基本情報
形態:山城
史跡指定:国指定特別史跡
標高:276m
城の整備:駐車スペース(3台程度)、陸軍が作った車道、登山道
難易度:4時間程度(山城を全て見ると)
訪問日:2019年3月
~前回からの続き~
旧日本軍が作った道を進む
三つの城戸見学を終え、山道に戻り、再び、旧日本軍が作った車道に出てきました。ここはいいね。歩きやすい。すると、
まだまだ続く 南西部石塁
再び、見えてきました。またか、、、、
もう凄すぎる。いったいどれだけの人が建設・運搬に関わったのか。いったいどこまで続くのだろう??そして、どんな気持ちでこれを作ったのだろう。
前章にて、金田城の全般に近世の修繕が入っている可能性があると述べましたが、古代山城研究会機関紙「溝婁 第4巻」では、この南西部石塁が当時の原型をよく残していると述べられております。
旧日本軍施設に到着
さて、ようやく到着。ここまで歩きやすかったです
武器庫や棲息掩蔽部(せいそくえんぺいぶ)
これを何かご存知でしょうか??砲台の弾薬庫なんです。日露戦争前にこの拠点の重要性を考えた
旧日本軍が作った城山砲台のものでもあります。
内部は、漆喰が塗られ湿気対策がされています。(コウモリ在中)
28cm榴弾砲場
28cm榴弾砲4門があったそうです。28cm榴弾砲とは、
上に打ち上げて、その砲弾の重さを利用し、船の甲板を打ち破る砲弾のこと。しかし、命中率が悪いらしい。
このレプリカ写真を砲座に合成してみると、当時はこんな感じでしょうか。こんなのが4門も。
潮風が当たりそうな壁の高さだということがわかりました。
観測所跡
眺望
しかーーし、天気が怪しくなってきた。とにかく風が、めちゃくちゃ強い。実は、ここは山頂ではないです。山頂は、ここから5分ぐらい登ったところ。ということで
山頂はこの先
こ、こんなところにも
「石塁」があります
そして、山頂へ
お!頂上が見えてきた!!
到着しました
眺望
とんでもない強風
飛ばされる!
風、風が強い。まぢで飛ばされる。カメラを両手で構えることが出来ません。片手撮り。構えると
突風で凧みたいに飛ばされる。帽子、、紐付きで良かった。
後から知ったのですが、この日は、どうも春一番が吹いたとのこと。
写真では伝わりづらいですが、猛烈な風。
皇族が過去に来られたみたいですね
そして、狂気を目撃する
「お、なんか下に行けそうだ!!」「ここを下るか~。」地を這って進みます。汗
そして、振り返りました。。。
え!
ここにも石塁!
もしかして、下から続いてる!!
つまり、
そうなんです。初めに見た東南角石塁と途中で見た上記の南西部石塁とこの山頂石塁は繋がっていたのです!地図の赤線は、石塁を表しており、残っていたんです。
もはや、古代人の執念を感じます。狂気の沙汰です。
正直、この場所って石塁は全く必要ないです。山頂の山頂なので、たぶん敵も誰も登ることはできません。しかし、1350年前の石塁。。これだけ丁寧に作られて、今でも残っている
国が亡ぶかもしれない。敵が攻めてくるかもしれない。そうならないように祈りに似た空気をこの石塁から感じます。私自身も暴風の中の撮影でもあったのですがその壮絶さを感じた瞬間
素直に感動しました
まとめ
この城は、今でも
「戦っている」
のです。戦国時代のそれらとは全く存在意義が違います。山城好きであるなら、
聖地巡礼
に近い場所なのかもしれません
古代人・防人への感謝しかありません
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