山城ACTレベル:中級 ★★☆
山城Wレベル:W2 ★★☆

東北の大震災ボランティアに向かう途中、大田原市を通ったので黒羽城に立ち寄りました。その際にふと湧いてきた疑問をきっかけに、「関東の土の城」と那須野ヶ原の地形・地質について少し考察しています。
山城ウェルネス
山城ACTレベル:中級 ★★☆
駐車場からの比高は大きくありませんが、本丸・馬出郭・三の丸を行き来するたびに、堀底との上り下りが続きます。深い空堀や土の階段で軽く息が上がる場面もあるため、「散歩」よりはライトな山城ハイクという印象です。雨上がりは滑りやすい箇所があるので、ゆっくりペースが安心です。
山城Wレベル:W2 ★★☆
深い空堀の底を歩き、高い切岸を見上げる動きが続くことで、土の城の立体感に自然と集中できます。本丸から三の丸(芭蕉の館)へと進むうちに、地形と城下の空気が重なり、散策のテンポが少しずつ切り替わっていきます。アクセスしやすく無理のない行程で、じっくり味わえるW2(★★☆)のフィールドです。
主なルート
・城址公園駐車場 → 本丸 → 馬出郭 → 三の丸(芭蕉の館) → 空堀内部を一周 → 駐車場(見学を含めて約1〜1.5時間)
累積標高差と所要時間
累積標高差:未計測 / 所要時間:約1〜1.5時間(空堀内部まで含めた場合)
地形の特徴
那珂川沿いの段丘縁に築かれた平山城タイプで、台地の縁を深い空堀で刻み込み、その内側に本丸・馬出郭・三の丸などの郭を段状に並べた構成です。自然地形の縁と人工的な堀・切岸が一体になった「土の要害」としての性格がよく表れています。
アクセス・駐車場
車の場合
東北自動車道「西那須野塩原IC」または「那須IC」から大田原市方面へ向かい、黒羽地区の市街地を経由して「黒羽城址公園」周辺の案内に従います。城址公園周辺に普通車向けの無料駐車場があります。
公共交通機関の場合
JR東北本線「西那須野駅」または「那須塩原駅」から、大田原市営バス・路線バスを利用し、「黒羽」方面のバス停で下車後、徒歩圏内で城址公園にアクセスできます。
現地レポート|ルートと見どころ


駐車場から本丸を通り三の丸方面へ

基本的にアクセスはしやすいです。いきなり、この土塁の高さ。

空堀を見ていますが、深く、横矢掛かりのようにも見えます。

すると、再び升形が現れます。すごい守りが堅い。


高さ10mはあるでしょうか。切り立っています。

そして、この空堀。どこもかしこも、空堀が深く切岸も高い。さすが関東の土の城って感じです。
本丸から馬出郭を経て

三の丸 芭蕉の館

本丸から馬出郭を越えて進むと、突然、石垣と地下通路に差し掛かります。ただ、ここは新しい印象もあります。この門は、三の丸にある「芭蕉の館」。
このような銅像もあります。14日間も滞在したとか。

ちょっと、期間が長いですね
この松尾芭蕉という人
管理者の記憶では、石川県の小松市にも松尾芭蕉は来ていて、二回も小松に来たと聞いたことがあります。理由は、すごく俗っぽい内容でしたが。
この黒羽城で14日間も何をしていたのでしょうか。城下に滞在して、見聞を広げ、次の旅程を整えていたのかもしれません。想像がふくらみます。

怪しいとしか言いようがない
空堀に降りてみる


その先もどんどん進む。この空堀の高さ。

水堀に降りてみる。

八王子の滝山城もすごいが、関東の城って本当にスゴイ。堀は深いし、高い。西日本で、太刀打ちできるのは、もはや南九州型城郭ぐらいでしょうか。

空堀の内部を歩いてみる。その造り込みの高さに気が付く。

小田原の小峯御鐘ノ台大堀切かと見間違うほどです。こんなに簡単にアクセスできるのは最高。


架橋を下から見てみる。当時このような橋があったかどうかは不明ですが、なければ隣に渡ることも困難なほど、横幅が広いです。

この壁を登ることは不可能ですね。
この城の概要
黒羽城は、栃木県大田原市黒羽に位置する平山城で、那須氏の重臣・大関高増が天正4年(1576年)頃に築いたとされ、その後も大関氏の居城として機能しました。
那珂川沿いの段丘縁に築かれ、深い空堀と高い切岸・土塁を連続させた「関東の土の城」の典型で、石垣をほとんど用いず土木構造で防御を固めた点が特徴です。
江戸時代には黒羽藩1万8千石の政庁となり、元禄2年(1689年)に松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅で城下に14日間滞在した史跡としても知られ、現在は黒羽城址公園として整備され、散策しやすい史跡となっています。
地形・地質のポイント
さて、疑問があります
それは、

