香川

丸亀城(香川県丸亀市)|西の一二三段石垣要塞の双璧の一つ 2018年大崩落跡 と 父母ケ浜にて

山城ACTレベル:初級 ★☆☆
山城Wレベル:W2 ★★☆

山城ウェルネス

山城ACTレベル:初級 ★☆☆
山城Wレベル:W2 ★★☆

ACT理由
駐車場が確保され、登城の導線が分かりやすいです。
階段中心で、短時間でも回れます。
一方で石段・石垣まわりは足元注意が必要なため、初級の範囲で整理しました。

W理由
石垣の密度が高く、現場の「圧」が分かりやすいです。
見上げる動作が増え、視線が上に固定されやすい構成です。
短時間でも引っかかりが残るため、W2相当です。

主なルート
駐車 → 登城階段 → 石垣の連続区間 → 天守まわり → 往路を戻る

累積標高差と所要時間
所要時間:約30分

駐車場 アクセス

現地レポート

香川に来たからには、ここの丸亀城は外せません。

この威容。「一二三段(ひふみだん)」といわれる石垣の積み方で、丸亀城(香川)、津山城(岡山)、岡山城(岡山)が有名です。これは、1600年頃建築の平山城特有の構造で、攻めるにも非常に困難が伴いますね。

丸亀城の高石垣を見上げる(斜面に連なる石垣の迫力)

現存、天守と大手二の門と大手一の門が存在します。天守のある場所は高~い。この高さは日本トップレベルで三本の指に入るとか。分かるわ~。

丸亀城の石垣(戦国期以降の石垣らしい積み方が分かる部分)

石垣の積み方が、戦国期以降って感じがします。

幸運のハート石

丸亀城の「幸運のハート石」(ハート形に見える石)
山城Q
山城Q

いったい、どのことだい!?

ハート石の位置が分かる現地案内(石の見つけ方のイメージ)

ぜひ、この石を触って幸せになって頂きたいと切に願います。

ハート石の両サイドに立つ岩(“おもてなし”のような立て岩)

しかし、個人的は、その両サイドの立て岩石がおもてなし風情を醸し出し、とっても素敵だと思いました。見せてますよね~。

丸亀城の曲輪内の導線(典型的な平山城の分かりやすい動線)

典型的な平山城ですので、迷うことはありません。小牧山城などとは違いますね。石垣の物量と高さが全ての城なのです。

丸亀城の石垣群(どこから見ても圧倒される石垣の物量)

なんという岩石量でしょうか。どこから見ても圧倒されます。石垣マニア垂涎です。

丸亀城の石垣と通路(津山城にも似た雰囲気の石垣景)

この場所などは津山城にもありそう。さすが花の1600年頃築城の城。最終的には、平城でも高くなっていくものなのでしょうか。殿さまは高いところが好き!

栃の木御門跡周辺

栃の木御門跡周辺の広い通路(上段からの攻撃もしやすそうな空間)

この辺りなどは、何か優雅さもあります。普通、もっと通路は狭いですが、上段から攻撃もしやすいのか、広く設けられております。

栃の木御門跡周辺の石垣と通路(石垣の高さと曲がりが分かる)

天守を見上げる

丸亀城の天守を見上げる(高石垣と天守の位置関係)
丸亀城の急こう配の石垣(そそり立つ角度が分かる見上げ)

このそそり立つ急こう配。

丸亀城の石垣の高さと美しさ(曲面と石の表情が分かる)

高さと美しさに圧倒されます。

遠望 飯野山(讃岐富士)

天守付近からの遠望(飯野山=讃岐富士を望む景色)

天守付近から見た飯野山(讃岐富士)。香川は晴れの天気が多い県です。

三の丸石垣崩落現場

この記事は、2018年時点のものです。最新の復旧状況は、下記公式HPよりご確認下さい。

三の丸石垣崩落現場(崩落した範囲が分かる全景)

2018年(平成30年)に西日本を中心に降り続いた大雨や台風の影響により崩落した三の丸石垣の現場。この几帳面に並べられた石垣の累々。。なんということでしょうか。あまりにも辛すぎる現実。

