山形

長谷堂城(山形県山形市)|山体崩壊と蔵王温泉

山城ACTレベル:初級 ★☆☆
山城Wレベル:W2 ★★☆

山城ウェルネス

山城ACTレベル:初級 ★☆☆
標高229m・比高約90mの独立丘陵で、整備された遊歩道と階段状の斜面を登っていく行程です。急な岩場や危険箇所は少なく、ペースを落とせば中高年の方でも無理なく登れます。全体として「軽めの丘歩き+城歩き」といえる負荷のため、ACTレベルは初級(★☆☆)としました。

山城Wレベル:W2 ★★☆
帯曲輪群や横矢掛かり、水堀といった遺構をたどるうちに、「ここでどう守り、どう攻めたのか」というイメージが立ち上がってきます。城域の中に観音堂や石塔が点在し、歩行の途中で空気が切り替わる感覚もあります。短時間でも印象が残りやすいため、W2(★★☆)と判断しました。

主なルート
水堀 → 八幡口 → 帯曲輪群 → 主郭部を周回するルートで、おおむね1時間前後が目安です。

累積標高差と所要時間
累積標高差:比高約90mの登り下り / 所要時間:往復おおむね1時間前後

アクセス・駐車場

駐車場:長谷堂城跡公園入口に無料駐車場あり。
登城道:八幡口・内町口から周回可能。

現地レポート

長谷堂城跡の現地案内板
現地案内板
長谷堂城跡の解説看板
現地案内板

現地看板は豊富です。「直江兼続を退けた」と大きく書かれています。

遠望

長谷堂城の丘を遠望した様子

標高は229mですが、比高は90mですので、小高い丘という感じ。しかし、岩石で覆われているわけではなく、パッと見攻略が難しい城には思えません。

しかし、あの直江兼続が落とせなかった「難攻不落の城」とされているのですから、守りやすいのだと思います。これに似た丘城では、熊本の「田中城」が近い。ここも土壌は違いますが、独立した丘城です。

「長谷堂城の戦い」 長谷堂城 比高90m 直江兼続軍 2万 VS 志村光安軍 1千

「田中城の戦い」   田中城 比高47m   豊臣軍 1万 VS 和仁軍 1千

共に兵力差は10倍以上ですが、総攻撃でも落ちなかったということは、攻め入る場所が少なく守りが固かったということでしょう。

山城Q
山城Q

熊本の田中城も良いね

城域に入る

長谷堂城の水堀

水堀

この手の丘城では、堀が重要です。

長谷堂城八幡口の様子

八幡口

神社やお堂がありますので、今回は、「八幡口」より入ります。

長谷堂城の帯曲輪群への登り

帯曲輪群

段々になった帯曲輪の斜面

確かに、段々になっています。しかし、これは「帯曲輪」と言ったでしょうか。普通は、このような斜面に竪堀はありますが、段々畑様は珍しいかもしれません。

長谷堂城の土塁の様子

土塁

長谷堂城の土塁と斜面
長谷堂城最大の城内帯曲輪

最大の城内帯曲輪

帯曲輪から見上げる斜面
横矢掛かりの土塁の形状

横矢掛かり

横矢掛かり周辺の森と土塁

あちこちに案内看板があり、丁寧に解説してくれます。

長谷堂城主郭部の様子

主郭部

展望

主郭から見渡す出羽盆地の景色

独立した丘城なので、四方が見渡せます。

長谷堂城から望む山並み
直江兼続本陣跡の案内板と周辺

直江兼続本陣跡

長谷堂城の虎口の様子

虎口

長谷堂城城内の庚申塔

庚申

最上三十三観音 長谷堂

長谷堂観音堂の外観

御本尊は、十一面観世音菩薩 

名前の由来となっているのが、このお堂。城域の近くにこうした場所が残っているのも、この城の特徴です。

長谷堂城周辺の風景と参道
長谷堂城の城域全体を見下ろす景色

この城の概要

長谷堂城(はせどうじょう)は、山形県山形市に位置する戦国期の山城で、上杉景勝の家臣・直江兼続が拠点とした城として知られています。

1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い直前の「長谷堂城の戦い」では、直江兼続率いる上杉軍が、最上義光・徳川秀忠連合軍の猛攻を耐え抜き、上杉氏の北奥羽支配を維持した重要な防衛拠点となりました。

現在は史跡公園として整備されており、深い空堀・土塁・曲輪群が良好に残り、急峻な尾根と盆地を見下ろす眺望を楽しみながら、戦国末期の激戦地としての緊張感を体感できる山城です。

地形・地質のポイント

西国から、遥か遠くまでやってきたものです。とにかく遠かった。しかし、ここは関ヶ原合戦の折、西軍の上杉景勝軍が、東軍の最上義光軍を侵攻した「慶長出羽合戦(長谷堂城の戦い)」でも有名な場所。

