山城ACTレベル:上級 ★★★
山城Wレベル:W3 ★★★

山城ウェルネス
山城ACTレベル:上級 ★★★
周回で約4時間の長丁場で、足・体幹の持久力が必要です。ルートによっては急登(高祖神社→高祖城)を覚悟する構成で、序盤の消耗が大きくなります。ロープ場もあり、余裕と判断が求められます。
山城Wレベル:W3 ★★★
「中国式山城」という入口の強さに加え、望楼配置と視線の向きを追うほど“国家レベルの警備構想”が体感として立ち上がります。さらに、緋縅石と謎の竪堀のように、意味を確定できない点が最後まで残り、体験密度を保ちます。
主なルート
- 時計回り:老松神社(高来寺)付近 → 第五望楼側 → 望楼群・土塁道をつないで周回
- 反時計回り:高祖神社 駐車場 → 高祖城ルート(急登)→ 周回
所要時間
- 周回:4時間ぐらい(現地記録)
吉備真備って誰!?
「中国式山城」って聞くだけで、ワクワクしませんか。

何?何?
という感じです。しかも、築城担当者は、中国(唐)で学んだ「吉備真備」が初代築城指示者だと言います。吉備真備といえば


遣唐使
で有名。吉備(岡山県倉敷市)の地方豪族下道氏の出身。古代のスーパーエリート。
遣唐使仲間に「僧玄昉」らがおり、唐の文化を日本に持ち込んで、天平文化を開花させました。他では、あの唐招提寺を建立した「高僧鑑真」来日を促し、仏教布教や「戒律」伝授で貢献しました。
その吉備真備が「遣唐使」として最初に入唐したのは、717年が第一回目。そして、そのままなんと

18年間
も唐で暮らし、735年に、大量の書簡や武器や楽器など数えきれないほどの手土産と共に帰国。そして、帰国後すぐに「大学助」という役職に就き、大学改革を行ったとのこと。
二回目の遣唐使後は
そして、一回目の留学から、17年後の752年にかつての経験を評価され、再び入唐した様子。
しかし、帰国後は閑職の「太宰府大弐」という役職を与えられ、藤原仲麻呂が打ち出した「新羅征討計画」のもと、756年から768年まで約12年間を掛けて、怡土城を築城することになったようです(途中で、監督官を佐伯今毛人に交替)。

まだ新羅と揉めている
こう考えてみると、白村江敗戦直後に作られた「日本書紀天智紀記載山城」などは、百済亡命高級官僚の力を借りて築城されていますが、この怡土城は、中国式とは言え、日本人が中心となって作られた城ということになります。
このように、怡土城は、誰が何のために作ったのかがある程度分かっているという点が、他の古代山城との相違点でもあります。
駐車場 アクセス
高祖神社の駐車場を使うことが出来ます。トイレも完備。しかしこの場合は、高祖神社→高祖城を目指すことになりますが、かなりきつい登山となるため、体力を消耗します。

ロープ場あります。ですので、時間に余裕があれば、
駐車場
登り口
老松神社(高来寺)に数台停め、第五望楼側から登った方が楽しく登ることが出来ます。
現地レポート


山の斜面にタスキ状に土塁を置いたような縄張りの山城であり、これまでの古代山城とは築城プランが違います。全長6.5kmであり、大野城に匹敵する。城内面積約290ヘクタールと超広大。
また、北部九州に多い史書非記載山城で見かける列石のような物はありませんし、水門もありません(見つかっていません)。

望楼や見張り台の位置を合わせてみると
現地に行けば、個人的な発見が必ずあるものです。
今回、事前確認では、北西尾根に五ケ所の望楼の存在は分かっていましたが、その望楼と望楼の間を繋ぐ「見張り台」か「中継拠点」のような場所を確認することが出来ました。
登山ルートから外れて列石を追うと見つけることが出来ます。
これら望楼と見張り台の設置場所は、列石の角に当たる場所に造られており、どれも博多湾や今津海岸側を向いています。これは相当が警備網が敷かれていたということが伺い知れます。

警戒が厳重

特に、望楼と見張り台?の位置を見てみると、どこが重要ポイントなのか自然と見えてきます。
高い土塁と城門


城域に入る前に、目に入ってくるのは、この版築技法で造られた土塁です。高さは5mはあります。城門としては、伊勢城門口、大鳥居口、小城戸口、大門口、染井口の五か所が存在する。
高来寺ルートから


いよいよです。道はハイキングコースとしてしっかり整備されており、登りやすいです。当日も他の登山客と同じタイミングで登り始めました(しかし、私の方は写真を撮るので、おいて行かれました)。
第五望楼跡

10M×10Ⅿ程度の構造物があったでしょう。楚石も大きく、建物の大きさも想像できます。博多湾に攻め入る軍船を監視するために造られたとのこと
土堤状尾根道

城外側に石塁があります。

西側は約2キロに渡り土塁が造られており、このような尾根道を進むことが多いわけですが、その高さに驚く。これは高い。

さすが、国家プロジェクト
と感じました。大名では無理な規模です。
「緋縅石(ひおどしのいし)」と謎の竪堀

道沿いにひと際目立つ、大きな丸い岩がありました。「緋縅石(ひおどしのいし)」というようです。しかし、気になったのはその下にある竪堀です。これはどいう意味があるのか。

ここは、城内です。城内なのに、なぜこのような竪堀があるのか。これは竪堀ではなく、直線の切通道なのかどうか。良く分かりませんが、私は、

映画『レイダース/失われたアーク(聖櫃)』
のワンシーンにしか思えません。
第四望楼


石の階段

戦国の山城でもたまにあります。確か、記憶では長野の砥石城で見たことがあります。確かにあった。花崗岩を加工した階段。これは、石工のこだわりだと思います。今となっては、皆さん、横を通っているようですが、

そこはきちんと通ってあげるのが、礼儀というもの。とても通りやすかったです。
第三望楼


この辺りまで、順調に道順に従って進むだけです。多少のアップはありますが、特に問題なし。
武者隠し?

