山城Qの城歩きノート|古代山城入門
山の上に、ぐるりと続く城壁。大きな門、谷に設けられた水門、そして想像以上に広い城内。
古代山城を初めて歩いたとき、「日本に、こんな城があったのか」と驚きました。
始まりは、鬼ノ城へのちょっとした寄り道
2014年8月。岡山県の備中松山城へ向かう途中、総社市の鬼ノ城(きのじょう)にも立ち寄ることにしました。
そのときは、古代山城について詳しかったわけではありません。正直なところ、「ちょっと寄ってみるか」くらいの気持ちでした。
ところが、実際に歩いてみて驚きました。
山の斜面を延々と巡る城壁。大きな門。広々とした内部空間。これまで見てきた戦国時代の山城とは、何もかもが違っていたのです。
このときの衝撃が、その後の古代山城歩きにつながっていきました。
古代山城って、どんな城?
古代山城は、主に7世紀ごろから築かれた大規模な山の施設です。北部九州や瀬戸内を中心に、城壁や土塁、門、水門などの遺構が残っています。
戦国時代の山城では、山頂や尾根筋に曲輪(くるわ)を重ね、堀切や虎口を設ける例が数多く見られます。
それに対して古代山城では、山の広い範囲を、長い外郭線で囲む構造が目を引きます。
もちろん、どちらも城によって姿は異なります。それでも、山を歩いたときに感じる空間の大きさは、古代山城ならではの魅力です。
見どころは、城壁だけじゃない
古代山城を歩くとき、私がぜひ見てほしいのは「城壁・門・水門」の3つです。
たとえば鬼ノ城では、全長約2.8kmの城壁に、4つの城門と6つの水門が確認されています。城内からは建物や倉庫、水場などの遺構も見つかっています。
城壁の迫力だけでなく、人が通る場所、水が流れる場所、広い内部がどう結ばれているかを眺めると、歩く面白さがぐっと増します。
なぜ、こんな大きな城を造ったのか
古代山城の歴史を語るとき、よく登場するのが663年の白村江(はくすきのえ)の戦いです。
倭と百済の連合軍は唐・新羅の連合軍に敗れ、その後、日本列島への侵攻を警戒する動きが強まりました。『日本書紀』には、665年に大野城や基肄城が築かれたことが記されています。
一方、鬼ノ城のように当時の史書に名前が見えない城もあります。鬼ノ城は発掘調査から7世紀後半の築造が有力とされていますが、古代山城のすべてが同じ時期、同じ目的で造られたと決めつけることはできません。
そして、なぜあれほど大きな範囲を囲ったのか。城壁や門は、単に外敵を防ぐためだけだったのか。現在も考える余地のある問いです。
難しく考える必要はありません。まず現地で、「どうして、ここに門を置いたんだろう?」と思うだけで、山城歩きはぐっと面白くなります。
最初に歩いてほしい古代山城
鬼ノ城|岡山県総社市
大きな城壁と復元された西門が印象的。古代山城らしいスケールを感じたいなら、まず訪ねたい一城です。
大野城|福岡県太宰府市ほか
山の尾根や谷を結ぶ大規模な外郭が特徴です。百間石垣など、山中に残る石積みの迫力は格別です。
屋嶋城|香川県高松市
瀬戸内海を見渡す屋島に残る古代山城。門や城壁の遺構を見ながら、山と海の関係を感じられます。
古代山城には、短時間で見学できる場所も、本格的な山歩きになる場所もあります。整備された場所だけを見て「すべて歩きやすい」と思わず、立入規制・天候・登城道・所要時間を確認して出かけましょう。
おわりに|まずは、歩いてみる
古代山城を理解するには、歴史の本も大切です。でも、私は現地を歩いて初めて気づくことが、たくさんあると思っています。
山の大きさ、城壁の長さ、門の位置、谷を流れる水。写真だけでは分からないことが、足を運ぶと少しずつ見えてきます。
「日本に、こんな城があったのか」。
私が鬼ノ城で感じたあの驚きを、ぜひ一度、味わってみてください。
そして、歩いたあとは温泉へ。そんな山城の楽しみ方を、このブログでは「山城ウェルネス」として紹介しています。
古代山城の築造目的や構造についての専門的な研究は、別途Topos Field Lab(TFL)で整理していきます。



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