山城ACTレベル:上級 ★★★
山城Wレベル:W3 ★★★

山城ウェルネス
山城ACTレベル:上級 ★★★
登山口から砂利まじりの急斜面が続き、浮石も多く滑りやすい登りが一定時間続きます。その後も米山城 → 砥石城 → 本城 → 枡形城と、尾根上で細かなアップダウンが連続します。全体として負荷が高く、足元の難しさもあるため、ACTレベルは上級(★★★)としました。
山城Wレベル:W3 ★★★
苦しい登りのあとに尾根上の城域をたどる流れが長く、地形そのものが防御になる山城の感覚に深く入っていけます。
泥岩・砂岩が砕けた斜面の滑りやすさを体感しながら進むため、地形条件が歩行体験として強く残ります。全体の密度が高く、没入感が続くためW3(★★★)と判断しました。
主なルート
登山口・山門 → 急斜面の登城道 → 分岐から米山城 → 分岐に戻り砥石城 → 本城・馬場・段郭 → 北端の枡形城を経て折り返し
累積標高差と所要時間
累積標高差:未計測 / 所要時間:未計測
アクセス・駐車場
車の場合
- 上田市街から砥石城登山口方面へ向かい、案内板に従って山道を進むと、登山口近くの駐車スペースに到着します。
- 駐車場から山門まではすぐですが、その先は登山道となるため、服装や装備は登り始める前に整えておくと安心です。

現地レポート

左から米山城、砥石城、中間地点が本城、右が枡形城となります。尾根筋の連なりと斜面の急さが外からも分かります。


山門

登りの厳しさを示すような石碑です。ここではまだ余裕だと思っていましたが、結果的に内容どおりでした。

マスコットと案内板を確認して、ここから登城開始です。
苦しい登城道

この道です。一定時間、急登が続きます。浮石が多く、滑りやすいのが厄介です。

足元は泥岩が砕けた砂や砂利が混ざっているように見え、踏ん張りが効きにくい区間があります。今はグリップの強い登山靴なので進めますが、草履やワラジだと相当きつかっただろうと思いました。
これが、この難所の

正体
ではないかと思えるくらいです。
(中間分岐点)から米山城へ


ここまで滑りやすい道を二歩進んで一歩下がりながら分岐まで到着。

割と疲れました。


ロープがある区間もあります。滑りやすいので、必要に応じて頼った方が安全です。さらに下りの方が滑りやすいので、膝に不安がある方はストックがあると助かります。
米山城


主郭部はシンプルです。出城のような位置づけに見えました。

「村上義清公之碑」が立っています。ここはかつて村上義清の城だと紹介されています。
砥石城へ移動
分岐に戻り、今度は砥石城方面へ進みます。道の厳しさはまだ続きます。どこまで侵入できたかは分かりませんが、足軽は相当きつかっただろうと思いました。


普段あまりロープは使いませんが、この区間は頼った方がスムーズでした。

そして、この七曲り階段。

先が見えない
気力を削がれます。階段の間隔と歩幅が合わないところもあり、地味にしんどいです。

道中、石垣のように見える砂岩の露出があります。堆積層が傾いたまま露出しているのだろうと感じました。
砂岩を加工した階段

登りづらい区間に、砂岩を加工した階段があります。歩行の負担を下げる意図があったのだろうと思いました。福岡の怡土城にも、岩を加工した階段があります。

砥石城に到着


展望


本城へ続く
馬場

馬場は広いです。

ここから雰囲気が変わります。米山城・砥石城が比較的コンパクトに感じたのに対し、本城は馬場があり、その先に段郭が続きます。

石垣なども


お約束の矢竹の藪

結構、あちこちにあります。いつも思うのですが、本当にこれで矢が造れたのかどうかは気になります。
枡形城へ
さらに尾根道を進みます。ここは比較的歩きやすい区間でした。



