基本情報
形態:山城
標高:564m
城の整備:駐車場
所要時間:1時間
訪問日:2012年9月
駐車場 アクセス
七尾城の南方に、石動山という山岳信仰の聖域があります。しかも、現在は国指定史跡となっており、当時の壮大な伽藍や建物の跡を見学することができます。
相当な規模です
2度の戦乱で灰燼に帰したとしても、必ず再興する人が現れ、また復活する。しかし明治の廃仏毀釈を経て、廃寺となったようですが、
なぜ、ここにはそれほどのパワーがあるのか
地質 その周辺状況
非常に気になります。地質から見てみますと、
七尾城と近いと言っても、間に「コロサ断層」という断層が走っています。能登半島は、現在でも隆起している場所であり、地震が半島の成り立ちに深く関与しているとのこと。コロサ断層を境に石動山付近は、変成岩が多いが七尾城方面は、砂岩・礫岩が多い。
どうも、深層には、花崗岩が存在しており、七尾湾や能登島にかけて大きなカルデラ湖があった様子
頂上であった石動山から湖底に崩れた砂岩・礫岩がやがて隆起してできたのが七尾城がある城山だ
という学説があります。そのような地殻変動が多い場所のようです。
<引用文献>
絈野義夫編1965『能登半島の地質』「能登半島学術調査書」石川県
絈野義夫編1993『新版・石川県地質図(10万分の1)・石川県地質誌』石川県
野村正純1996『七尾市自然環境調査報告書』「地質・化石」 七尾市
野村正純2001『17.七尾周辺―地層と化石― 北陸の自然をたずねて』
北陸の自然をたずねて編集委員会〔新改訂〕日曜の地学6 築地書館
人を寄せ付ける
強烈なパワーがあるのかもしれません
神仏習合の山
開山は、なんと紀元前92年(崇神天皇6年)もしくは717年(養老元年)と言われている。古すぎます。
しかし、時の政情に巻き込まれ南北朝時代と戦国時代に二度焼き討ちにあったとのこと。しかし、その後、焼き討ちをした本人
足利尊氏
豊臣秀吉
によって再建されている。それほどに、重要な場所だった
「伊須流岐比古神社」
「いするぎひこじんじゃ」と読みます。
水が抜群にキレイです。
「石動山天平寺」
ものすごい広さです。この施設跡を全て見学しようとすると、一日では足らないように思います。
これほどの大規模な物ですが、廃仏毀釈のために、廃寺となったらしいですが、そんなに簡単に信仰を諦められるものなんでしょうか。それほど、廃仏毀釈というのは影響力が強かった!?
現存する唯一の遺物 旧観坊
たまたま、改装工事が行われており、見学させていただきました
県指定文化財
この欅?板の扉などは、貴重かもしれません
入母屋造り、平入り、茅葺で、側回り柱上の絵様舟肘木や内部の部屋の構えなどらしい。近年まで農家住宅だったとのこと
この囲炉裏などは、年代を感じます
石動山城
城までの登城道はしっかりしています。切通道は大きい
山頂に到着。城遺構としては、単純です。外周空堀と土塁がある程度。上杉家との関係が強かったようで、畠山家七尾城攻めでは、上杉軍がここに陣を構えたとのことですが、もとは、このお寺の詰城的なものだと思いました
ぐるりと周遊ハイキングルートとなっており、様々な遺構や柱跡などを見ることができます。
全てに建物があったと考えると、ものすごい規模だったことでしょう。
最盛期の中世では、360余りの院坊と、僧侶3千人が暮らしていたと伝えられる
コメント