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藤堂高虎の築城哲学|孫子の兵法と「不敗」設計

藤堂高虎の築城哲学|孫子の兵法と「不敗」の設計

「高虎の城は、勝つ城じゃない。最初から負けを消す城だ。」という事実

日本三大水城とは?

日本三大水城とは、海水を引き込んだ堀を持つ城の代表格です。水そのものが「距離」と「時間」を作り、近づく前に相手の選択肢を削っていく。守りの城というより、“負けない状態”を最初から固定する城です。

愛媛県の今治城

香川県の高松城

大分県の中津城

その中でも「今治城」は、築城名人・藤堂高虎が手がけた、戦国〜江戸初期の名城のひとつです。

山城Q
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また、UPします

「藤堂高虎」という武将

私にとって、この「藤堂高虎」という人物は、天正13年(1585)の紀州攻めの際、途中、故郷の檀寺を焼き払った「仏敵」であり、「仇敵」でもあるのです。

このブログでは、ほとんど「武将」「人物像」には触れないのですが、こと城造りにおいては、加藤清正や黒田官兵衛と並び「戦国三大築城名人」とされるほどの実力です。

そして高虎は、主君を七回も替えたと言われます。

美談ではなく、当時の価値観では相当に冷たい目で見られたはず。それでも生き残り、評価を取りに行き、最後は「城」という結果で黙らせる。この生存戦略が、築城思想にも直結している気がします。

山城Q
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築城のプロ

築城思想の特徴

藤堂高虎が築城した城を実際に見てみて、共通して感じることがあります。それは、

「戦わずして勝つ」

「防御こそ最大の攻撃」

「敵に戦意を喪失させること」

の戦略です。中国最古の兵書『孫子』の兵法をかなり勉強していたのではないかと感じます。本来は攻め手の戦略かもしれませんが、高虎はそれを「守り手の論理」に反転し、“戦わずして勝つ”を構造で実装しているように見えます。

「勝つ」には色々な方法があります。ただし、多くは無理が出ます。攻め急げば損耗が増え、勝っても残りが少なくなる。高虎がやっているのは、その逆です。最初から勝ちを取りに行くのではなく、まず負け筋を消して、不敗を作る

ここで言う「負けない」は、気合や根性ではありません。

構造として崩れない状態のことです。高石垣や広い水堀、入り組んだ虎口は、相手の進路を絞り、時間を奪い、選択肢を一つずつ消していく。攻め手は「戦う前」から、すでに消耗している。

この設計が効くと、守る側は無理に打って出なくていい。

相手が焦り、ミスをし、弱みを見せるまで待てばいい。途中で崩れない段取りを積んだ側が、最後に勝機を取り切る。高虎の城が発する圧は、この静かな確信にあります。

高虎の築城技術4大要素

藤堂高虎は

①非常に高い石垣 威圧感+物理的障壁。伊賀上野城では30m超。
②幅が広い水堀 接近を許さず、補給・援軍の時間を稼ぐ。
③凝った虎口 鉄城門 敵を迷わせ、集中攻撃を可能に。
④層塔型天守 望楼型に比べ建築効率が高いとされ、視覚的にも高威圧。

この4つは、派手な技巧ではなく、「負け筋を消す装置」です。近づくほど、戻るほど、時間を使うほど、攻め手の自由度が削られていく。最後に残るのは、正面突破しかない。その時点で、もう相手は不利です。

これらを備えた城造りに拘ったのではないかと考えます。これは、実際に城を訪問している中で、とても感じる点です。

個人的にも、藤堂高虎が造った城こそが、攻守を備えた「天下の名城」だと思います。

山城Q
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見るだけで「戦意喪失」

そんな藤堂高虎が造った城も、現在では安全に登城することができます。登城する前から「今回は、いったいどんな仕掛けがあるのか」と私としても

山城Q
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ワクワクする

そんな期待を持たせてくれる城でもあります。ぜひ、楽しんで訪城してみてください。

城域に入る

今治城(愛媛県)

慶長5年(1600)に伊予半国領主として20万石を領したのちに、築城。海水が引かれた広大な堀や、城内の港として国内最大級の船入を備えた日本屈指の海城。

  • 日本初の「層塔型天守」
  • 巨大な海水堀+高石垣
  • 鉄御門:黒鉄で防御し、三方からの銃眼攻撃
  • 港も兼ねた機能性の高さ

➡️ 水城の理想形。近づくだけで「戦意喪失」

鉄御門

今治城の鉄御門(外観)

鏡石が迎えてくれます。いろんな岩石があり、カラフルでキレイです。特に、「大理石」が高級感を演出していますね。鉄御門は、門の表面に、黒鉄がびっちり張られており、火矢や鉄砲を跳ね返します。しかも、門は側面についているため、丸太などの突破も防ぐことができるでしょう。

