標高(m) | 全周(km) |
|---|---|---|
| 女山神籠石 | 15〜190 | 3.0 |
| 高良山神籠石 | 65〜250 | 2.7 |
思想ベクトル:肥大

Ⅲ型|地域統制城(門を閉じない城)
ここで空間は明確に変わる。
包摂ではなく、地域を「統制する」装置へと転じる。
構造的特徴
- 向きが明確になる
- 尾根支配
- 排除意識の発生
- 水は境界統制化
- 城としての機能を持つが、門は閉じない
重要なのは、
門を閉じる設計思想が存在していた痕跡があるにもかかわらず、閉鎖構造に至っていない点である。
なぜⅢ型は「門を閉じない」のか(仮説)
Ⅲ型の遺構群では、城としての機能や境界意識が立ち上がっているにもかかわらず、門が「完全閉鎖」に至っていない痕跡が見える。
その理由を単一の原因に還元せず、次の複合要因として捉える。
- 統治目的が「遮断」ではなく「統制」だから
外敵を遮断する国家防衛ではなく、地域内部を監視・管理することが主眼であれば、門は「閉じる装置」よりも「通過を管理する装置」として機能しうる。 - 出入りを止めない統治のほうが有効な場面があるから
往来・水・物流・巡回といった流れを維持したまま、境界と通過点だけを押さえる——この段階の統治文法は、完全閉鎖よりも「見張り」「徴収」「示威」に適合する可能性がある。 - 「閉じる」設計思想は出現しているが、制度化されていないから
造りかけの門石・未完成の門構造が残る例は、閉鎖への構想が存在した一方で、それを最後まで貫徹する統治制度(人員・運用・優先順位)が確立していなかったことを示唆する。 - 地域統制から国家防衛へ移る「転換点」の手前に位置するから
Ⅲ型は、包摂/肥大の延長上で境界が立ち上がった段階であり、Ⅳ型のような「外部脅威に備える遮断文法」へは未到達である。
要するに、Ⅲ型は「閉じない未熟な城」ではなく、閉じないこと自体が、その段階の統治目的と運用に適合していた可能性がある。
九州例
| 遺構名 | 標高(m) | 全周(km) |
|---|---|---|
| 雷山神籠石 | 380〜485 | 2.6 |
| 御所ヶ谷神籠石 | 65〜247 | 3.0 |


御所ヶ谷神籠石では、門は未完成のまま残る。
瀬戸内例(Ⅲから始動)
| 遺構名 | 標高(m) | 全周(km) |
|---|---|---|
| 大廻小廻山城 | 198.8 | 3.2 |
| 石城山神籠石 | 362 | 2.6 |
| 讃岐城山城 | 462.3 | 3.5 |
| たつの城山城 | 326 | 2.8 |
| 長者山城 | 516 | 3.0 |
これらでは、造りかけの門石が確認される場所もあり、完全閉鎖へ至らない。排除は意識されるが、制度化された遮断には至らない。



瀬戸内は包摂段階を経ず、最初から統制文法で立ち上がるように見える。
思想ベクトル:統制



Ⅳ型|古代山城(門を閉じる国家防衛)
白村江敗戦以後、空間構造は決定的に変化する。
それまでの包摂的外周構造とは異なり、外部との連続性は断ち切られ、境界は制度化される。Ⅳ型は、国家防衛を前提に設計された山城段階である。
構造的特徴
Ⅳ型において確認される主要な要素は次の通りである。
- 向きの完全固定
- 排除の制度化
- 軍事合理性の優先
- 水の補給・維持装置化
- 門の完全閉鎖構造
ここで初めて、門は明確な遮断装置として設計される。
門は単なる通過点ではなく、統制の焦点である。出入口は限定され、通過は管理される。水もまた象徴的要素ではなく、持久戦を想定した補給機構へと位置づけられる。
外周線は境界表示ではなく、防衛線へと転換する。
制度城
| 遺構名 | 標高(m) | 全周(km) |
|---|---|---|
| 大野城 | 410 | 6.5 |
| 基肄城 | 404 | 4.2 |
| 金田城 | 276 | 2.8 |
| 屋嶋城 | 292 | 3.0 |
| 鞠智城 | 145 | 3.5 |
これらは記録上も国家的築城として位置づけられ、制度的背景が比較的明確である。空間は包摂するためではなく、守るために閉じられる。
思想ベクトル:遮断