しかし、第三望楼から第二望楼までの間にいろいろ気付きがあります。まずは、この「武者隠し」のような場所。加工されており、兵を隠すのにちょうど良いです。
しかし、これが、既に1250年前にあったのかは不明です。中国式なのですから、そんな武者隠しのような知識があったのかどうか。
突出部 見張り台?1


途中から順路ではなく、内側のコースを歩かされるですが、何か思うことがあって、そこは、あえてまっすぐ茂みの中を進みました。するとすると、

小高い丘ような場所を発見。明らかに盛り上がっており、人の手が入っております。

しかも平坦加工がされており、馬場状です。掘立小屋一棟ぐらい大丈夫そうです。

トップには円形土塁があり、その中心部は陥没していました。上に屋根を付ければトーチカ様の見張り台ぐらいになると思いましたが、これはもしかして

古墳?
しかし、この場所はなんという場所でしょうか。

戦略的に非常に重要なポイントのような気がします。もう一方、谷から上がってくるルートもありまして、その「合流地点」となります。
「望楼」とはなっていませんが、馬場様平坦地がありますし、非常に怪しいと感じました。地下は掘ってみないと分からないでしょうが、何か遺構が出ても良いような雰囲気でした。
古代人のノミの跡??


また、山中にこのような花崗岩ありました。何気に気になり、裏を覗くと

無数のノミ跡がありました。こんなにたくさん。これは、石切り場としての跡でしょうか。いつの時代がか気になる。
謎のL字切石?


その下にある岩が気になりました。上部が「L字」に加工された花崗岩です。北部九州でみられる古代山城の史書非記載山城において、列石上部が用途不明でL字に加工されたものがあります。
しかしながら、写真を見直した限りですし、史書非記載山城らとは築城時代が違いますので、たまたまそう見えただけかもしれません。
~参考~ 史書非記載山城 女山神籠石 列石


見張り台?2



再び、このような土塁がありました。ちょうど多少の出っ張りになった部分にあります。
ここもおそらく見晴らしが良いので、見張り台かなんかでしょうか。

再び本道に戻り、土堤道を進みます
第二望楼


第二望楼までは、このような幅約1mの石畳があります。


分岐点 いよいよ戦国ルートが始まる


ここが一つの分岐点です。ここから

ガラッと
雰囲気が変わります。実際、戦国時代の再活用もこの辺りからだと考えてます。
参考文献:
再検証!糸島市 雷山神籠石と怡土城 第7回伊都国フォーラム (2024)
この城の概要
怡土城は「中国式山城」として語られる古代山城で、山の斜面にタスキ状の土塁を置いたような縄張りが特徴です。現地の説明では全長約6.5km、城内面積約290haとされ、実際に歩くと、望楼・土塁・城門が単体の遺構ではなく、警備線として連結して見えてきます。
事前に把握していた望楼群に加え、望楼と望楼の間をつなぐ「見張り台/中継拠点」のような地点を現地で確認できたのは大きな収穫でした。いずれも博多湾・今津海岸側を向く位置関係が揃っており、「警戒が厳重」という感覚が、歩きながら自然に固まっていきます。
一方、分岐点を境に雰囲気がガラッと変わり、戦国期の再活用がこのあたりからではないか、と感じたのも今回の体験の核でした。
地質 周辺環境

地図を見ると、この怡土城の立地が博多湾を見張るのに、ちょうど良い見晴らしの良い山城ということが分かります。他にも戦国期の立花山城もとても良いの場所です。
しかも、この怡土城が面白いのは、博多湾側を向いていないという点。これは、どういうことでしょうか。仮に博多湾に上陸してきた敵国が、大宰府を目指して南進した際、見えない位置や背後回り込んで攻めるという戦術でしょうか。

怡土城は花崗岩質、立花山城は花崗閃緑岩です。ですので、トンガッタ感じの山ということになります。花崗岩は劣化しやすく、マサ土も多くあり、ちょっと滑りやすい。
この山城の魅力|3つのポイント
① 体験価値(ウェルネス)
周回で約4時間かかるスケールが、歩行のリズムと集中を自然に引き上げます。分岐点を越えたあたりで空気が切り替わり、「歩く場所が変わった」感覚がはっきり出ます。
② 遺構の固有性
土塁の高さ・延長・城門群が、一領主の土木量を超えて見えます。望楼の間をつなぐ「中継拠点」のような地点もあり、警備網が“点”ではなく“線”として立ち上がります。
③ 強く引っかかった一点
「緋縅石(ひおどしのいし)」の下にある“謎の竪堀(切通の可能性)”が、城内であることと噛み合わず強く残ります。あそこだけは、どう見ても「ただの地形」で終わらない印象でした。
免責
本記事は、現地での観察メモをもとに整理し、筆者なりの解釈を加えた記録です。史実の正確性を保証するものではありません。また、整備状況・所要時間・交通手段・施設情報等は変更される可能性がありますので、訪問の際は必ず最新情報をご確認ください。








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