高知

【高知県】岡豊城 超苦鉄質岩丘の山城 と 高知城(番外)苦鉄質岩丘の丘城

基本情報

 岡豊城
 形態:山城
 史跡指定:国指定史跡
 標高:97m
 城の整備:高知県立歴史民俗資料館の駐車場
 所要時間:30分
 訪問日:2013年4月

 高知城
 形態:平丘城
 史跡指定:国指定史跡
 標高:45m
 城の整備:駐車場
 所要時間:1時間
 訪問日:2013年4月

岡豊城 駐車場 アクセス

高知城 駐車場 アクセス

周辺に多数のコインパーキングがあります。

高知市周辺 地質 環境

今回、山城と平山城をセットでご紹介します。なぜなら、全国的にも珍しい地質層にお城が出来ているからです。岡豊城を見学した際に、疑問に思ったのはその「石積み」でした。ここは、あの長曾我部家の本城であるのに、なぜ、石垣や石積みはこのレベルなのかという点でした。その程度具合に

山城Q
山城Q

SO SAD。。。

しかし、この高知市の地質全体を確認すると、「城を造るのは、ここしかない!」と気が付き、石垣や石積みについても、

山城Q
山城Q

石材集めに苦労しただろう

と思ったのでした。そして、ここで使われている岩石は

山城Q
山城Q

レア度が高い!

ということです。他県ではあまり見ないと思います。(徳島城の緑色片岩も珍しいですけど)

引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日) より山城渡りQが加筆・修正したものである (スマホで拡大可能)

岡豊城高知城は、立地的には近い場所にあります。しかし、非常に城造りに難しい土地です。

この四国地方は、主に海洋プレートが大陸プレートに沈み込む環境で形成されており、世界でも非常にまれな複雑な地質の地域である。

特に、この沈み込み帯では、地下浅部で付加体が、地下深部では変成岩や深成岩が、さらに表層では浅海成層とマグマの噴出による火山岩が形成される

国立研究開発法人産業技術総合研究所 四国に残された日本列島5億年の歴史 -20万分の1地質図幅「高知」(第2版)-

ということになります。つまり、高知の地下の話ですが、海洋プレートは、海洋地殻とその下のマントルの一部からなります。

海洋地殻は、海嶺で噴出した玄武岩溶岩の上に、深海堆積物や海山を載せています。これらの一部は海洋プレートが沈み込むときに、海溝にたまった土砂とともに大陸側に押しつけられ、はぎ取られてしまいます。これを付加作用といい、はぎ取られた地質体を「付加体」といいます。

はぎ取られた土壌が集まった場所、それが高知市周辺。

引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日) より山城渡りQが加筆・修正したものである (スマホで拡大可能)

つまり、この地図では、黄色い部分が「付加体」であり、高知城がある赤いところが「変成岩」、岡豊城がある「火成岩」を表しています。そして、もう少し具体的に岩石を調べてみると、

引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日) より山城渡りQが加筆・修正したものである (スマホで拡大可能)

岡豊城は、超苦鉄質岩である「蛇紋岩」
高知城は、苦鉄質岩である「片麻岩、角閃岩が多い」

ということになります。岡豊城の蛇紋岩は、上部マントル(地下:数10km~400km)が地表に出た物ということです。なかなか他ではみないレア度高めの岩石です。

さらに、この土地は、

引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日) より山城渡りQが加筆・修正したものである (スマホで拡大可能)

地質層の境目は、川があることが多いのですが、高知市周辺では鏡川・久万川・国分川などが存在しています。特に、高知城がある大高坂山は、左隣の丘と繋がっていたように見えます。

実は実際に、江ノ口川による浸食を受け、独立したのが高知城がある「大高坂山」となります。これを「残丘」といい、城を造るには絶好の候補地となります。

山城Q
山城Q

岡豊城、高知城の立地は、絶好の場所

がしかし、高知城は、度々水害に悩まされることになります。それは、上の地図からも読み取れます。
鏡川と江ノ口川に挟まれた「デルタ地帯」

長曾我部元親は、岡豊城から大高坂山に本城を移したが、治水に失敗。のちの山内家は「河中山」と命名しましたが、城下町建設を進める過程でも水害に悩まされ、やはり治水に失敗。そこで、「河中」という名前が不吉だと「高智山」へと改め、やがて「高智」から「高知」へと変化していくのでした。

山城Q
山城Q

高知の由来を知りました。

岡豊城の遠望

岡豊城方面を見上げる。しっかりとした高台にあります。

岡豊城 縄張り図 現地看板

現地案内

この城の各曲輪の呼び方は、「曲輪」ではなく「段」というようです。特に、「本丸」は「詰」と呼びます。城としては、それほど技巧的ではありません。

岡豊城 城域に入る

四ノ段

三ノ段

ここなのです。かつては、「岡豊城には石垣はない」と考えられていたぐらい石垣・石積みの存在感が薄い。と真っ先に感じていました。あの長曾我部の本城というのなら、もっとバキバキに石垣があると思っていただけに。ちょっと拍子抜けしたのですが、それが地質を確認するキッカケになりました。

詰(本丸)

詰下段

二ノ段からの眺望

気づき 

・地形から考えると、高台で見晴らしが素晴らしく、絶好のロケーション

参考文献:史跡 高知城跡 三ノ丸石垣整備事業に伴う発掘調査報告書 2010.3 高知県教育委員会 ㈶高知県文化財団埋蔵文化財センター など

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