長崎

原城(長崎県南島原市)|沈黙☆山城ウェルネスと阿蘇NO.4火砕流

山城ACTレベル:中級 ★★☆
山城Wレベル:W3 ★★★

山城ウェルネス

山城ACTレベル:中級 ★★☆
駐車場から主郭までは片道20分前後の歩行で、城域全体を歩くと1〜2時間ほどの行程になります。シラス斜面や段差では足元への注意が必要ですが、長時間の急登などはなく、「散策以上・本格登山未満」という負荷感です。

山城Wレベル:W3 ★★★
城域を歩くほどに、石垣や枡形、城割の痕跡が連続して現れ、場の情報量が増えていきます。海風と静けさの中で遺構を辿っていくと、出来事の重さが「説明なしでも」残るタイプの場所だと感じます。余韻が大きい構成であることから、山城WレベルはW3(★★★)としました。

主なルート

  • 駐車場 → 本丸大手門付近 → 本丸・二ノ丸周辺を周回

累積標高差と所要時間
累積標高差:未計測 / 所要時間:1〜2時間(城域を一周するイメージ)

原城は、歩いて徐々に切り替わるというより、入口から海風と地形、石垣の情報量で意識が早い段階で切り替わるタイプです。その意味で、初動分岐型に近い印象でした。

アクセス・駐車場

  • 駐車場:原城跡周辺に来訪者用駐車場あり(城域内は駐車不可・送迎バス運行があるため、現地最新情報を要確認)。
  • アクセス:南島原市深江町・有家町方面から車でアプローチし、案内板に従って原城跡へ。公共交通利用の場合は、島原鉄道沿線の駅・バス停から路線バス等を乗り継ぐ形になります。

※交通ダイヤ・送迎バスの運行状況は、必ず南島原市や観光協会などの最新情報をご確認ください。

現地レポート|ルートと見どころ

原城跡入口付近の様子

なかなか訪れる機会がないが、島原にある超有名な廃城といえば、この「原城」。島原の乱の舞台として、あまりにも有名です。

実のところ、登城するまでは「重税に苦しんだ農民3万人が一揆を起こし、4か月間籠城した」という程度のイメージしか持っていなかった。だから、勝手に「古い砦を改修しただけの小さな城」くらいに考えておりました。

三国志で言えば、敗走の果てに関羽が立て籠もったあの「麦城」みたいなものだろう、と。まさに廃城。ところが、実際に現地に立ってみて驚いたのでした。

本丸大手門付近

本丸大手門付近の石垣
原城跡の空堀の様子
空堀
山城Q
山城Q

イメージが覆いました

大手付近の石垣のクローズアップ

この場所は、大手の手前になります。大きな岩石によって石垣が作られています。本格的です。ちなみに、この石垣の作り方が謎です。奥と手前は明らかに作り方が違う。積み直した??

石垣と通路の様子
本丸大手門周辺の景観

ま~城割具合が凄いですね。土の高さまであったはずです。

削られた土塁跡の様子

本丸大手門の内側

山城Q
山城Q

ここがみどころですよ

本丸大手門内側の枡形空間

この大手門のところは、しっかりとした枡形が形成されています。城門の礎石もあるので、だいたい想像ができますね。

主郭手前の門跡と石垣

主郭手前の門。ここにも折れがあります。この辺りでは、これほどの仕組みは珍しいのではないでしょうか。原城は、どうしてこうも本格的な近世城郭なんでしょうか。

本丸を覆う石垣群

本丸を取り囲む石垣
本丸石垣の別アングル

城割後の石垣がまとめられている

城割で崩された石材の集積
石材が並べられた区画

至るところに、城壁の石が並べられています。城割の残骸なのでしょう。これらは、その後の発掘調査などで出土したものが、まとめられているのだと思います。

いろんな石垣の組み方

石垣の積み方の違いが分かる部分
谷積みが見られる石垣

谷積みもあります。後世の改変でしょうか。ちょっと分かりません。

原城跡内の石垣と斜面

この城の概要

原城は、肥前国南島原のシラス台地上に築かれた近世城郭で、有馬氏の拠点を経て、江戸初期には「島原の乱」の舞台となったことで知られています。

廃城後は徹底した城割を受けましたが、現在も本丸・二ノ丸・空堀・石垣・城門跡などの構造が確認され、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されています。