特徴的な形の山城ですが、周辺の地質を見てみればちょっと面白いことに気が付きました。

長谷堂城周辺の地質図
引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日) より山城渡りQが加筆・修正したものである (スマホで拡大可能)

これを見ただけでも、お分かりの方がいるかもしれません。ちょっとおかしいところがあります。実際に、「長谷堂城」自体は、立派な河岸段丘ですが、その周辺の地質は、

山城Q
山城Q

岩屑(がんせつ)なだれ堆積物

とあります。「岩屑(がんせつ)なだれ堆積物」ってどういうことなのか。。。なだれ??どっかから土砂が「なだれ」のように流れてきたというわけです。少し西に目をやりますと

鳥兜山周辺の地形と地質図
引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日) より山城渡りQが加筆・修正したものである (スマホで拡大可能)

この赤枠の部分です。この部分は、明らかにエグレタ感じに見えます。そして、この赤枠内部だけ地表で近くで急速に固まった「玄武岩」が存在し、何か火山活動があったように見て取れました。

調べてみますとこれは、

山城Q
山城Q

山体崩壊跡

とのことです。

山体崩壊範囲を示した地質図
引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日) より山城渡りQが加筆・修正したものである (スマホで拡大可能)

つまり、約4万年~7万年前に起こった「鳥兜山」~「滝山」~「横倉岳」にかけて径2.5kmの山腹が大きく崩壊。崩壊した堆積土の全量は2、3立方キロメートル。

酢川岩屑流堆積物の広がりを示す図
引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日) より山城渡りQが加筆・修正したものである (スマホで拡大可能)

黒線辺りまで、土砂が流れてきたというわけです。なんとすごい。また、この「岩屑(がんせつ)なだれ」では、コロコロと岩石が転がり、その末端へ移動し、何かのキッカケに伴い「はなれ山」という小高い丘山を形成。

岩屑なだれとはなれ山の概念図

ちょうど長谷堂城ある場所は、「岩屑(がんせつ)なだれ」の端であります。その堆積層には名前が付いており、地域の名前から「酢川岩屑流堆積物」と言うようです。

周辺は「酢川岩屑流堆積物」ですので、これは「はなれ山」の一部であるのではないだろうかとも考えます。(河岸段丘が先か、山体崩壊が先かは不明ですが)

山城Q
山城Q

はなれ山は、時間が経つと丸くなるらしい

要するに、長谷堂城は「巨大な土砂なだれの端にできたはなれ山の上に築かれた丘城」とイメージしてもらうと分かりやすいです。

参考:日本火山学会第五回公開講座 山形大学理学部教授 大場与志男氏

岐阜県に「帰雲城」という城があります

それにしても、このような”山体崩壊”は他地区でも聞いたことがあります。それは、

山城Q
山城Q

岐阜県 帰雲城

岐阜県帰雲城跡の風景

岐阜県 帰雲(かえりくも)城

どこかメルヘンな響きがあり、個人的にも印象に残っている城名です。

帰雲城周辺の山肌の様子

1586年(天正13年)の天正地震による山崩れで、城と城下町が全て埋没し、城主だった「内ヶ島氏」は滅亡。しかも実際に、どこにあったのか場所もよく分からない「幻の城」。それが「帰雲城」。

山体崩壊跡の斜面の様子

こう見てみると、土砂がガサっと滑り落ちています。実際は、”山体崩壊”による”山津波”で滅亡したのでしょう。埋蔵金のウワサもあり、これぞまさに

インディージョーンズの世界。

周辺観光・温泉(地域共鳴)

「山体崩壊」の副産物 蔵王温泉

蔵王温泉周辺の地質図
引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日) より山城渡りQが加筆・修正したものである (スマホで拡大可能)

山形県最大の温泉が「蔵王温泉」。”山体崩壊”が起き、大きく陥没した場所に蔵王温泉があります。標高900メートルの高所に位置する温泉地で、1000年余りの歴史があります。

特徴:

この温泉は、

山城Q
山城Q

珍しい「強酸性泉」

一言でいえば、「刺激の強い個性派の湯」として知られる温泉です。一般にpH2前後など酸性度が高い湯として紹介されることが多く、肌が敏感な方は短時間から試すなど、様子を見ながらの利用が無難です。

酸性泉は、その性質の強さから「他にはない湯」として語られることもあります。体調や肌の状態に合わせて無理のない範囲で楽しみたいところです。

免責

本記事は、現地での観察メモをもとに整理し、筆者なりの解釈を加えた記録です。史実の正確性を保証するものではありません。また、整備状況・所要時間・交通手段・施設情報等は変更される可能性がありますので、訪問の際は必ず最新情報をご確認ください。

コメント