栃木

黒羽城(栃木県大田原市)|松尾芭蕉すら脱け出せぬ切岸群

山城ACTレベル:中級 ★★☆
山城Wレベル:W2 ★★☆

黒羽城址公園の土塁と空堀周辺の風景

東北の大震災ボランティアに向かう途中、大田原市を通ったので黒羽城に立ち寄りました。その際にふと湧いてきた疑問をきっかけに、「関東の土の城」と那須野ヶ原の地形・地質について少し考察しています。

この山城の魅力|3つのポイント

① 体験価値(ウェルネス)
土塁や空堀のスケールを間近で感じながら歩くことで、身体は軽い運動、頭は「縄張りパズル」に集中できる時間になります。城内を巡るうちに、土の壁や堀の高低差が次々と現れ、自然と足が前に出る“探検ウォーク”を楽しめます。

② 遺構の固有性
深く鋭い空堀と高い切岸が連続し、関東の「土の城」の迫力を気軽に体験できる構造です。本丸・馬出郭・三の丸周辺では、空堀の底を歩きながら土塁を見上げる立体的な鑑賞ができる点が特徴です。

③ 景観・地形の固有性
那珂川沿いの段丘縁に築かれた城で、台地の縁に刻まれた空堀が自然地形と一体となった防御線になっています。周囲の緩やかな田園風景と、城内のシャープな土木構造のコントラストが印象に残ります。

現地レポート|ルートと見どころ

黒羽城址公園入口付近の案内板
黒羽城本丸付近の土塁の様子

駐車場から本丸を通り三の丸方面へ

黒羽城の土塁と遊歩道

基本的にアクセスはしやすいです。いきなり、この土塁の高さ。

黒羽城の空堀を見下ろす様子

空堀を見ていますが、深く、横矢掛かりのようにも見えます。

黒羽城の升形虎口周辺

すると、再び升形が現れます。すごい守りが堅い。

黒羽城の高い切岸
黒羽城の急な斜面と空堀

高さ10mはあるでしょうか。切り立っています。

黒羽城の深い空堀

そして、この空堀。どこもかしこも、空堀が深く切岸も高い。さすが関東の土の城って感じです。

本丸から馬出郭を経て

黒羽城本丸周辺の様子

三の丸 芭蕉の館

黒羽城三の丸にある芭蕉の館の門

本丸から馬出郭を越えて進むと、突然、石垣と地下通路に差し掛かります。しかし、これは新しい気がします。この門は、三の丸にある「芭蕉の館」。

このような銅像もあります。14日間も滞在したとか。

山城Q
山城Q

ちょっと、期間が長いですね

この松尾芭蕉という人

管理者の記憶では、石川県の小松市にも松尾芭蕉は来ていて、二回も小松に来たと聞いたことがあります。理由は、すごく俗っぽい内容でしたが。

この黒羽城で14日間も何をしていたのでしょうか。徳川の隠密だった松尾芭蕉(妄想)。徳川家康の指示で大規模改修がされた黒羽城。これはもう。。。

山城Q
山城Q

怪しいとしか言いようがない

空堀に降りてみる

黒羽城の空堀に降りる遊歩道
黒羽城の深い空堀内部

その先もどんどん進む。この空堀の高さ。

黒羽城の水堀周辺の様子

水堀に降りてみる。

黒羽城の堀と土塁のコントラスト

八王子の滝山城もすごいが、関東の城って本当にスゴイ。堀は深いし、高い。西日本で、太刀打ちできるのは、もはや南九州型城郭ぐらいでしょうか。

黒羽城の空堀内部を歩く様子

空堀の内部を歩いてみる。その造り込みの高さに気が付く。

黒羽城の大きな空堀と土塁

小田原の小峯御鐘ノ台大堀切かと見間違うほどです。こんなに簡単にアクセスできるのは最高。

黒羽城の空堀にかかる架橋
黒羽城の架橋を下から見上げた様子

架橋を下から見てみる。当時、このような橋があったかどうかは不明ですが、なければ、隣に渡ることも困難なほど、横幅が広いです。

黒羽城の切り立った土の壁

この壁を登ることは不可能ですね。

アクセス・駐車場

車の場合
東北自動車道「西那須野塩原IC」または「那須IC」から大田原市方面へ向かい、黒羽地区の市街地を経由して「黒羽城址公園」周辺の案内に従います。城址公園周辺に普通車向けの無料駐車場があります。