なによりも、三方の銃眼からの狙い撃ちなので、近づけないと思います。

今治城の堀と石垣(城内からの眺め)

城の内部は、あんまり複雑ではなく単純。この縄張りは、他の城でも感じることができ、堀と虎口と石垣の高さに集中している。

層塔型天守

今治城の天守(層塔型天守)

これまで、天守閣というと、館の上に望楼を載せた「望楼型」が主流でしたが、「層塔型天守」はこの今治城から始まったとされています。望楼型よりも建築効率が高いとのこと。

今治城の天守(別角度)

巨大水堀 高い石垣

今治城の海水堀と高石垣

日本三大水城に相応しいこの幅。城への入口は二ケ所だけなので、これを焼かれるともう城への侵入は不可能。攻め手がモタモタしているうちに、援軍が到着するという手はずのはず。犬走とよばれる細長い平地をもうけ、地盤を補強し、石垣を組んでいる。

赤木城(三重県)

藤堂高虎は、天正13年(1585)の紀州攻め後に、三重県北山に入りました。天正15年(1587)の北山一揆が勃発するなど、治安が不安定な土地だったようです。

  • 山奥の野面積み山城
  • 威嚇と象徴のバランス
  • 一揆鎮圧用、民への「見せしめ」の意図も

➡️ 山城なのに重厚。精神的な圧迫感が強い。

赤木城の石垣(城内の眺め)

そこで、「威嚇」と「象徴」を兼ねて、武士だけではなく、民を相手に当時、最先端の野面積み山城をこの山奥に造りました。ここも、“勝ちに行く”というより、先に負けない状態を見せつける設計に見えます。

虎口

赤木城の虎口(石垣の迫力)

元の巨大砂岩の上に、さらに石垣をオン。威圧感がスゴイです。

赤木城の石垣(野面積みの質感)

門跡

赤木城の門跡(復元整備された石垣)

多少の修復が入っているため、非常にキレイですが、当時の雰囲気を見事に再現されています。ここは、攻め入りにくい。

赤木城の曲輪と石垣(山中の城域)

どちらにせよ、こんな山奥にかくも威圧的な山城が出来たわけですから、一揆衆にとってはかなりの脅威だったと思います。さすがに

山城Q
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戦意喪失

です。

大洲城(愛媛)

ご存じ、「泊まれるお城」の「大洲城キャッスルステイ」。 天守と、取り壊しを免れた国の重要文化財の2つの櫓を貸し切りにして宿泊できるとのこと。 この城に泊まれるのは1日1組で、料金は1人55万円(税込み)です。

山城Q
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殿様体験

そんな大洲城ですが、こちらも藤堂高虎が統治しています。文禄4年(1595)6月に藤堂高虎が宇和郡板島7万石の城主として封ぜられました。

  • 宿泊可能な城「キャッスルステイ」
  • 一二三段(本丸→二の丸→三の丸)構成の平山城
  • 曲輪構造で近づきにくい
  • ➡️ 距離の長さで心が折れる。戦意喪失。

    大洲城の城郭風景(城内)
    大洲城の石垣と堀(城域の導線)
    大洲城の曲輪構成を感じる城内風景

    本来は、「内堀」「外堀」を備え、本丸・二の丸・三の丸と「一二三段」に曲輪を配した典型的な平山城です。一二三段と聞くだけで、

    山城Q
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    戦意喪失

    実際に、城域に入ってもなかなか天守閣に着かない。距離が長い。

    宇和島城(愛媛)

    藤堂高虎が文禄4年(1595年) に 宇和郡7万石の城主として封ぜられました。かつては大半が海に面し、水堀も築かれていましたが、現在は埋め立てられているため、見ることはできません。

    • かつては海に面した海城
    • 五角形の縄張りで敵の常識を狂わせる
    • 巨岩と石垣が圧巻

    ➡️ 視覚的インパクトで圧倒。心が折れる。

    藩老桑折氏武家長屋門

    宇和島城の武家長屋門(外観)
    宇和島城の石垣(城域の導線)
    宇和島城の石垣と巨岩(城内の迫力)

    この階段付近の石垣も強固に積まれていますが、ヤバいのはその上です。

    宇和島城の石垣(上部の圧)
    宇和島城の巨岩と石垣(岩石量の迫力)

    この写真の8割は岩石です。ものすごい岩石量。見ただけで

    山城Q
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    戦意喪失

    宇和島城の石垣(巨岩と一体の防御)
    宇和島城の城内風景(石垣の連なり)

