香川

【香川県】【番外】丸亀城 一二三段石垣は要塞そのもの 2018年大崩落跡 父母ケ浜にて

基本情報

 形態:平城 
 史跡指定:国の指定史跡
 標高:66m
 城の整備:登城道あり 
 所要時間:1時間
 訪問日:2020.03

駐車場 アクセス

城域に入る

香川に来たからには、ここの丸亀城は外せません。この威容。「一二三段(ひふみだん)」といわれる石垣の積み方で、丸亀城(香川)、津山城(岡山)、岡山城(岡山)が有名です。これは、1600年頃建築の平山城特有の構造で、攻めるにも非常に困難が伴いますね。

現存、天守と大手二の門と大手一の門が存在します。天守のある場所は高~い。この高さは日本トップレベルで三本の指に入るとか。分かるわ~。

石垣の積み方が、戦国期以降って感じがします。

幸運のハート石

山城Q
山城Q

いったい、どのことだい!?

ぜひ、この石を触って幸せになって頂きたいと切に願います。

しかし、管理人個人的は、その両サイドの立て岩石がおもてなし風情を醸し出し、とっても素敵だと思いました。見せてますよね~。

典型的な平山城ですので、迷うことはありません。小牧山城などとは違いますね。石垣の物量と高さが全ての城なのです。

なんという岩石量でしょうか。どこから見ても圧倒されます。石垣マニア垂涎です。

この場所などは津山城にもありそう。さすが花の1600年頃築城の城。最終的には、平城でも高くなっていくものなのでしょうか。殿さまは高いところが好き!

栃の木御門跡周辺

この辺りなどは、何か優雅さもあります。普通、もっと通路は狭いですが、上段から攻撃もしやすいのか、広く設けられております。

天守を見上げる

このそそり立つ急こう配。

高さと美しさに圧倒されます。

遠望 飯野山(讃岐富士)

天守付近から見た飯野山(讃岐富士)。香川は晴れの天気が多い県です。

三の丸石垣崩落現場

2018年(平成30年)に西日本を中心に降り続いた大雨や台風の影響により崩落した三の丸石垣の現場。この几帳面に並べられた石垣の累々。。なんということでしょうか。あまりにも辛すぎる現実。

これはとんでもないことになっている。

山城Q
山城Q

この部分は、、、

角石列がそのまま、ずさっと滑り落ちているのが良く分かります。そのまま残っている。残るものなんですね。周辺はもはやなんだか良くわかりません。

かなりの大規模さがわかります。まだまだ復旧には時間が掛かるようで、2028年3月を目途に修復工事を続けるようです。早く威容を見せつけて欲しいと思います。

日本の「ウユニ塩湖」父母ケ浜

香川県の西部にある三豊市の海岸線に広がる約1Kmの海水浴場ですが、

山城Q
山城Q

カメラ好きの聖地

となっています。ここでは、条件次第で

こんな写真が簡単に撮ることができます。まさに南米ボリビアの「ウユニ塩湖!」

しかし、干潮時間は正確に図れても、天候だけは「運」次第。風も「運」次第。また、人気スポットなために、込み具合も「だいたい運」次第です。

ビーチ自体は、約1Kmぐらいありますので、ほどほどな写真を求めるのならどこでも撮れることができますが、条件が揃えばなお幻想的な写真を撮ることができますよ。

条件①干潮と日没時間が重なるタイミング

昼間の明るい時でも、天候と無風条件が整えば綺麗な写真を撮ることはできます。

しかし、ここに「日没」が加わると、幻想度は飛躍的にUP。日が完全に沈む10分前~日没直後のまさに「誰(た)そ彼(かれ)」時は、マジックアワー到来。激写激写。

条件①はあらかじめ分かっています。三豊市観光交流局HPにわかりやすく「父母ヶ浜 絶景の見頃カレンダー」が載っていますので、確認。要は「干潮」日、「日没」時の「潮だまり」に映った写真を撮ることが目的となります。