崩落後に積み上がった石材(石垣が崩れた状態の石の山)

これはとんでもないことになっている。

崩落現場の石材と地面の様子(復旧前の状況が分かる)
崩落現場の別角度(崩れた石垣の規模感が分かる)
山城Q
山城Q

この部分は、、、

角石列が滑り落ちた状態が分かる現地写真(崩落の断面イメージ)

角石列がそのまま、ずさっと滑り落ちているのが良く分かります。そのまま残っている。残るものなんですね。周辺はもはやなんだか良くわかりません。

崩落現場の全体像(復旧に時間がかかる規模の大きさ)

かなりの大規模さがわかります。まだまだ復旧には時間が掛かるようで、2028年3月を目途に修復工事を続けるようです。早く威容を見せつけて欲しいと思います。

この山城の魅力|3つのポイント

① 体験価値(ウェルネス)
石垣の「高さ」と「角度」が、身体感覚に直接効いてきます。登るほどに視界と緊張が上がり、天守付近で一気に解放されます。

② 遺構の固有性
「一二三段(ひふみだん)」と呼ばれる石垣の積み方を意識して見られるのが魅力です。現存の天守と大手一の門・二の門があり、城の完成度を体感できます。

③ 景観・立地
天守の位置が高く、見上げる石垣の迫力が強い城です。天守付近からの遠望(飯野山=讃岐富士)が、登城の“報酬”として分かりやすい。

この城の概要

丸亀城は、香川県丸亀市に位置する近世平山城で、江戸時代初期に生駒氏・京極氏・京極高知の家臣・山崎氏が築城し、寛永年間に山崎家改易後、京極高知が再入封し、以後京極氏が明治まで居城とした日本100名城です。

現存12天守の一つで、3層3階の小型天守を持ち、「一二三段(ひふみだん)」と呼ばれる美しい石垣が特徴の「高虎式」築城の代表例です。

標高約約66mの亀山を活用した立地で、讃岐富士(飯野山)を望む眺望が美しく、城下町との調和が際立つ城です。

周辺観光(地域共鳴)

日本の「ウユニ塩湖」父母ケ浜

香川県の西部にある三豊市の海岸線に広がる約1Kmの海水浴場ですが、

山城Q
山城Q

カメラ好きの聖地

となっています。ここでは、条件次第で

父母ヶ浜の干潮時のリフレクション(鏡面のような水面に映る写真例)

こんな写真が簡単に撮ることができます。まさに南米ボリビアの「ウユニ塩湖!」

しかし、干潮時間は正確に図れても、天候だけは「運」次第。風も「運」次第。また、人気スポットなために、込み具合も「だいたい運」次第です。

ビーチ自体は、約1Kmぐらいありますので、ほどほどな写真を求めるのならどこでも撮れることができますが、条件が揃えばなお幻想的な写真を撮ることができますよ。

条件①干潮と日没時間が重なるタイミング

昼間の明るい時でも、天候と無風条件が整えば綺麗な写真を撮ることはできます。

父母ヶ浜のリフレクション撮影例(明るい時間帯の水鏡)

しかし、ここに「日没」が加わると、幻想度は飛躍的にUP。日が完全に沈む10分前~日没直後のまさに「誰(た)そ彼(かれ)」時は、マジックアワー到来。激写激写。

条件①はあらかじめ分かっています。三豊市観光交流局HPにわかりやすく「父母ヶ浜 絶景の見頃カレンダー」が載っていますので、確認。要は「干潮」日、「日没」時の「潮だまり」に映った写真を撮ることが目的となります。

条件②撮影場所

ですので、海と撮影者の間に「潮だまり」が存在することが重要です。沖に向かってもいくつか存在しますので、場所を決めて何度も試し撮りをするとよいでしょう。

条件③撮影角度

立ったまま撮影すると、水面への投影と空のバランスが合わずあまり良い写真を撮ることができません。できれば、水面ギリギリぐらいから対象人物を見上げるように撮ります。すると、グラッシーな水面に反射し、ジャンプしたとしても、大ジャンプしたように撮ることができるのです。

