長曾我部信親のお墓
近場に、長曾我部信親のお墓があります。ぜひ、こことセットで見て欲しい。大友・長曾我部・十河連合軍が島津とここで戦い。彼は戦死したということのよう。
長曾我部と聞くと、土佐高知とか四国統一とか四国の中で大暴れというイメージがありますけど、異国で戦死というのは、時代がそうさせたと考えると、必死だったんだろううなぁと思う
なかなか立派な墓碑で子孫か地元の方のに丁重に葬られている。
基本情報
形態:山城
標高:193m
城の整備:二ノ丸まで車道あり ただし、悪路でコンパクトカーでギリギリ
入口はここ
所要時間:1時間
訪問日:2018年2月
駐車場 アクセス
まずこの城への車道は、少しわかりづらい。コンクリート工場の手前を横にそれます。一応、看板もあるけど、基本、見てる余裕はないかな。道は、砂利道悪路 コンパクトカーまでなら大丈夫。ただし、草でサイドを擦る可能性は大きいです。
どんどん悪路を進むとやがて車を置ける場所に出ます。
駐車場のところに、しっかりとした看板があります
縄張り図
城域に入る
二ノ丸
駐車場は、二の丸横となるために、ここへのアクセスは容易です。
三ノ丸
二ノ丸の奥にありますが、特に何もありません。
面白標識
個人的には、この看板が面白い。ちょっと、欲張り過ぎだが、場所は間違っていない。
眺望
戸次川が良く見える。ここを抜けると、府内へ続く重要地点。この景色を見ると、それが良く伝わるなあ。
畝状竪堀群
主郭の周りをぐるりと竪堀で覆う縄張りは土佐の長曾我部の山城で見かける作り方。大友と長曾我部は交友関係があったのだろうか。
本丸を囲むように竪堀と横堀が張り巡らされている。
穀物倉跡
まとめ
本丸周辺が特に防備が厳重で、畝状竪堀群ががっちり張り巡らされている。現在でも当時の緊張感が伝わる良い山城でした。
土佐の長曾我部が関係する城
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