山城ACTレベル:上級 ★★★ 山城Wレベル:W3 ★★★

登城前の注意|現在の入場規制について
七尾城は、令和6年能登半島地震の影響により、現在も一部区域の立入が制限されています。
本丸駐車場から本丸までの区間は安全確認が取れ、開放されていますが、調度丸周辺や損傷の見られる石垣付近などには依然として立入禁止区画が残っています。
訪れる際は、七尾市の最新情報を事前に確認し、現地の案内表示やロープ、注意喚起に必ず従ってください。七尾城は今も静かに再生の時間を重ねており、その空気に寄り添う姿勢が求められます。
参考URL:https://www.city.nanao.lg.jp/sportsbunka/nanaojoushi.html
この山城の魅力|3つのポイント
① 体験価値(ウェルネス)
長い登城路を一定のリズムで歩くうち、呼吸と足運びが整い、思考が静かにほどけていく感覚がある。山と向き合う時間そのものが、自分の内側へ意識を戻すプロセスになる。
② 遺構の固有性
惣構えから七曲り、番所、沓掛場、寺屋敷跡へと連なる防御ラインが明確で、守りの層を身体で読み取れる稀有な構造をもつ。
③ 景観・地形の固有性
七つの尾根に沿って曲輪が展開し、本丸付近から七尾湾を望む立体的景観が、山城と海城の境界を静かに感じさせる。
運命の出会い
仕事の都合で全国各地を転勤していた中、ある日、金沢市の書店にてある本を手に取る。何やら、感性をくすぐられるタイトル!

何々??「廃城をゆく」??


運命の出会い
当時、管理者は「石川県七尾市」に仕事の都合で4年ほど住んでおりました。その本によるとマンションの裏山が「天下の名城 七尾城」だったのです。人間は、意識をしないと気が付かないもので、
確かにどれも名城です。この七尾城は、麓からゆっくりみると、往復3時間はかかります。
登城ルート

縄張り図 現地看板


現地レポート
惣構え~赤坂口まで
自宅から歩いて登ります





この辺りまで来ると、一気に雰囲気が変わります。多分、家臣の屋敷があったと思います。なぜならば、出発地点付近には、
「惣構え」がありました


惣構えがあったのです
惣構え(総構え)というと小田原城が有名ですが、決して専売特許ではありません。
他にも佐賀の勝尾城など、城下を大きく包み込む防御線を持つ山城が各地に存在します。(勝尾城もすごいんですよ)
赤坂口~本丸を目指す


なかなかの切通!7月なので暑い

ルート上、看板が整備されており、迷うことはないです。

年季を感じます。珪藻土が削れたのかな。靴は登山靴が良いです
眺望

ちらっと七尾湾が見える

七曲り


この七曲りは、切通も深く防御度が高いです
番所

この番所辺りからいよいよ城域に突入!
沓掛場

沓掛場があるということは、昔の人も、この登りは辛かったということでしょうか。

寺屋敷跡

平坦地が左側に見えてきました。屋敷跡のようです。
山城ACTレベルと山城Wレベル
山城ACTレベル:上級 ★★★
標高305mの山上に築かれた大規模山城で、登山口から本丸までの往復は約5〜6km、累積標高差はおよそ250mあります。七曲りの急勾配や長い登坂区間が続くため、体力と足腰への負荷は高めです。中高年にとっても、しっかり準備を整えたうえで臨みたい上級クラスの山城と判断しました。
山城Wレベル:W3 ★★★
惣構えから七曲り、番所、沓掛場、寺屋敷跡、本丸へと進むにつれて、防御ラインと曲輪構成が段階的に立ち上がってきます。登りの途中から七尾湾の眺望がちらりと現れ、本丸周辺では山と海が一体となった景観に包まれます。能登畠山氏の本拠に身を置く実感が深まりやすく、歩き終えた後も余韻が長く残るW3クラスとしました。
主なルート
・七尾城史資料館付近の登山口 → 惣構え → 赤坂口 → 七曲り → 番所 → 沓掛場 → 寺屋敷跡 → 本丸(往復でおおよそ2.5〜3時間)
累積標高差と所要時間
累積標高差:約250m / 所要時間:麓から本丸散策を含めて約2.5〜3時間
地形の特徴
山麓の惣構えから尾根筋に沿って登り、七曲りの急勾配や深い切通し、防御的な段差を経て寺屋敷跡・本丸へ至る構成で、七つの尾根に曲輪群が展開する立体的な山城です。
山城の概要
能登畠山氏の本拠として機能した大規模山城で、七つの尾根に多数の曲輪と石垣を展開する構造が特徴。日本100名城のひとつで、要害性と縄張密度の高さで知られる。
能登畠山氏とは?


