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明智光秀OS と 周山城

周山城主郭部周辺の風景(山上に広がる曲輪と尾根地形)

― この城は、なぜ「守られていない」のか ―

京都・周山城を歩くと、強い違和感が残る。
それは「遺構が弱い」とか「見どころが少ない」といった話ではない。
もっと根本的な、城としての思想が、こちらの想定と噛み合わないという感覚だ。

登城してほどなく、兵糧庫曲輪に出る。時間にして15分前後。山城としては、あまりに早い。

普通、城というものは「奥に行くほど核心が現れる」。特に兵糧庫。城の生命線は、深く、隠され、守られるのが常識だ。ところが周山城では、その裏側が最初の方で露出する。

この時点で、何かがおかしい。

堀切がない。竪堀もない。

周山城の尾根部地形(明確な堀切や竪堀が見られない構造)

縄張図を見れば、さらに違和感は増幅する。周山城には、連続した堀切がほとんど見られない。竪堀も、実質的に存在しない。

これは致命的だ。

本気で守る城、本気で籠城する城なら、尾根を切り、斜面を断ち、横移動を殺す。それをしないということは、「ここで敵を止める」思想が最初からないということになる。

つまり周山城は、
・防衛を最大化する構造ではない
・持久戦を前提にしていない
・攻められた場合の“美しい抵抗”すら想定していない

では、何のための城なのか。

兵糧庫が前にある理由

周山城の兵糧庫曲輪とされる平坦地(登城初期に現れる区画)

ここで、兵糧庫の位置が効いてくる。

兵糧庫が前面にある城は、実は珍しくない。徳島の一宮城などは、その代表例だ。ただし、あちらは明確に「籠城・生存」を目的とした配置であり、地形制約の中での必然だった。

周山城は違う。

周山城は、
・ルートが素直
・城域が整理されている
・だが、防御は薄い

にもかかわらず、兵糧が前にある。

これは「仕方なく」ではない。最初からそう設計している。

兵糧を前に出すということは、物資と人の出入りが頻繁にあることを意味する。つまりこの城は、

守るための城ではなく、
回すための城

なのだ。

光秀OSという視点

周山城城域内部の様子(整理された曲輪配置と動線)

ここで築城者を見る必要がある。周山城を築いたのは 明智光秀 だ。

信長の城は、見せる城だ。威圧し、象徴化し、敵を心理的に圧倒する。

秀吉の城は、集約する城だ。城下町と一体化し、物流と権力を一点に集中させる。

では光秀はどうか。

光秀の城は、治める城である。支配領域を回し、秩序を維持し、現実的に機能させる。
そのために必要なのは、
・過剰な防御ではなく
・派手な象徴でもなく
・運用の合理性だ。

周山城は、その思想を極端なまでに体現している。

捨てる前提の城

周山城の尾根筋と周囲の山並み(防御より運用を感じさせる立地)

周山城は、攻められたらどうするのか。答えは明確だ。

捨てる。

だから、堀切を刻まない。
だから、竪堀を入れない。
だから、兵糧を奥に隠さない。

ここは「最後まで守る城」ではない。状況が変われば、切り離される前提の拠点だ。

この割り切りは、信長にも秀吉にも見られない。だからこそ、周山城は「織豊系なのに、どこか違う」と感じる。それが、光秀OSだ。

周山城は弱い城ではない

周山城の曲輪跡(短時間で核心に至る構造を示す空間)

誤解してはいけない。周山城は、失敗作でも、未完成でもない。

むしろ逆だ。

・短時間で核心に触れる
・意味が早く露出する
・読める人だけが立ち止まる

これは、高度に設計された城である。

守らないという選択。
籠らないという決断。
運用に全振りした山城。

それが周山城だ。

結論

周山城山頂部からの眺望(統治拠点としての位置関係を示す景観)

周山城は、防衛城郭ではない。詰城でもない。

光秀OSで設計された、
統治オペレーションのための山城

兵糧庫が手前にあること。
堀切も竪堀もないこと。
それらは欠陥ではなく、思想だ。

この城は、「どう守るか」ではなく、「どう回すか」を問いかけてくる。

だからこそ、歩いた後に、妙に記憶に残る。

周山城は、
城を“見る”人より、
城を“読む”人にだけ、
本性を見せる城なのである。

免責

本記事は、現地での観察メモをもとに整理し、筆者なりの解釈を加えた記録です。史実の正確性を保証するものではありません。また、整備状況・所要時間・交通手段・施設情報等は変更される可能性がありますので、訪問の際は必ず最新情報をご確認ください。

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