基本情報
形態:山城
標高:350m
城の整備:登城道あり
所要時間:1時間30分
訪問日:2020.02
駐車場 アクセス
立派な駐車場が二か所あります。管理人は、下の駐車場から登城しました。
地質を確認
黒瀬城というので、「もしかして、あの謎の黒瀬川構造帯との関係があるのでは!?」と思い、地質図を確認してみました。しかし、
そこは関係ない
ということがわかりました。ちょっと距離が遠いです。
この黒瀬川構造帯は、周りに見られる岩石と全く異なる特徴を持つ岩石を見ることができる場所なのです。
しかも、総延長1,000kmにも及ぶ特異な大規模な断層帯で、九州から四国を経て関東に至るまで、西南日本の東西に分布しています。初めて研究されたのが、城川町にあった旧黒瀬川村のため、「黒瀬川構造帯」と名づけられた様子。
特徴は、周りの黄色い部分は、2億年前程度の「付加体」ですが、その中に、はるかに古い4億5,000万年前の岩石が見られることです。
また出てきた「付加体」
「付加体」では海でできた岩石がみられますが、黒瀬川構造帯では「大陸でできた岩石」が見られます。さらには、暖かく浅い海で生きていたサンゴの化石(ハチノスサンゴ)も見つかっています。黒瀬川構造帯は、遠い大陸に存在していた大地の一部ではないかと考えられています。
その大陸の岩石は、「超苦鉄質岩」である
「蛇紋岩」
そうです。この黒い帯の岩石は「蛇紋岩」であり、岡豊城の石垣はこの「蛇紋岩」で出来ているというわけです。超レア。
※参考:四国西予ジオパークHP参考
そんな黒瀬地区ですが、ここ黒瀬城と岡城は、黄色の付加体の中にあり、堆積岩の「チャート」と「泥岩」層にあります。つまり、海洋プレートが沈み込むときに、海溝にたまった土砂とともに大陸側に押しつけられ、はぎ取られた場所。
黒瀬城に登城してすぐに出会った重なった堆積層。叩くことを忘れたのですが、たぶんチャートだと思います。海底のモノがここまで隆起したということですね。
これだけでも感動モノ。無骨
城域に入る
この日は、野球かなんかの大会があり、思いっきり県外ナンバーの真っ赤なMINIだったので、かなり怪しまれました。しかも、みんな野球のユニフォームですが、一人、登山装備でしたので。あるあるですけど。
入口から登りますと、すぐに土塁と竪堀が見えます。
東屋 対岸の松葉城
この先に、旧城の「松葉城」があります。
土塁と水溜めの池
三の郭
作りとしては、しっかり残っています。
一の郭
連郭式の山城です。
土塁と空堀
サイドには空堀。作り方としては、古く室町時代かなあと思ことも。それにしても、この黒瀬城は、戦闘的山城というより、「ドン」と構えたタタズマイというか、落ち着いた感じを受けます。その理由は、対岸の「松葉城」に登ると、その理由が分かると思います。
さらに奥へ
一の曲輪裏のこの堀切を越えると
舗装された道を発見。「たぶん、林道かなあ~」と思いながも、進む
林道
やはり林道にでました。ここは思いっきり作業場。ほんと雨の日でなくて良かった。しかし、ここで方向感覚がおかしくなりました。奥にある岡城に行きたいのですが、別の道に出てしまった。この後のこともあるので、戻ること時間が欲しいと思った管理人は、
直登して岡城へ
先ほどの踊り場から、まっすぐに直登することにしました。すると、空堀?を見つけました。
再び城域に入る
やがて、どこかの曲輪に出ました。ここは岡城。それにしても、先ほどの黒瀬城とは全く雰囲気が違う。堅固に土塁で囲っている。
しかも、これは、ちょうど木の伐採直後の様子。枝打ちされ、光が入って非常に遺構が見やすい。林業の作業員の皆さま、ありがとうございます。伐採直後で草もなく、素晴らしいです。来てみるもの。
ここがみどころですね。
この主郭手前の郭の土塁の「分厚さ」。これクラスはあまり見ないですね。太い。しかも、かなり綺麗に残っていて、ハッキリ確認することが出来る。これは、映画の
ベトナム戦争の悲惨で過酷な真実を徹底したリアリズムで描写した、1987年製作の戦争ドラマ。
に出てきそうな丘陵。まさに「岡城」。
主郭
主郭周辺の土塁も太く高い。
気付き
100名城の黒瀬城と岡城。とくに、この二城の性格は違うように思えました。黒瀬城は、「居城」という感じでドンと構えた雰囲気でしたが、岡城は「詰城」という感じで、堅固な土塁が強固さを物語っておりました。
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