山城ACTレベル:中級 ★★☆
山城Wレベル:W5 ★★★★★

山城ウェルネス
山城ACTレベル:中級 ★★☆
登城口から本丸まで、切通・門・曲輪が連続し、歩行の集中が途切れにくい。4時間という滞在時間が、身体の負荷と没入のリズムを自然に整える。
山城Wレベル:W5 ★★★★★
山城・近世城郭・現存天守が一体化した、日本でも極めて稀な構成。登城から天守到達まで、体験の質が落ちず、没入が最後まで切れない。山城ウェルネスの観点では、例外的な最高ランク。
主なルート
登城口 → 大手門 → 三の丸 → 二の丸 → 本丸(天守)
※時間と体力に余裕があれば、詰城(大松山城)方向へ延長可能
所要時間
約2時間(城域主要部)
※詰城まで含める場合は+1時間以上を想定
駐車場 アクセス
バスで「ふいご峠」まで乗車し、そこから20分程度歩きます。何も知らずに進むと「え!まだ歩くの!?」となり、割とキツイかもしれません。革靴とかは特に。
また、季節によりいろいろ規制があるようですので、事前に調べてどこまで車で登れるかなど確認が必要です。
現地レポート


高梁川を左に備えて、そそり立つ。一般的に備中松山城跡というと、小松山城跡を意味すると思いますが、実は、まだその奥があって、大松山城が詰城になります。この絵図だけみると、小谷城にも似ていますね。

こちらも、同じように奥に詰城があります。だいたい、こういった詰城は昔の時代の天守で、戦国期などに、手前を増改築したというパターンが多いように思います。
城域に入る

正式な登山道もありますが、今回は、駐車場から歩いてみました。道はアスファルトなので歩きやすいです。
(中間分岐点)鞴(ふいご)峠

正式な登城道だと30分。アスファルト舗装道だと20分で「鞴峠」に到着し、ここで合流します。
城内へ移動


城自体は、このような縄張り図です。一般的な近世城郭ですと、ここで城内に入りますが、備中松山城の面白いところは、ここからさらに10分程度歩きます。
中太鼓櫓跡


本格的な城郭が見えてきました。
大手門の高石垣



これはスゴイ!
豊富な花崗岩を使い、もともとある岩塊の上に築いています。この城は、打ち込みハギがほとんどで、守りは固い。折れの数もスゴイ。
国の指定文化財 「三の平櫓東土塀」

とても絵になります。過去にタイムスリップしたかのような階段。当時の雰囲気が非常に出ています。向こうから武士が歩いてきそうな感じ。
この日は、大雨上がりでかなりの湿度。観光客が少なくて良かったのですが、全体的にガスっております。
三の丸から見上げる

この上が「厩曲輪」「二の丸」。この段郭曲輪の造り方もすごいですね。そして、この岩石量です。こういう雰囲気は「岩村城」に似ていますね。

最大の弱点とみた


この城の最大の弱点を見つけました。と言っても、攻城の際の弱点ではありません。この城は、巨岩塊の上に建っています。つまり、「風化」が最大の「敵」です。
これを維持するのに、かなりの神経を地方自治体は使っているはずです。実際に、調べてみると昭和3年以降、頻繁に石垣工事を行っているようです。
参考文献:
史跡備中松山城跡石垣総合調査報告書 岡山県高梁市教育委員会 2004.3
史跡備中松山城跡 中太鼓の丸跡・下太鼓の丸跡 保存整備工事報告書 岡山県高梁市教育委員会 2014
上記資料を読めば、その苦労を知ることができます。
昭和初期 中学校教師 信野友春氏の熱意

表題の信野友春氏の熱意が、住民を動かし、行政を動かした。1940年に見事な復活。その後、昭和の大改修(1960年)、平成の大改修(2002年)などを経て、現在に至る。
一人の情熱が起点となった素晴らしい話だと思います。このように、当たり前のモノの価値に気が付くヒトって、必ず必要ですよね。

この正面のたたずまいこそが「備中松山城」ですね。一般に「備中松山城」と呼ばれるのは小松山城ですが、実際にはさらに奥に詰城(大松山城)が控える二層構造。
- 手前:近世的改修を受けた石垣城郭
- 奥:中世的色彩の強い詰城
この構成により、歩くほど時代が遡るという、極めて珍しい体験が成立している。山城として見ても、城郭史として見ても、完成度が高いと思います。

山城で現存天守を持つ城は、日本でここだけ。この一点だけでも特異だが、重要なのはそこではない。
天守があることで、
- 山城特有の「未完感」
- 中世城郭の「途中性」
結果として、体験が散らばらず、一本の線として「完結」する。なので、W5だと判断しました。

現存する二重櫓



こちらからも上がれるようです。扉は閉まっていますが。
テレビで良く観る角度

木橋を渡って


この先は、相畑城戸跡や天神の丸跡をへて大松山城跡へ向かいたかったのですが、思いのほか手前で時間を使ってしまいました。
また、写真では伝わらないかもしれませんが、「蚊」の大群に襲われておりまして。いったん

「転進」
その2に続く
地質をみてみる

日本三大山城というだけあって、際立った地形の頂上標高430mの臥牛山小松山山頂にそびえ立つ。地質でみてみると、この切り立った地形はお約束の

花崗岩
兵庫の竹田城もこんな感じで、花崗岩を削った川が流れており、切り立った河岸段丘の上にありますね。難攻不落の裏に、花崗岩段丘があり!

しかも、この花崗岩は「黒雲母花崗岩」。いわゆる、「御影石」というものです。
面白いことに、その隣の薄いピンクエリアは、

流紋岩
流紋岩といえば、滋賀にある有名なお城
でしょう。安土城の黒金門の石垣などは見ごたえがあります。

この「備中松山城」がある高梁市や、「天神山城」がある和気町らへんまでは、この花崗岩と流紋岩が入り乱れており、この両方の城は、花崗岩の上に建っているようです。だから雰囲気も似ているのでしょうね。
これら岩石の形成時期は、1億年ほど前に火砕流などから流紋岩が形成され、その後7000万~9000万年前ほど前に、ゆっくり上がってきた花崗岩が露出しました。岡山県の特徴的な地質です。
この山城の魅力|3つのポイント
① 体験価値(ウェルネス)
近世城郭でありながら、登城体験は完全に「山城」。登り・段郭・高石垣・櫓・天守が、分断されず一続きで現れるため、到達感が何度も更新される。多くの城が「主郭で体験が終わる」のに対し、ここは主郭以降も体験が続く。
② 遺構の密度と奥行き
大手門の高石垣、三の平櫓東土塀、二の丸・厩曲輪の段郭構成など、石垣・曲輪・建築が高密度で連続する。さらに奥には詰城(大松山城)が控え、城の時間軸が遡行する構造を体感できる。
③ 地形と石の説得力
花崗岩の巨大岩盤上に築かれた城。防御力の源泉は人工構造ではなく、地形そのもの。「攻めにくい」のではなく、最初から負けない場所を選んだ城である。
気づき
この城は、「攻めるための城」ではなく、また「観光のための城」でもありません。存在そのものが、地域の秩序と威圧を担った城。だからこそ、これほど山奥に、これほどの石を積んだ。
山城ウェルネスの視点では、例外的完成形と呼んで差し支えない名城です。
免責
本記事は、現地での観察メモをもとに整理し、筆者なりの解釈を加えた記録です。史実の正確性を保証するものではありません。また、整備状況・所要時間・交通手段・施設情報等は変更される可能性がありますので、訪問の際は必ず最新情報をご確認ください。






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