    この城で言われているはその「外郭」の形。いびつな五角形をしていることです。通常の平城は、だいたい四角形ですが、この城のいびつな五角形は寄せ手の「常識」を狂わせ、隙を作ることが狙いと言われているようです。

    伊賀上野城(三重県)

    慶長13年(1608)8月、江戸幕府により藤堂高虎は、伊賀の国10万石・伊勢の内10万石、伊予の内2万石、合わせて22万石を与えられ国替えを行いました。そして、大坂に対峙するための城として築きました。

    • 高さ30m超の日本一の石垣
    • 幅広の堀
    • 写真撮影しづらいのが惜しいポイント

    ➡️ 見るだけで無理ゲー感。戦意喪失。

    慶長16年(1611)、高さ約30メートルの高石垣をめぐらして南を大手としたとのこと。

    伊賀上野城の高石垣(迫力ある外観)
    伊賀上野城の石垣(見上げるアングル)

    他の方もおっしゃってますが、ここの城は、もっとこの高石垣の見せ方を考えた方が良いですね。撮影や見学に気が邪魔して、どこが撮影のベストポジションか分かりづらい。非常に勿体ない。

    伊賀上野城の堀と石垣(城域の景観)

    この城も、幅の広い水堀と高さ約 30 メートルという日本一の高さを誇る石垣。おそらく水面下にも石垣は続くはずで、実際の高さはもっとスゴイことになるでしょう。この水堀と石垣で

    山城Q
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    戦意喪失

    篠山城(兵庫県)

    写真を撮ることを失念したのですが、この篠山城は、かなりの「狂犬」だと思います。

    • 三つの「角馬出し」を備えた高防御力
    • 表門+中門+鉄門の三重防御
    • 中に入ると簡素な構造

    ➡️ 打って出る準備も完璧。鉄壁の構造美。

    三つの馬出し

    篠山城の外堀と馬出し周辺(案内図の要所)

    現地案内図にもあるように、平城でも三つもの「角馬出し」を持ちます。馬出しと言えば「武田家」を思い浮かべますが、この「角馬出し」は「北条家」に多い馬出し種類。

    1600年以降に造られたということは、城築技術も極まっている頃でしょうが、この「三つの馬出し」がある時点で、打って出ることに主軸を置いているように見える一方、幅の広い外堀を備え、たとえ大手門を越えたとしても

    篠山城の堀と石垣(侵入を止める線)

    この内堀と高い石垣に進軍を阻まれます。この場所を容易に越えることはできない。

    篠山城の門周辺(多重防御の入口)

    そして、次にあるのが「表門+中門+鉄門」の三重門。表には「角馬出し」を備える日本最高レベルの攻守が備わった鉄壁の防備。この事実を聞いただけで、管理人は

    山城Q
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    戦意喪失

    です。(中門って意外と珍しいかも)。全く進軍することができません。

    篠山城の城門付近(導線が絞られる場所)

    中に入ると、大書院とのギャップにさらに驚きます。やはり今治城と同様にシンプル設計。しかし、この篠山城が藤堂高虎流築城術の一つの到達点だと感じました。

    篠山城の城内風景(外の鉄壁と中の簡素の対比)

    藤堂高虎という人物像

    藤堂高虎は、主君を七回もコロコロ変え、転職が当たり前の現代ならまだしも、当時は、非常に冷たい目で見られたことでしょう。

    現代は、派遣社員にとってはごく当たり前の働き方ですが、結果を出すことだけが「存在意義」そのものだったと思います。

    高虎の強さは、思想より先に配置を作るところにある気がします。勝ちを語る前に、負けない場所を先に作る。崩れる要因を先に潰す。これは、城づくりと完全に一致します。

    領主を転々としながらの「現場第一主義」「タタキ上げ」が最も効果的だと証明しているようにも感じました。日々研鑽。その結果が、これらの素晴らしい「城」を造ったように思います。

    まとめ

    藤堂高虎の城は「戦う気力を奪う城」です。その建築は、単なる防御ではなく「精神的圧力」「時間稼ぎ」「選択肢の排除」といった高度な戦略思想の結晶です。

    現代のビジネスや生き方にも通じる哲学を感じるのは、「まずは負けない準備」こそが、勝利への第一歩であるということでしょうか。

    孫子で“不敗”を作る。勝つために燃える前に、負けない設計を固める。高虎の築城は、その徹底です。

管理者
山城Q

Topos Field Lab 代表 / 体験構造研究者
西南日本を中心に、これまでに500ヶ所以上の山城を歩いてきました。
現地で見た地形や縄張、周囲の環境をもとに、その場所で感じたことや気づいたことを記録しています。山城や地域を歩く体験を通して、歴史と風景、人との関わりを伝えています。

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