父母ヶ浜のリフレクション撮影例(水面ギリギリの低い目線で撮るイメージ)

条件④無風 晴天

この無風と晴天については、個人ではどうしようもありません。日々、予定日の風向と天候をチェックすることが大事です。撮影チャンスは何回も来ますので、無理をして撮影を決行せずに、ぜひベストな日を選んでチャレンジしてみてください。

父母ヶ浜の無風・晴天時の水鏡(空と水面の境界が溶ける景)

撮影時の注意事項

1.砂浜ですので、当然砂だらけになります。汚れても良い靴。夏ならサンダルなどがおススメ
2.帰る際に、足を洗うようのペットボトルに入れた水が大活躍します。タオル◎
3.波紋がたつので「塩たまり」には入らないようにしましょう。他者も撮影しています。
4.撮影に夢中になりすぎて、周りとのコミュニケーションを忘れないようにしましょう。
5.ゴミは必ず持ち帰るようにしましょう。自然は大切に。

免責

本記事は、現地での観察メモをもとに整理し、筆者なりの解釈を加えた記録です。史実の正確性を保証するものではありません。また、整備状況・所要時間・交通手段・施設情報等は変更される可能性がありますので、訪問の際は必ず最新情報をご確認ください。

コメント

  1. alchemist より:

    初めて、このサイトにお邪魔します。田舎の城をご紹介戴き有難うございます。先日も近くを通りましたが、石の積み直しはまだまだのようでした。崩れの原因は広島などでよく土砂災害を引き起こしている真砂土だそうです。城山の北側は花崗岩の岩盤がしっかりしているそうなのですが、南西側は風化した真砂土で崩れ易いのだとか。本丸に登られて、景色を眺めてどう思われましたか?南と西に向いていると感じられませんでした?高松城に本拠を置いた生駒氏が土佐から長宗我部勢が攻めてくるのを警戒した城ではなかったかと、私は思っています。上の讃岐富士の写真の右側に写り込んでいるのが青山連峰(東から大高見峰、猫山、そして国吉城のあった城山)です。土佐勢が侵略拠点にした城跡ですね。そして城山と象頭山の間の遠景になっている讃岐山脈の峠を越えて土佐勢はやってきました。西正面には香川氏の詰めの城のあった天霧山が見えます。香川氏は長宗我部から養子を貰って土佐方に付きました。土佐勢の再侵攻があれば、天霧山周辺の多度津あたりも拠点になりそうです。良い警戒拠点だったと思います。

  2. alchemist より:

    父母が浜が有名になりましたが、そのすぐ北側の仁尾は平安時代に遡る港町です。今も歴史を感じさせる商家が残っていますし、小さな町なのに寺社が多く残ってます。その港町を治める中世城郭(仁尾城)の跡が覚城院というお寺になっていて、寺の石垣や山門が城郭風に見えてしまいます。その仁尾城が長宗我部勢に攻め落とされたのが三月三日だったということで、仁尾の町は未だに雛祭りを祝いません。その代わり旧暦八朔の日に雛飾りを行っているそうです。香川西部から愛媛東部にかけてのっぺりとした海岸が続き良い風待ちの港がなかったのですが、仁尾の港は沖に大蔦島、小蔦島があるために風待ちの港として明治中期まで栄えました。が、北も東も南も山が迫るという地形で鉄道建設が困難だったため、昭和になって塩田による製塩が衰えるとともに繁栄は過ぎ去っ行ったようです。父母ガ浜のすぐ北側の陸地がかつての塩田の跡です。
    江戸時代、土佐藩は山越えから参勤交代を始めましたが、四国山地を踏破し川之江(現在の四国中央市)に着いた後、仁尾まで出て、そこから船で瀬戸内を東に向かったのだそうです。坂本龍馬が剣術修行のため初めて江戸に出た時は参勤交代の供に加わっていたそうですので、龍馬も仁尾の地を踏んだのではないでしょうか。