条件②撮影場所

ですので、海と撮影者の間に「潮だまり」が存在することが重要です。沖に向かってもいくつか存在しますので、場所を決めて何度も試し撮りをするとよいでしょう。

条件③撮影角度

立ったまま撮影すると、水面への投影と空のバランスが合わずあまり良い写真を撮ることができません。できれば、水面ギリギリぐらいから対象人物を見上げるように撮ります。すると、グラッシーな水面に反射し、ジャンプしたとしても、大ジャンプしたように撮ることができるのです。

条件④無風 晴天

この無風と晴天については、個人ではどうしようもありません。日々、予定日の風向と天候をチェックすることが大事です。撮影チャンスは何回も来ますので、無理をして撮影を決行せずに、ぜひベストな日を選んでチャレンジしてみてください。

撮影時の注意事項

1.砂浜ですので、当然砂だらけになります。汚れても良い靴。夏ならサンダルなどがおススメ
2.帰る際に、足を洗うようのペットボトルに入れた水が大活躍します。タオル◎
3.波紋がたつので「塩たまり」には入らないようにしましょう。他者も撮影しています。
4.撮影に夢中になりすぎて、周りとのコミュニケーションを忘れないようにしましょう。
5.ゴミは必ず持ち帰るようにしましょう。自然は大切に。

コメント

  1. alchemist より:

    初めて、このサイトにお邪魔します。田舎の城をご紹介戴き有難うございます。先日も近くを通りましたが、石の積み直しはまだまだのようでした。崩れの原因は広島などでよく土砂災害を引き起こしている真砂土だそうです。城山の北側は花崗岩の岩盤がしっかりしているそうなのですが、南西側は風化した真砂土で崩れ易いのだとか。本丸に登られて、景色を眺めてどう思われましたか?南と西に向いていると感じられませんでした?高松城に本拠を置いた生駒氏が土佐から長宗我部勢が攻めてくるのを警戒した城ではなかったかと、私は思っています。上の讃岐富士の写真の右側に写り込んでいるのが青山連峰(東から大高見峰、猫山、そして国吉城のあった城山)です。土佐勢が侵略拠点にした城跡ですね。そして城山と象頭山の間の遠景になっている讃岐山脈の峠を越えて土佐勢はやってきました。西正面には香川氏の詰めの城のあった天霧山が見えます。香川氏は長宗我部から養子を貰って土佐方に付きました。土佐勢の再侵攻があれば、天霧山周辺の多度津あたりも拠点になりそうです。良い警戒拠点だったと思います。

  2. alchemist より:

    父母が浜が有名になりましたが、そのすぐ北側の仁尾は平安時代に遡る港町です。今も歴史を感じさせる商家が残っていますし、小さな町なのに寺社が多く残ってます。その港町を治める中世城郭(仁尾城)の跡が覚城院というお寺になっていて、寺の石垣や山門が城郭風に見えてしまいます。その仁尾城が長宗我部勢に攻め落とされたのが三月三日だったということで、仁尾の町は未だに雛祭りを祝いません。その代わり旧暦八朔の日に雛飾りを行っているそうです。香川西部から愛媛東部にかけてのっぺりとした海岸が続き良い風待ちの港がなかったのですが、仁尾の港は沖に大蔦島、小蔦島があるために風待ちの港として明治中期まで栄えました。が、北も東も南も山が迫るという地形で鉄道建設が困難だったため、昭和になって塩田による製塩が衰えるとともに繁栄は過ぎ去っ行ったようです。父母ガ浜のすぐ北側の陸地がかつての塩田の跡です。
    江戸時代、土佐藩は山越えから参勤交代を始めましたが、四国山地を踏破し川之江(現在の四国中央市)に着いた後、仁尾まで出て、そこから船で瀬戸内を東に向かったのだそうです。坂本龍馬が剣術修行のため初めて江戸に出た時は参勤交代の供に加わっていたそうですので、龍馬も仁尾の地を踏んだのではないでしょうか。