公共交通機関の場合
JR東北本線「西那須野駅」または「那須塩原駅」から、大田原市営バス・路線バスを利用し、「黒羽」方面のバス停で下車後、徒歩圏内で城址公園にアクセスできます。

この城の概要

黒羽城は、那須氏の重臣・大関高増が天正4年(1576年)に築いたとされる城で、その後も大関氏の居城として整備されました。

江戸時代には黒羽藩1万8千石の政庁として用いられ、中世山城がそのまま近世の陣屋機能を担った、やや珍しいタイプの城跡です。また元禄2年(1689年)には、松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅の途中で城下町に14日間滞在したことでも知られています。

山城ACTレベルと山城Wレベル

山城ACTレベル:中級 ★★☆
駐車場からの比高は大きくありませんが、本丸・馬出郭・三の丸を行き来するたびに堀底との昇り降りが続きます。深い空堀や土の階段で軽く息が上がる場面もあるため、「散歩」よりはライトな山城ハイクという印象です。一般的な体力があれば問題なく歩けますが、雨上がりは滑りやすい箇所があるので、ゆっくりペースがおすすめです。

山城Wレベル:W2 ★★☆
深い空堀の底を歩き、高い切岸を見上げる動きが続くことで、土の城の立体感に自然と集中できます。本丸から三の丸、芭蕉の館へと進むうちに、那須野ヶ原の地形や黒羽藩・芭蕉のエピソードが重なり、「歴史×地形×文化」を一度に味わえるフィールドです。アクセスしやすく行程も無理がないことから、W2(★★☆)の“じっくり型”山城ウェルネスと位置づけられます。

主なルート
・城址公園駐車場 → 本丸 → 馬出郭 → 三の丸(芭蕉の館) → 空堀内部を一周 → 駐車場(見学を含めて約1〜1.5時間)

累積標高差と所要時間
累積標高差:約80〜100m / 所要時間:約1〜1.5時間(空堀内部まで含めた場合)

地形の特徴
那珂川沿いの段丘縁に築かれた平山城タイプで、台地の縁を深い空堀で刻み込み、その内側に本丸・馬出郭・三の丸などの郭を段状に並べた構成です。自然地形の縁と人工的な堀・切岸が一体になった「土の要害」としての性格がよく表れています。

地形・地質のポイント

さて、疑問があります

それは、

山城Q
山城Q

なぜ、石垣がないのだろう??

案内看板によれば、徳川家康の指示で対上杉用に城を大規模改修。その後、明治時代までの長きに藩は続いたとありました。と、なれば、水堀を備えて、石垣でガチガチで固める傾向があります。

でも、石垣はないし、水堀らしい水堀もない。そこで、少し地質を調べると、非常に興味深いことが分かったため、ちょっと考察してみました。

地質から 水はけが良すぎるのも考え物

黒羽城周辺の地質図(加筆入り)
引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日) より山城渡りQが加筆・修正したもの(スマホで拡大可能)

ここ黒羽城の地質図を見ていて、気が付いたことがあります。非常に特徴的な岩質の際にあることが分かります。

那須野ヶ原周辺の地質と那珂川の位置関係
引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日) より山城渡りQが加筆・修正したもの(スマホで拡大可能)

黒羽城の東方は砂岩層(黄色)、西側には周辺と色調の異なる黄緑色の帯が広がっています。ここが、那珂川と箒川に挟まれた広大な扇状地「那須野ヶ原」です。

山城Q
山城Q

那須野ケ原

約四万ヘクタールの広大な複合扇状地・堆積地で、大小の砂利からなる砂礫層が分厚く堆積しています。降った雨や山地から流れ出た川の水がすぐに地下に浸透するため、水はけがものすごく良い(良すぎる)土地柄だとされています。

