兵庫

此隅山城(兵庫県豊岡市)|六分一殿の遺構 尾根を貫く山名氏最大の牙城

山城ACTレベル:中級 ★★☆
山城Wレベル:W2 ★★☆

山城ウェルネス

山城ACTレベル:中級(★★☆)
登城は急斜面が続き、足元の角度がきつい区間があります。城域に入ってからも確認しながら進む場面が多く、結果として歩行量が伸びやすい構成です。

山城Wレベル:W2(★★☆)
尾根筋の方向感は掴みやすい一方で、急斜面区間が続き、足元の処理に意識が持っていかれます。
遺構は見えるのに「立ち止まって全体を整理する余白」が作りにくく、理解が一段深まる前に次の局面へ押し出される感覚が残りました。

主なルート(1行固定)
登城口 → 尾根道 → 曲輪群 → 本丸跡 → 周回・下山

所要時間(必須・統一表記)
所要時間:1時間00分

アクセス・駐車場

豊岡市立いずし古代学習館の駐車場を使いました。

現地レポート

此隅山城の遠景

かつてのMINIと此隅山城。MINIは小さいので山城の林道や山道もスイスイでした。ただし、加速力とゴーカートフィーリングが特徴なので長距離運転ではやや不向きかも。

さて、先に見えるしっかりとした山城が此隅山城です。

登城口付近の入口

この扉を開けて進みます。

登城口の扉

連続する円墳

尾根沿いに並ぶ円墳

尾根沿いに円墳が並びます。この辺りにも古墳が多いのですね。

円墳が続く尾根道

どんどん越えます。

急斜面

急斜面の登城路
急斜面区間の足元

このコブも古墳でしょう。この山城は登りづらい。この角度でしょうね。ロープがないと結構厳しいです。

曲輪

分岐点付近の曲輪

急登でしたが、ほどなく到着。ただし、朝一だったのでしんどかったです。

曲輪周辺の地形
曲輪の連なりが分かる尾根筋
尾根上の通路と斜面

ちょっと確認

高低差のある斜面を見下ろす位置
見下ろしできる要所の斜面

あ~高い。15mぐらいはあります。しかも、登り口が良く見える。ここが重要防御拠点でしょうね。まさに頭上注意。

主郭部へ

主郭部へ向かう尾根道

展望

山頂付近からの展望

下から30分ぐらいで山頂に到着。しかも、この木がちょっとカッコイイ。対岸の山頂には、森井城と荒木城が見えます。

周辺の山並みを望む眺め

もうちょっと高くても良かったかもしれませんがその分、周辺の支城で面として守っていたということが見て取れます。さすが、但馬地区最大の山城。山名氏ですね。

山頂部周辺の地形
山頂部の曲輪周辺
山頂部の眺望と周辺地形

この城の概要

兵庫県豊岡市出石(いずし)にある此隅山城(このすみやまじょう、別名:子盗城・此隅城)は、標高約140mの此隅山山頂に築かれた但馬最大規模の山城で、山名氏の本城として機能しました。

室町時代中期の文中年間(1372〜1374年頃)に山名師義(または時義)により築城され、応仁の乱では山名宗全がここに大軍を集めましたが、天正年間に織田信長の但馬攻めで落城・廃城となりました。

石垣を用いない典型的な中世山城で、広大な曲輪群・土塁・堀切などの遺構が良好に残り、有子山城跡とともに「山名氏城跡」として国の史跡に指定されています。

この山城の魅力|3つのポイント

① 体験価値(ウェルネス)
序盤は急斜面で、足が先に温まり「登るリズム」に身体が合わせられます。苦しいはずの区間でも、尾根に乗った瞬間から次を確認したいが前に出てきます。

② 遺構の固有性
土塁・堀切・虎口が「点」ではなく「線」としてつながり、歩くほど防御の流れが見えてきます。城内に入ってからの切り替えが早く、短い距離でも密度が高いです。

③ 景観・地形の固有性
尾根筋に古墳が連続し、その背骨の上に城が伸びていく地形そのものが面白いです。高低差と見通しの関係がはっきりしていて、立ち位置がそのまま“意味”になります。

周辺観光・温泉(地域共鳴)

周辺温泉:シルク温泉(やまびこ)
出石から車移動で立ち寄りやすく、登城後のクールダウンに向きます。しかも、ここの泉質はスゴイ。重曹泉 (含弱放射能-ナトリウム-炭酸水素塩・硫酸塩・塩化物泉)!いわゆる美人の湯の代表格。

山城Q
山城Q

まさにシルクの湯

山城Q
山城Q

炭酸水素イオン4200mg/kg超えの超濃厚重曹泉

特に炭酸水素イオン(重曹成分)が豊富なため、肌の古い角質や皮脂を乳化・洗い流すクレンジング効果が非常に強く、入浴後はつるつる・すべすべの美肌になると評判です。

さらに、この泉質には硫酸塩保湿効果塩化物保温・血行促進が加わり、クレンジング+保湿のダブル効果で「シルクのようなトロッとした艶肌」になると言われています。弱放射能(ラドン)成分も神経痛や疲労回復にプラスアルファ。

ハッキリ言って隠れた名湯です。とても良かったです。

グルメ:出石皿そば
小皿で枚数を重ねる食べ方なので、登城後でも量を調整しやすいのが良いです。

まとめ

尾根上の古墳列を越えると、城域への切り替わりがはっきりします。
土塁・虎口・堀切が連続し、進むにつれて防御線の配置が自然に把握できる構成でした。
此隅山城は山名氏の城域の一角として築かれ、戦国期(永禄頃)まで用いられたとされます。

免責

本記事は、現地での観察メモをもとに整理し、筆者なりの解釈を加えた記録です。史実の正確性を保証するものではありません。また、整備状況・所要時間・交通手段・施設情報等は変更される可能性がありますので、訪問の際は必ず最新情報をご確認ください。

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