山城ACTレベル:上級 ★★★
山城Wレベル:W5 ★★★★★
危険度(体感):★★★★★(一部で転落リスクが高い/完全自己責任)

山城ウェルネス
山城ACTレベル:上級 ★★★
- 行程が長く、全域を回ると時間を要します。
- 山頂部では突風が発生することもあり、姿勢保持や撮影に制限が出ることもあります。
- 下りの判断や足運びに慎重さが求められます。
山城Wレベル:W5 ★★★★★
- 石塁が山頂まで連続している事実を現地で把握できます。
- 山頂遺構が明確に視認でき、場の密度が高い状態です。
- 移動・停止・視界の切り替わりが重なり、印象が強く残ります。
主なルート
駐車スペース → 旧日本軍が作った車道 → 南西部石塁 → 旧日本軍施設(弾薬庫・砲座) → 観測所跡 → 山頂石塁
累積標高差と所要時間
未計測(全域見学で約4時間程度)
山頂はこの先
~前回からの続き~
現地レポート
旧日本軍が作った道を進む

三つの城戸見学を終え、山道に戻り、再び、旧日本軍が作った車道に出てきました。ここはいいね。歩きやすい。すると、
まだまだ続く 南西部石塁

再び、見えてきました。またか、、、、

もう凄すぎる。いったいどれだけの人が建設・運搬に関わったのか。いったいどこまで続くのだろう??そして、どんな気持ちでこれを作ったのだろう。
前章にて、金田城の全般に近世の修繕が入っている可能性があると述べましたが、古代山城研究会機関紙「溝婁 第4巻」では、この南西部石塁が当時の原型をよく残していると述べられております。
旧日本軍施設に到着

さて、ようやく到着。ここまで歩きやすかったです
武器庫や棲息掩蔽部(せいそくえんぺいぶ)

これを何かご存知でしょうか??砲台の弾薬庫なんです。日露戦争前にこの拠点の重要性を考えた
旧日本軍が作った城山砲台のものでもあります。

内部は、漆喰が塗られ湿気対策がされています。(コウモリ在)


28cm榴弾砲場

28cm榴弾砲4門があったそうです。ということは、

実際にはどんな感じだったのか
ということで、芸予要塞・小島に置かれている28cm榴弾砲レプリカを合成してみました。
二十八糎(28cm)榴弾砲とは
明治時代に日本陸軍が開発・採用した大型の火砲です。
元々は日本の海岸を守るための「海岸砲」として開発されましたが、日露戦争の「旅順攻囲戦」において、ロシア軍の堅固な要塞を打ち破るために投入されたことで、歴史的に非常に有名な兵器となりました。
司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』や、それを原作としたドラマなどを通じて、その存在を知った方も多いかもしれません。

上に打ち上げて、その砲弾の重さを利用し、船の甲板を打ち破る砲弾。しかし、命中率が悪いらしい。

このレプリカ写真を砲座に合成してみると、当時はこんな感じでしょうか。こんなのが4門も。潮風が当たりそうな壁の高さだということがわかりました。
観測所跡

眺望

しかーーし、天気が怪しくなってきた。とにかく風が、めちゃくちゃ強い。実は、ここは山頂ではないです。山頂は、ここから5分ぐらい登ったところ。ということで



「石塁」があります

そして、山頂へ
お!頂上が見えてきた!!


到着しました
眺望


とんでもない強風 飛ばされる!
風、風が強い。まぢで飛ばされる。カメラを両手で構えることが出来ません。片手撮り。構えると
突風で凧みたいに飛ばされる。帽子、、紐付きで良かった。
後から知ったのですが、この日は、どうも春一番が吹いたとのこと。写真では伝わりづらいですが、猛烈な風。

皇族が過去に来られたみたいですね
そして、狂気を目撃する
危険度(体感):★★★★★(一部で転落リスクが高い)

完全自己責任

「お、なんか下に行けそうだ!!」
「ここを下るか~。」と思いながら、春一番の強風の中、地を這って進みます。
そして、振り返ってみました。


え!

ここにも石塁!

もしかして、下から続いてる!?

つまり、


そうなんです。初めに見た東南角石塁と途中で見た上記の南西部石塁とこの山頂石塁は繋がっていたのです!地図の赤線は、石塁を表しており、残っていたんです。

山頂部で再び石塁が現れることで、東南角石塁・南西部石塁が「つながっている」ことが現地感覚として確定しました。
断片的に見ていたものが周回線として統合され、城全体の設計が一段上の解像度で立ち上がります。
正直、この場所って石塁は全く必要ないです。山頂の山頂なので、たぶん敵も誰も登ることはできません。しかし、1350年前の石塁。。これだけ丁寧に作られて、今でも残っている。
国が亡ぶかもしれない。敵が攻めてくるかもしれない。そうならないように祈りに似た空気をこの石塁から感じます。私自身も暴風の中の撮影でもあったのですがその壮絶さを感じた瞬間

素直に感動
この城の概要
金田城(かなたのき/かねだじょう)は、長崎県対馬市美津島町黒瀬の城山(標高276m)に築かれた飛鳥時代の古代山城(朝鮮式山城)で、国指定特別史跡です。
天智天皇6年(667年)に白村江の戦い敗北後の唐・新羅侵攻に備え、大和朝廷が防人により築城した国防最前線の要塞で、『日本書紀』にも記録されています。
総延長約2.2kmの石塁・城戸・水門などの遺構が極めて良好に残り、日露戦争期に旧日本陸軍が築いた近代砲台跡も並存する稀有な城跡です。
現在は「続日本100名城」に選定され、登山道が整備されており、山頂からの眺望と歴史の重層性を楽しめる人気の史跡となっています。
アクセス・駐車場
- 所在地:長崎県対馬市
- 駐車場:現地に駐車スペースあり(3台程度)
- 登城:登山道および旧日本軍が整備した車道を利用
この山城の魅力|3つのポイント
① 体験価値(ウェルネス)
旧日本軍が整備した車道区間は歩行が安定し、行程後半まで体力を保ちやすい一方、山頂部では一部転落リスクが高い場所があり、身体操作が一変します。緩急の差がはっきりした体験です。
② 遺構の固有要素
山中から山頂にかけて連続する大規模な石塁が確認でき、地点ごとの断片ではなく「つながり」として把握できます。
③ 景観・地形の固有性
山頂周辺は遮るものが少なく、360度視界の開けが同時に訪れます。一方、山頂石積みの見学の際には、転落リスクがあるため、要注意です。
まとめ
金田城は、眺望と石塁線形が同時に成立する古代山城です。城戸と角部で観察が強制され、石塁は崩落部まで含めて「量」と「線」で残っています。
結果として、歩行よりも見ている時間に支配され、全体を回るほど情報量が増えていくという夢中になる構造です。とても素晴らしい山城です。

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免責
本記事は、現地での観察メモをもとに整理し、筆者なりの解釈を加えた記録です。史実の正確性を保証するものではありません。また、整備状況・所要時間・交通手段・施設情報等は変更される可能性がありますので、訪問の際は必ず最新情報をご確認ください。






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