愛媛

【愛媛県】松葉城 織田家岐阜城との共通点 やっぱり殿様はこの地質を好む

基本情報

 形態:山城 
 標高:410m
 城の整備:登城道あり 
 所要時間:1時間30分
 訪問日:2020.02

駐車場 アクセス

登り口は、ここになります。この坂は道が細く、軽自動車以外は諦めた方が良いです。しかも車を停めて置ける場所はありません。離れた場所に停めて、歩いた方が賢明です。

地質を確認

引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日) より山城渡りQが加筆・修正したものである (スマホで拡大可能)

この地質を見た時に、「お!これはあそこと似ている」とピンときました。ここは、「付加体」地質で、堆積岩の「チャート」と「砂岩・泥岩」が交互に存在しています。松葉城は、チャートの上に出来た堅固な山城です。ちなみに、どこと似ているかと申しますと

引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日) より山城渡りQが加筆・修正したものである (スマホで拡大可能)
山城Q
山城Q

岐阜城!!

なのです。こちらも堆積岩の「チャート」と「砂岩・泥岩」が存在しており、長年の風化で砂岩・泥岩が流れで、硬いチャートが剥き出しになったということです。

チャートは、別名「火打石」と言われるほど相当に硬い。しかも、泥岩や砂岩よりもさらに深い場所に堆積した「化石」ですので、それが地上に剥き出しなっているということは、いかに海洋地殻の動きが力強いかということを物語っています。

引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日) より山城渡りQが加筆・修正したものである (スマホで拡大可能)

それにしても、この「松葉城」の立地を確認すると、良い場所に築城していると思います。織田信長の岐阜城も似たような突端に造られておりますし、街道を抑え、標高も高いので攻めにくく守りやすい城だったと思います。

西園寺家は、この辺りの王様ですから、岐阜城の織田信長と言い、チャート層は、王様に愛されるのですね。

城域に入る

チャート岩石祭り

至る所に転がっています。硬いので踏むと「カラコロ」と音がします

途中の空堀と竪堀壕にも大量のチャート岩石があります。これは、投石にもってこいですね。当たると相当に痛いでしょうし。

道は整備されているので、スイスイ登ることができます。

巨魁チャートで出来た山城

山城Q
山城Q

チャートが剥き出し。大きい

頂上に着きました

広い空間に何段かあります。

先端は、堀切で仕切られております。

この空間は、なんというか優雅な雰囲気です。戦うための城という気がしません。実際に「酒宴」なども開かれており、その際に、松の葉が落ちてきた。松の葉は縁起物ということで、城名が「岩瀬城」から「松葉城」に変わったらしい。その雰囲気は分かります。

山城Q
山城Q

さすが、雅です

眺望

岐阜城よりは標高は高いが、比高は低いものの、良く見渡せます。岐阜城から城下を見渡した織田信長に近い気分も味わえます。こちらの城主は、名門・西園寺家!

堀切

堀切もあります

チャートテーブルにようこそ

山城Q
山城Q

なんだここは

最高所にきてみれば、ここは巨大なチャート岩石の上に出来た山城だということが良く分かります。それにしてもさっきよりも高い。見晴らし最高。

気づき

しかし、なぜ、このような堅固な山城なのに、隣の黒瀬城に引っ越しをしたのだろうかと少し考えてみました。おそらく、理由としては

「拡張性が悪い」

ことが原因ではないでしょうか。城自体が超巨大なチャート岩石の上にあり、これ以上広げられない。また、チャートは硬く加工しづらい。なんせこのテーブルですから。そこで、もっと扱いやすい黒瀬城に移ったような気がします。

黒瀬城・岡城では、黒瀬城の部分がこの松葉城のような「優雅な迎賓館的役割」を果たし、奥には岡城のよな詰城を築くことで、戦国としての防備を固めたと感じました。

コメント