畠山基国と満家・満慶親子
七尾城の城主であった畠山氏の系図をあらためて辿ってみると、思いがけない歴史の糸が浮かび上がってきました。畠山基国と、その子である満家・満慶の流れです。
私の先祖の系譜をさかのぼると、先祖は室町幕府の北朝方として活躍した足利義満の時代、紀伊を治めた畠山基国、満家親子に仕えた武士であったと伝えられています。
そして驚くべきことに、その畠山基国の子・満慶が、能登畠山の初代として七尾の地に勢力を築いたというのです。
つまり、七尾城という場所は、単なる歴史的遺構ではなく、自らの血脈とどこかで静かに連なっている可能性を秘めた土地でもあったことになります。
そんな背景を知らぬまま、この地に暮らし、七尾の風景を当たり前のように眺めていたことを思うと、歴史とは不思議なものです。
地質から考えてみる
非常に気になります。地質から見てみますと、

七尾城の南側には「コロサ断層」が走り、この断層を境として地質が切り替わっています。
能登半島は現在も緩やかな隆起を続ける地域であり、地震活動がその骨格形成に深く関わってきた場所でもあります。七尾城周辺には砂岩・礫岩が多く分布し、こうした地質の上に城が築かれている点も、この地の成り立ちを静かに物語っています。

この地点の地質は「城山礫岩層」と総称される、砂礫を多く含む地層から成り立っています。七尾周辺では過去の火山活動と地殻変動により、花崗岩・変成岩・安山岩などが分布し、それらが風化・崩壊して堆積した礫層が隆起することで、現在の地形が形成されたとされています。
七尾城周辺では、花崗岩および流紋岩が主体となり、その上に城域が展開している点も、この地の成り立ちを物語っています。つまり、大量の岩石を確保できたということです。
参考文献:絈野義夫編1965『能登半島の地質』「能登半島学術調査書」石川県 P.1-84
アクセス・駐車場
登山口:七尾城史資料館付近
駐車場:登山口駐車場・本丸駐車場あり
交通:JR七尾駅からタクシーまたは路線バス
トイレ:登山口および本丸周辺に設置
温泉|和倉温泉(石川県七尾市)
概要
七尾湾に面した能登を代表する温泉地。泉質はナトリウム・カルシウム-塩化物泉(塩化物泉)で、海水に近い成分を含む無色透明の湯が特徴です。保温性が高く、入浴後も温かさが持続しやすい「熱の湯」として知られ、湯上がりのしっとり感が続く入り心地です。
他の泉質(炭酸水素塩泉など)と組み合わせて利用することで、保湿感を整える入浴としても親しまれています。
現在の状況(令和6年能登半島地震の影響)
能登半島地震の影響により、温泉街では配管破断や建物損傷、護岸の被害が発生し、現在も復旧途上にあります。
宿泊施設は段階的に営業再開が進んでいるものの、全面再開には至っていない施設も多く、来訪時は事前確認が必須です。
- 営業再開施設:一部再開(復興途上)
- 共同浴場「総湯」:営業継続中
- 入浴料:大人500円(2025年5月改定)
訪問時のポイント
・宿泊施設の営業状況・設備使用範囲・館内制限を事前確認
・飲食店の営業時間は変動する場合あり
・工事区間や立入制限エリアに注意
・静養目的の場合は、柔軟な日程と余裕ある滞在計画がおすすめ
泉質
塩化物泉(ナトリウム・カルシウム-塩化物泉)
温泉法に基づく一般的適応症
療養泉の一般的適応症
筋肉・関節の慢性的な痛みやこわばり、冷え性、末梢循環障害、疲労回復、健康増進 など
泉質別適応症(塩化物泉)
きりきず、冷え性、皮膚乾燥症、末梢循環障害 など
※上記は温泉法で示される一般的な適応症であり、特定の症状への効果を断定するものではありません。
参考URL
和倉温泉観光協会(営業状況)
https://www.wakura.or.jp/brochure/brochure-3739/
観光庁:和倉温泉復興支援プラン
https://www.mlit.go.jp/kankocho/topics16_0318.html
まとめ
七尾城は、麓の惣構えから七曲り・番所・沓掛場・寺屋敷跡を経て本丸へ至るまで、能登畠山氏の本拠らしいスケール感と防御構造を全身で味わえる山城ACTレベル:上級(★★★)・山城Wレベル:W3(★★★)の本格山城です。
能登半島地震の影響により今も復旧途上にあるからこそ、最新情報を確認しつつ、山と城と地域の時間に静かに寄り添う気持ちで歩きたい一城だと感じます。
~参考~ 日本五大山城
1.春日山城(新潟県)
2.観音寺城(滋賀県)
3.小谷城(滋賀県)
4.月山富田城(島根県)
5.七尾城(石川県)
免責
本記事は個人的な体験・調査に基づくものであり、効果や歴史を断定するものではありません。訪問時は最新情報をご確認ください。
















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