出典・参照元:現地説明板、南島原市公式資料、文化財指定関連資料、世界文化遺産関連公的情報 など

地形・地質のポイント

阿蘇NO.4火砕流はここまでやってきた

山城Q
山城Q

ここがみどころですよ

原城跡の斜面と海の景色

原城跡は、島原半島世界ジオパークにも含まれております。どのような地質なのかと申しますと

原城周辺の地質図
引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日) より山城渡りQが加筆・修正したものである (スマホで拡大可能)

原城が築かれている場所は、地質図でピンク色で示される 火砕流堆積物(シラス台地) の区画にあたります。島原半島の中でも、こうした台地の縁に城郭がまとまって残るのは特徴的です。

このシラス台地を形成した火砕流は、島原ではなく阿蘇火山に由来すると説明されています。具体的には、九州一帯に巨大な火砕流を広げた 阿蘇 No.4 火砕流(約9万年前) の堆積物が、原城周辺の地形の基盤になっています。

島原の城郭でありながら、地形のルーツは阿蘇にあるという点が、原城の立地特性を理解するうえでのポイントです。

阿蘇4火砕流堆積物の分布図
引用例:星住英夫・宝田晋治・宮縁育夫・宮城磯治・山崎 雅・金田泰明・下司信夫 (2023) 阿蘇カルデラ阿蘇 4 火砕流堆積物分布図.大規模火砕流分布図, no. 3. 産総研地質調査総合センター. を山城Qが追記

そのインパクトは大きいです。「島原大変肥後迷惑」の逆パターンですね。

火砕流堆積物と別の地層の境目

実際の境目が、ここに当たります。

原城跡周辺の崖の様子

かつての砂浜と「天草四郎・海渡り」の背景

江戸時代の記録によると、原城周辺の海岸には広い砂浜が存在していたとされ、古地図にもその様子が描かれています。現在は水位の変化などで砂浜はほぼ消失していますが、かつては干満差によって砂洲が現れる地形だったようです。

古地図に描かれた原城周辺の海岸 天草四郎

天草四郎の「海を歩いた」という伝承についても、この地形と結びつけて語られることがあります。

潮の条件が整うと砂洲が一時的に浮かび上がり、浅瀬が広がることがあるため、この現象が後世に「海を渡った」と語られた可能性が指摘されています。

この山城の魅力|3つのポイント

体験価値(ウェルネス)
静けさと海風に包まれた原城跡を歩くと、足元のシラスや荒々しい地形が、意識を現場に引き戻してくれます。城域を淡々と辿る行為そのものが、歴史と自然の情報量をゆっくり受け取る時間になります。

遺構の固有性
石垣・虎口・土塁は近世城郭の顔をもちつつ、徹底した城割の痕跡も各所に残り、遺構の一つひとつに緊張感があります。城としての完成度と、崩された「後」の姿が同居している点が、原城ならではの特徴です。

景観・地形の固有性
シラス台地の縁に築かれ、海へ落ちる段丘崖がそのまま天然の防御線になります。地形そのものが城の輪郭を決めており、石垣と崖線、海岸線が一体で見える景観が強い印象を残します。

周辺観光・温泉(地域共鳴)

周辺温泉

原城温泉 真砂
原城跡から車で約5〜10分と近い日帰り温泉です。露天風呂から有明海を見渡すロケーションが特徴で、歩いたあとに体を休めやすい距離感にあります。営業情報や休館日は変更される場合があるため、最新情報は公式案内をご確認ください。

周辺で立ち寄りたい歴史スポット

有馬キリシタン遺産記念館
原城跡と同じく、「島原・天草一帯のキリシタン史」を理解するうえで欠かせない資料館です。

島原の乱に至るまでの背景を整理してから原城跡を歩くと、遺構の見え方が変わります。原城が「どの部分に手が入っているのか」「どの部分が削られているのか」も含めて、現地で確認しやすくなります。

免責

本記事は、現地での観察メモをもとに整理し、筆者なりの解釈を加えた記録です。史実の正確性を保証するものではありません。また、整備状況・所要時間・交通手段・施設情報等は変更される可能性がありますので、訪問の際は必ず最新情報をご確認ください。

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