山城ACTレベル:中級 ★★☆
山城Wレベル:W2 ★★☆

この山城の魅力|3つのポイント
① 体験価値(ウェルネス)
神仏習合の霊域に足を踏み入れながら歩くことで、自然と背筋が伸び、静かな集中状態に入りやすくなります。森の空気と歴史の層に包まれた登城路は、心を落ち着かせる“内省歩行”の時間になります。
② 遺構の固有性
寺院遺構と城跡が重なる構成は珍しく、宗教空間と軍事拠点が同居した独特の景観が残っています。土塁・空堀は控えめながら、寺域を守る詰城的な性格を感じさせる配置が特徴です。
③ 景観・地形の固有性
能登半島の山並みを見渡す高所に位置し、霧や木立が織りなす神秘的な空気感が印象に残ります。緩やかな稜線と寺域の広がりが、穏やかな山の表情をつくっています。
神仏習合の山


開山は、なんと紀元前92年(崇神天皇6年)もしくは717年(養老元年)と言われている。古すぎます。
しかし、時の政情に巻き込まれ南北朝時代と戦国時代に二度焼き討ちにあったとのこと。しかし、その後、焼き討ちをした本人
足利尊氏
豊臣秀吉
によって再建されている。それほどに、重要な場所だった。
「伊須流岐比古神社」
「いするぎひこじんじゃ」と読みます。




水が抜群にキレイです。
「石動山天平寺」


ものすごい広さです。この施設跡を全て見学しようとすると、一日では足らないように思います。これほどの大規模なものですが、廃仏毀釈のために廃寺となったらしいですが、そんなに簡単に信仰を諦められるものなんでしょうか。それほど、廃仏毀釈というのは影響力が強かった!?
現存する唯一の遺物 旧観坊

たまたま、改装工事が行われており、見学させていただきました
県指定文化財

この欅(けやき)と思われる板の扉などは、かなり貴重かもしれません。

入母屋造り、平入り、茅葺で、側回り柱上の絵様舟肘木や内部の部屋の構えなどが特徴とのこと。近年まで農家住宅として使われていたそうです。

この囲炉裏などは、年代を感じます。

石動山城

城までの登城道はしっかりしています。切通道は大きい。



山頂に到着。城遺構としては単純で、外周空堀と土塁がある程度。上杉家との関係が強かったようで、畠山家七尾城攻めでは上杉軍がここに陣を構えたとのことですが、もとはこのお寺の詰城的なものだと思いました。

ぐるりと周遊ハイキングルートとなっており、様々な遺構や柱跡などを見ることができます。

全てに建物があったと考えると、ものすごい規模だったことでしょう。

礎石も苔むしており、風情があります。癒される。
アクセス・駐車場
車の場合
能越自動車道「七尾IC」から石動山方面へ進み、案内板に従い駐車場へ向かいます。
公共交通機関
JR七尾線「良川駅」からタクシー利用が便利です。
トイレ
石動山参道付近および駐車場周辺に設置されています。
この城の概要
石動山城は、石動山の宗教施設群を防御拠点として活用した詰城的な山城で、七尾城を拠点とした畠山氏と関係の深い場所とされています。戦国期には上杉勢が陣を構えた記録も残っており、寺院の防衛機能として築かれた点に、この地の特異性が見られます。
出典・参照元:現地案内板、石川県文化財資料、地域史資料 等
現在は国指定史跡となっており、当時の壮大な伽藍や建物の跡を見学することができます。
山城ACTレベルと山城Wレベル
山城ACTレベル:中級 ★★☆
標高約564mの山頂部に寺域と城跡が広がり、駐車場からは緩やかな登りが続きます。舗装路と山道が混在しつつも登城道はよく整備されており、軽いハイキング感覚で歩ける行程です。一定の登りと周遊の距離を考慮し、体力的には「散歩以上・本格登山未満」の中級★★☆と判断しています。
山城Wレベル:W2 ★★☆
神社・寺院跡・城跡が一体となった空間を歩くことで、「信仰の山」としての時間の積み重なりにじわじわと浸っていけます。苔むした礎石や杉木立の参道、霊域特有の静けさが、内省的なモードへの切り替えを後押しします。行程は無理なく回れる一方で心の深まりは大きく、W2(★★☆)のなかでも“静かに整うタイプ”の山城ウェルネスと位置づけられます。
主なルート
・石動山駐車場 → 伊須流岐比古神社 → 石動山天平寺跡一帯 → 旧観坊 → 石動山城(山頂部) → 周遊ハイキングルートで伽藍跡をめぐり駐車場へ(周遊で約1〜1.5時間)
累積標高差と所要時間
累積標高差:約150m / 所要時間:約1〜1.5時間(寺域と山城を一巡した場合)
地形の特徴
能登半島内陸部の独立峰状の山頂に伽藍跡と城跡が展開し、穏やかな稜線上に堂宇跡・礎石・外周空堀が連なる構成です。急峻さよりも「広がり」と「静けさ」が際立つ山城と霊山の複合空間です。

相当な規模です
2度の戦乱で灰燼に帰したとしても、必ず再興する人が現れ、また復活する。しかし明治の廃仏毀釈を経て廃寺となったようですが、

なぜ、ここにはそれほどのパワーがあるのか
地質 その周辺状況
非常に気になります。地質から見てみますと、

七尾城と近いと言っても、間に「コロサ断層」という断層が走っています。能登半島は現在でも隆起している場所であり、地震が半島の成り立ちに深く関与しているとのこと。コロサ断層を境に石動山付近は変成岩が多い一方、七尾城方面は砂岩・礫岩が多い地域です。

どうも深層には花崗岩が存在しており、七尾湾や能登島にかけて大きなカルデラ湖があった様子が指摘されています。

頂上であった石動山から湖底に崩れた砂岩・礫岩が、やがて隆起してできたのが七尾城がある城山だという学説があります。そのような地殻変動が多い場所のようです。
<引用文献>
絈野義夫編1965『能登半島の地質』「能登半島学術調査書」石川県
絈野義夫編1993『新版・石川県地質図(10万分の1)・石川県地質誌』石川県
野村正純1996『七尾市自然環境調査報告書』「地質・化石」七尾市
野村正純2001『17.七尾周辺―地層と化石― 北陸の自然をたずねて』
北陸の自然をたずねて編集委員会〔新改訂〕日曜の地学6 築地書館

人を寄せ付ける
強烈なパワーがあるのかもしれません
周辺観光・温泉(地域共鳴)
歴史スポット
・石動山伊須流岐比古神社
・七尾城跡
グルメ
能登牛を提供する郷土料理店が中能登町周辺に点在しています。
まとめ
石動山城は、宗教と軍事が穏やかに交錯する、日本でも稀な山城空間です。険しさではなく「静けさ」を伴う登城体験は、自己と向き合う時間を生み出しやすい場所と言えます。
寺域と城跡が自然に溶け合う風景のなかで歩くことで、歴史と土地との静かな共鳴を感じられる、まさに山城ウェルネスの象徴的な地です。
免責
本記事は個人的な体験および公開資料に基づいて構成しており、内容を断定するものではありません。訪問の際は最新の交通情報・気象情報・現地案内を確認のうえ、安全に配慮して行動してください。






コメント