基本情報
駐車場 アクセス
地質 周辺環境
地質を見てみると、この近辺の山城は同じテーストを感じる。堆積層で「砂岩・泥岩やその互層」が見て取れます。反対に、ピンク層は「花崗岩」。
この境界線はハッキリしています。花崗岩域の東には、たくさんの山城が存在しており、城の造り方明らかに違います。
縄張り図 現地看板
城域に入る
ここは「山城」というよりも「岩城」ですね。現地に行かないとここの感動は伝わりません。
北三ノ丸
入口からいかにも、堅城という雰囲気が出ています。
通常、山城に登って、これぐらいの石垣を見ると、「お~~あるある」と思ってしまいますが、
南三ノ丸
ここが見どころ
これは、切岸というレベルだろうか?石垣用に岩を切り出した側面がそのまま壁となっています。
垂直!!
この城は、どうも城全体が大きな岩の様子。堆積岩ですね。泥岩か砂岩かな。つまり、石垣の材料は豊富過ぎる。造り手は、相当楽しかったと思う。
井戸曲輪
井戸曲輪と二ノ丸の間。
よじ登ることは、ほぼ不可能ですね~。こんなケースは見たことがない。きっちりと削られて、十分な居住スペースが確保されている。
本丸
枡形虎口
虎口もきちんとあります。
一ノ曲輪と二ノ曲輪の境の大石垣
ここも見どころ!!
一ノ曲輪と二ノ曲輪の境の大石垣。豊富に取れる岩を贅沢に使っています。野面ではなく、打込みハギです。高さも5mぐらいはあります。この石垣の規模は、、、スゴイです。そのギャップに感動する岩城。
現場に行けば、必ず何か発見があるのが、山城巡り
一次情報が重要です
まとめ
このお城は、二つの性格を持っています。まず、垂直に岩石を加工し切岸として活用する方法は、波多城で見た加工方法です。
しかし、この城は近世城郭のように石垣を多用し、総石垣の山城になっています。これは、上松浦党の最大の一族・波多氏が滅亡した後にここを統治した寺沢氏が持ち込んだモノのようです。
その結果、もともと砂岩が大量にあったため、自前で岩を供給し、このような堅城に作り上げたのだと思います。実際に戦に使われたかは不明ですが、近辺にはない難攻不落の城だったと思います。
豊富な岩石(堆積岩)を活用した、近世城郭
コメント