鬼ノ城の位置付け

鬼ノ城は、本稿の枠組みにおいて特異な位置に立つ。
| 遺構名 | 標高(m) | 全周(km) |
|---|---|---|
| 鬼ノ城 | 397 | 2.8 |
構造的特徴


- 門が明確に閉鎖構造を持つ
- 石塁が全体として完成度が高い
- 排除機能が明瞭
- 水門も防御的文脈に置かれる
- しかし記紀に記載がない
空間構造のみを見れば、鬼ノ城はⅣ型(古代山城)と同水準に位置づけられる。
すなわち、
「門を閉じる統治思想」を実装している城
である。
しかし、
- 制度的系譜が明確ではない
- 記録上の国家城と同列に置く根拠は慎重であるべき
という点から、
鬼ノ城は
構造的にはⅣ型
制度的には位置づけ未確定
という、二重の性格を持つ遺構と考えられる。
この理論における鬼ノ城の意味
鬼ノ城は、Ⅲ型の「造りかけ門石段階」を越えて完全閉鎖を実現している点で決定的に異なる。
そのため、地域統制城ではなく、遮断思想を完成させた城である。ただし、それが中央主導か、地域自律的か、あるいは別系統の統治装置なのかは、本稿では断定しない。
理論上の位置づけ(整理)
Ⅰ|包摂
Ⅱ|肥大
Ⅲ|統制(閉じない)
Ⅳ|遮断(閉じる)
鬼ノ城は、
Ⅳ型の構造を持つが、制度網との関係は別問題
という位置に立つ。
統治思想転換の核心
Ⅰ|包摂
Ⅱ|肥大
Ⅲ|統制(門を閉じない)
Ⅳ|遮断(門を閉じる)
ⅢからⅣへの転換は、
地域統制から国家防衛への断層
として理解できる。
そしてその痕跡は、
造りかけ門石の放置
という形で物理的に残っている可能性がある。
構造整理表
| 型 | 統治キーワード | 門の状態 | 水の扱い | 思想ベクトル |
| Ⅰ型 | 包摂・成立 | 閉じない(開放) | 内包循環 | 包摂 |
| Ⅱ型 | 限界・維持 | 閉じない | 実用優先化 | 肥大 |
| Ⅲ型 | 統制・監視 | 閉じないが監視する | 境界統制化 | 統制 |
| Ⅳ型 | 遮断・防衛 | 閉じる(完全閉鎖) | 補給・維持装置 | 遮断 |
まとめ
神籠石から古代山城への変化は、単なる築城技術の進歩ではない。
それは、
空間に刻まれた統治思想の方向転換
として読み解くことができる。
初期の神籠石は、地域を包み込み、生活圏を成立させる装置として現れる。やがて包摂圏は肥大し、維持の負荷が増し、空間は「まとめる場」から「管理する場」へと傾いていく。
Ⅲ型では、城としての機能が生まれる。尾根を支配し、境界を意識し、排除の兆しも見える。しかし、門はまだ閉じない。そこには「統制」はあっても、「遮断」はない。
そして白村江敗戦以後、門は閉じられる。境界は固定され、水は補給装置となり、空間は外敵を遮断するための国家防衛拠点へと転換する。
この瞬間こそが、
地域統治から国家防衛への断層
である。
造りかけの門石が残る遺構群は、その転換の手前で止まった思想の痕跡とも読める。
包摂
→ 肥大
→ 統制
→ 遮断
神籠石と古代山城は、このベクトルの上に並ぶ。
本稿はあくまで構造的視点からの試論にすぎない。しかし、門の状態という単純な観察軸は、空間の背後にある統治思想の変化を、確かに語っているように思われる。
そして最後に、こう問い直したい。
門が閉じる以前、統治はどのように「中心」を示していたのか。






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