北端の枡形城に到着しました。小城ですが、位置的には詰城のようにも見えます。
枡形門

枡形門の形に見える地形です。山城の枡形なので不明瞭な部分はありますが、現地で確認できて良かったです。
気になる列石群

龍の背びれのように見える砂岩列です。堆積した層が傾いたまま露出し、上部が削られて残ったものだろうと思いましたが、自然の造形としても目を引きます。
気づき
山城としては、目立つ石垣や大規模空堀、堀切が多いタイプではありません。一方で、砂利状の斜面にこれほど苦しめられる城は珍しいと感じました。足元の条件そのものが、防御の中心になっているように見えます。
堆積岩が分布する土地なので、場所によっては化石が見つかる可能性もありそうですが、現地では確認できていません。


まさにおっしゃる通り!
この城の概要
砥石城は、長野県上田市武石地区に位置する戦国期の山城で、村上義清の重要拠点として知られ、千曲川沿いの尾根上に築かれました。
1550年(天文19年)の砥石崩れでは、武田信玄の侵攻に対し村上義清が迎撃するも、武田軍の猛攻により落城し、村上氏の北信濃支配が大きく揺らぐ決定的敗北となりました。
現在は史跡として整備されており、二の丸・本丸間の深い堀切や曲輪群が残り、砥石崩れの激戦地としての歴史的意義を体感できる山城です。
地形・地質のポイント
(フォッサマグナと砥石城)

広い地質図で見ると、上田市を含むエリアに堆積岩がまとまって分布しているのが分かります。砥石城周辺でも、泥岩・砂岩・礫岩などの堆積岩が関係しているとされます。

海成層泥岩!!!
地質用語としては海成の堆積物が含まれるとされ、過去の環境が現在の地形に影響していることが分かります。

フォッサマグナ帯に含まれる
フォッサマグナは本州中央部の地質構造を指す名称で、地域によって堆積岩や火山噴出物など多様な地層が見られます。砥石城の登りづらい砂利斜面は、こうした地層が風化して足元の条件になっていることが一因だと考えられます。

足元の条件が厳しいため、結果的に「歩きづらさ」が防御力に直結しているように感じました。また、神川が通る周辺地形も含め、近場の上田城とは違う性格の山城であることが見えてきます。
参考文献:
上田盆地の地形発達と上田泥流の起源 富樫 均 ・横山 裕 長野県環境保全研究所研究報告 11:1―8(2015)
フォッサマグナミュージアム ホームページ
千 曲 川 上 流 地 方 の 第 四 紀 地 質 (そ の 3)飯 島南 海 夫 ・山辺 邦 彦 ・甲 田 三 男・石 和 一 夫 ・小宮 山孝一 地 球科学 23 巻 3 号 (1969年 2 月)など
周辺観光・史跡(地域共鳴)
板垣神社(板垣駿河守信方の墓)
武田信玄が敗れた「砥石崩れ(1550年)」の舞台として知られる場所です。現地を歩くと、急斜面と見通しの良さ、段丘地形が合わさって、攻めにくい条件が揃っていることが実感できます。
その後の「上田原合戦」で討死したとされる武田方の重臣・板垣信方に関する史跡が近くに残されています。
板垣神社 板垣駿河守信方の墓


墓所が近くにあります。由緒については現地案内や公開資料の範囲で確認すると安心です。

印象的だったのは、たばこがお供えされていたことです。今も手を合わせる人がいることが伝わります。
その他のお墓

周辺には、砥石崩れや上田原合戦に関連する武将たちの墓が点在しています。墓所がまとまって残されていること自体が、地域で大切にされてきたことを示しているように見えました。

砥石城の険しい地形を歩いたあとに墓所を巡ると、出来事が土地と結びついていたことを静かに感じます。
免責
本記事は、公開されている資料・現地看板・一般的な地形・地質情報および筆者の現地体験に基づいてまとめたものであり、歴史・地質・効果を断定するものではありません。
登城・観光の際は、必ず最新の交通情報・気象情報・現地の案内に従って行動してください。






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