石川

石動山城(石川県中能登町)|旧観坊と、苔むす礎石

山城ACTレベル:中級 ★★☆
山城Wレベル:W2 ★★☆

山城ウェルネス

山城ACTレベル:中級 ★★☆
標高約564mの山頂部に寺域と城跡が広がり、駐車場からは緩やかな登りが続きます。舗装路と山道が混在しつつも登城道はよく整備されており、軽いハイキング感覚で歩ける行程です。

一定の登りと周遊の距離を考慮し、体力的には「散歩以上・本格登山未満」の中級★★☆と判断しています。

山城Wレベル:W2 ★★☆
神社・寺院跡・城跡が一体となった空間を歩くことで、時間の積み重なりにじわじわと浸っていけます。苔むした礎石や杉木立の参道、静かな境内の空気が、歩くリズムを自然に整えていきます。

行程は無理なく回れる一方で、雰囲気の切り替わりが多く、W2(★★☆)の“静かに深まるタイプ”として位置づけられます。

主なルート
・石動山駐車場 → 伊須流岐比古神社 → 石動山天平寺跡一帯 → 旧観坊 → 石動山城(山頂部) → 周遊ハイキングルートで伽藍跡をめぐり駐車場へ(周遊で約1〜1.5時間)

所要時間
所要時間:約1〜1.5時間(寺域と山城を一巡した場合)

地形の特徴
能登半島内陸部の山頂に寺域と城域が展開し、穏やかな稜線上に堂宇跡・礎石・外周空堀が連なる構成です。急峻さよりも「広がり」と「静けさ」が際立つ、霊山と詰城が重なる空間だと思います。

山城Q
山城Q

相当な規模です

二度の戦乱で灰燼に帰したとしても、必ず再興する人が現れ、また復活する。そういう場所だったのだと思います。しかし明治の廃仏毀釈を経て廃寺となったようで、ここで流れが大きく変わったことになります。

山城Q
山城Q

なぜ、ここにはそれほどのパワーがあるのか

アクセス・駐車場

車の場合
能越自動車道「七尾IC」から石動山方面へ進み、案内板に従い駐車場へ向かいます。

公共交通機関
JR七尾線「良川駅」からタクシー利用が便利です。

現地レポート

神仏習合の山

石動山山頂部の社殿跡と森の風景
石動山の参道と石段の様子

開山は、紀元前92年(崇神天皇6年)もしくは717年(養老元年)と言われているそうです。古すぎます。
しかし、時の政情に巻き込まれ、南北朝時代と戦国時代に二度焼き討ちにあったとのこと。
それでも、その後に再建が行われている。場所としての重要性が、ずっと続いていたのだと思います。

足利尊氏
豊臣秀吉

この2人の名が出てくる時点で、スケールが大きいです。

「伊須流岐比古神社」

いするぎひこじんじゃ」と読みます。

伊須流岐比古神社の鳥居と参道
伊須流岐比古神社の社殿正面
伊須流岐比古神社境内の様子
杉木立に囲まれた石動山の参道

水が抜群にキレイです。

「石動山天平寺」

石動山天平寺跡の広い境内
石動山天平寺跡に残る礎石列

ものすごい広さです。この施設跡を全て見学しようとすると、一日では足らないように思います。

これほどの大規模なものですが、明治の廃仏毀釈で廃寺になったとされます。あれだけの規模が一気に途切れる、というのも歴史の急転換を感じます。

現存する唯一の遺物 旧観坊

山城Q
山城Q

たまたま、改装工事が行われており、見学させていただきました

県指定文化財

石動山旧観坊の外観

この欅(けやき)と思われる板の扉などは、かなり貴重かもしれません。

旧観坊の板戸と柱周りのディテール

入母屋造り、平入り、茅葺で、側回り柱上の絵様舟肘木や内部の部屋の構えなどが特徴とのこと。近年まで農家住宅として使われていたそうです。

旧観坊内部の座敷と梁の様子

この囲炉裏などは、年代を感じます。

旧観坊内部に残る囲炉裏

石動山城

石動山城へ向かう登城道と切通し

城までの登城道はしっかりしています。切通道は大きい。

石動山城登城道の斜面と切通し
石動山城山頂部の曲輪周辺
石動山城外周の空堀と土塁

山頂に到着。城遺構としては単純で、外周空堀と土塁がある程度です。上杉家との関係が強かったようで、畠山家の七尾城攻めでは上杉軍がここに陣を構えたとのこと。ただ、もとはこの寺域を守る詰城的な性格が強かったのでは、と思いました。