那須連山と那須塩原温泉・那須野ヶ原の位置図
引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日) より山城渡りQが加筆・修正したもの(スマホで拡大可能)

那須塩原温泉があるということは、背後に火山があります。約30万年前に起こったとされる大規模噴火に伴い、火砕流が那須野ヶ原に流れ出し、現在の地形と地質の土台をつくったとのこと。水はけの良さと火砕流堆積物という条件が重なり、江戸時代までは不毛の台地として扱われてきた歴史もあるようです。

黒羽藩の石高は1万8千石。石垣を組むには財政的にも立地的にも厳しく、砂礫層と砂岩層の組み合わせでは十分な石材の調達も難しかったのではないか――。

そう考えると、黒羽城では石垣に頼らず、土による技巧的な縄張りを極めた結果、現在見られるような空堀と切岸の迫力につながったのかもしれません。

周辺観光・温泉(地域共鳴)

温泉:那須湯本温泉・那須塩原温泉

黒羽から少し足を伸ばすと、那須連山の山麓に歴史ある温泉地が点在しており、城歩きと組み合わせた「温泉ウェルネス」が楽しめます。

  • 那須湯本温泉(那須温泉)
  • 泉質:単純硫黄泉・硫黄泉など
  • 一般的適応症(例):神経痛・関節痛・慢性皮膚病・慢性婦人病 など(温泉法に基づく代表的記載)
  • 素朴な共同浴場から旅館の日帰り入浴まで選択肢があり、静かな湯治場の雰囲気を味わいやすいエリアです。
  • 那須塩原温泉郷
  • 泉質:単純温泉・塩化物泉・硫酸塩泉など、施設により異なります。
  • 那珂川水系の渓谷沿いに温泉が点在し、露天風呂から渓谷美を楽しめる施設もあります。

歴史・文化スポット

黒羽芭蕉の館
黒羽城下で14日間滞在した松尾芭蕉ゆかりの資料館で、「おくのほそ道」と黒羽の関わりを知ることができます。

大雄寺(だいおうじ)
黒羽藩主・大関氏の菩提寺で、黒羽城とセットで訪ねると藩の歴史が立体的に見えてきます。

まとめ

黒羽城は、関東らしい土の城の迫力を、比較的やさしい行程で体感できる山城です。深い空堀と高い切岸がつくる立体構造は、歩くことでこそ実感できる見どころ。

松尾芭蕉ゆかりの城下町と、那須野ヶ原の地形・歴史が重なることで、「山城ウェルネス」を感じやすいフィールドとなっています。まずは本丸周辺を巡り、時間に余裕があれば空堀へも足を伸ばしてみるのがおすすめです。

免責

本記事は公開資料・現地看板・一般的な地形地質情報および筆者の体験に基づくもので、歴史・地質・効果を断定するものではありません。登城・観光の際は最新の交通・気象情報および現地案内を必ず確認してください。

コメント

  1. alchemist より:

    おおお、ブラタモリより詳しい土地紹介ですね。あの番組が終わるそうなので、頑張って下さい。ただ、関東の城では石垣より土塁が普通のようですし、傾斜角度によっては関東ローム層のツルツルの壁面を登るのは大変みたいですね。
    なお、城主になるには3万石以上というのは無理筋です。訪問された苗木城や、訪問されてない海城の田原城、いずれも3万石をはるかに下回りますが、城主です。江戸時代が始まった時に城があった所の領主になれば城主、でなければ御三家の連枝の西条藩主でも城主以下ということになります。幕府は大名コントロール手段として、官位、石高、国主城主領主、江戸城での詰席、などなどと細かい、なおかつ相互矛盾するようなルールを作ってました。もともとの城ではない場所でも藩主に功績があれば、城主に認定してました。出羽松山城主になった酒井氏は2万5千石でした。
    京都あたりでは、もともと城主だった小出氏が園部に移されてお城がないので築城したいと何度も願っても許可されず、明治政府の許可を得て築城したという話もあります。