石動山山頂部のハイキング周遊ルート

ぐるりと周遊ハイキングルートとなっており、様々な遺構や柱跡などを見ることができます。

石動山の柱跡が並ぶ一画

全てに建物があったと考えると、ものすごい規模だったことでしょう。

苔むした石動山の礎石

礎石も苔むしており、風情があります。落ち着きます。

この城の概要

石動山城は、石川県羽咋郡宝達志水町の石動山(標高約564m)山頂部に位置する詰城的な山城で、石動山天平寺をはじめとする大規模な神仏習合の寺院群を防御する役割を担っていました。

外周を巡る空堀と土塁が主な遺構で、寺域の守りとして築かれたと考えられ、戦国期には上杉勢が陣を構えた記録が残っていますが、畠山氏の七尾城攻めに関連する詰城としての性格が強いとされています。

現在は国指定史跡となっており、伊須流岐比古神社・天平寺跡・旧観坊などの寺院遺構と城跡が重なる独特の空間が残り、苔むした礎石や杉木立の参道を歩くことで、宗教と軍事の層が溶け合う静かな山城体験が可能です。

地質 その周辺状況

非常に気になります。地質から見てみますと、

石動山周辺の地質図と断層分布(加筆入り)
引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日)より山城渡りQが加筆・修正したもの(スマホで拡大可能)

七尾城と近いと言っても、間に「コロサ断層」という断層が走っています。能登半島は現在でも隆起している場所であり、地震が半島の成り立ちに深く関与しているとのこと。コロサ断層を境に石動山付近は変成岩が多い一方、七尾城方面は砂岩・礫岩が多い地域です。

石動山・七尾周辺の地質帯と断層の位置関係
引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日)より山城渡りQが加筆・修正したもの(スマホで拡大可能)

どうも深層には花崗岩が存在しており、七尾湾や能登島にかけて大きなカルデラ湖があった様子が指摘されています。

石動山と七尾湾周辺のカルデラ構造の概念図
引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日)より山城渡りQが加筆・修正したもの(スマホで拡大可能)

頂上であった石動山から湖底に崩れた砂岩・礫岩が、やがて隆起してできたのが七尾城がある城山だという学説があります。そのような地殻変動が多い場所のようです。

<引用文献>
絈野義夫編1965『能登半島の地質』「能登半島学術調査書」石川県 
絈野義夫編1993『新版・石川県地質図(10万分の1)・石川県地質誌』石川県 
野村正純1996『七尾市自然環境調査報告書』「地質・化石」七尾市 
野村正純2001『17.七尾周辺―地層と化石― 北陸の自然をたずねて』
北陸の自然をたずねて編集委員会〔新改訂〕日曜の地学6 築地書館 

山城Q
山城Q

人を寄せ付ける

強烈なパワーがあるのかもしれません

この山城の魅力|3つのポイント

① 体験価値(ウェルネス)
神仏習合の霊域に足を踏み入れながら歩くことで、自然と背筋が伸び、静かな集中状態に入りやすくなります。森の空気と歴史の層に包まれた参道から山頂部へ進む流れは、歩きながら気持ちが落ち着いていく時間になりました。

歩いている間、ずっと水の音がどこかで続いており、気が付くと、その音を「聞こう」ともしていませんでした。

② 遺構の固有性
寺院遺構と城跡が重なる構成は珍しく、宗教空間と軍事拠点が同居した独特の景観が残っています。城遺構は外周空堀と土塁が中心で、寺域を守る詰城的な性格を感じさせる点が特徴です。

③ 景観・地形の固有性
能登半島の山並みを見渡す高所に位置し、木立と地形がつくる静かな空気感が印象に残ります。緩やかな稜線上に寺域が広がり、その一角に城域が重なる配置も、この山の個性だと思います。

周辺観光・温泉(地域共鳴)

歴史スポット

グルメ
能登牛を提供する郷土料理店が中能登町周辺に点在しています。

免責

本記事は、現地での観察メモをもとに整理し、筆者なりの解釈を加えた記録です。史実の正確性を保証するものではありません。また、整備状況・所要時間・交通手段・施設情報等は変更される可能性がありますので、訪問の際は必ず最新情報をご確認ください。

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