なぜ、石垣がないのだろう??
案内看板には、対上杉を意識した改修の話や、城下が長く続いた経緯などが紹介されていました。一般に、近世の要地だと水堀や石垣を連想しがちです。
でも、ここは石垣が前面に出ていないし、水堀も「水の城」という印象ではない。そこで、周辺の地質を眺めてみると、なるほどと思える要素が見えてきたため、メモとして考察してみました。
地質から 水はけが良すぎるのも考え物

ここ黒羽城の地質図を見ていて、気が付いたことがあります。周辺と色調の異なる帯があり、地形の成り立ちがかなり特徴的に見えます。

黒羽城の東方は砂岩層(黄色)、西側には周辺と色調の異なる黄緑色の帯が広がっています。ここが、那珂川と箒川に挟まれた広大な扇状地「那須野ヶ原」です。

那須野ケ原
約四万ヘクタールの広大な複合扇状地・堆積地で、砂利を含む砂礫層が分厚く堆積しています。雨や山地から流れ出た水が地下に浸透しやすく、水はけが非常に良い土地柄だとされています。

那須塩原温泉があるということは、背後に火山があります。約30万年前に起こったとされる大規模噴火に伴い、火砕流が那須野ヶ原に流れ出し、現在の地形と地質の土台をつくったとのこと。水はけの良さと火砕流堆積物という条件が重なり、江戸時代までは不毛の台地として扱われてきた歴史もあるようです。
黒羽藩の石高は1万8千石。石垣を組むには財政面の制約も想像されますし、周辺の地質条件や石材の入手経路によっては、石に頼らない選択が合理的だった可能性もあります。
そう考えると、黒羽城では石垣に頼らず、土による技巧的な縄張りを突き詰めた結果として、現在見られるような空堀と切岸の迫力につながったのかもしれません。
この山城の魅力|3つのポイント
① 体験価値(ウェルネス)
土塁や空堀のスケールを間近で感じながら歩くことで、身体は軽い運動、頭は「縄張りパズル」に集中できる時間になります。城内を巡るうちに、土の壁や堀の高低差が次々と現れ、自然と足が前に出る“探検ウォーク”を楽しめます。
② 遺構の固有性
深く鋭い空堀と高い切岸が連続し、関東の「土の城」の迫力を気軽に体験できる構造です。本丸・馬出郭・三の丸周辺では、空堀の底を歩きながら土塁を見上げる立体的な鑑賞ができる点が特徴です。
③ 景観・地形の固有性
那珂川沿いの段丘縁に築かれた城で、台地の縁に刻まれた空堀が自然地形と一体となった防御線になっています。周囲の緩やかな田園風景と、城内のシャープな土木構造のコントラストが印象に残ります。
周辺観光・温泉(地域共鳴)
温泉:那須湯本温泉・那須塩原温泉
黒羽から少し足を伸ばすと、那須連山の山麓に歴史ある温泉地が点在しています。城歩きのあとに、移動と休憩を兼ねて立ち寄る先として選びやすいエリアです。
- 那須湯本温泉(那須温泉)
素朴な共同浴場から旅館の日帰り入浴まで選択肢があり、湯治場の雰囲気を味わいやすいエリアです。 - 那須塩原温泉郷
那珂川水系の渓谷沿いに温泉が点在し、季節によっては景色とあわせて楽しめる施設もあります。
歴史・文化スポット
黒羽芭蕉の館
黒羽城下で滞在した松尾芭蕉ゆかりの資料館で、「おくのほそ道」と黒羽の関わりを知ることができます。
大雄寺(だいおうじ)
黒羽藩主・大関氏の菩提寺で、黒羽城とセットで訪ねると藩の歴史が立体的に見えてきます。
免責
本記事は公開資料・現地看板・一般的な地形地質情報および筆者の体験に基づくもので、歴史・地質・効果を断定するものではありません。登城・観光の際は最新の交通・気象情報および現地案内を必ず確認してください。







コメント
おおお、ブラタモリより詳しい土地紹介ですね。あの番組が終わるそうなので、頑張って下さい。ただ、関東の城では石垣より土塁が普通のようですし、傾斜角度によっては関東ローム層のツルツルの壁面を登るのは大変みたいですね。
なお、城主になるには3万石以上というのは無理筋です。訪問された苗木城や、訪問されてない海城の田原城、いずれも3万石をはるかに下回りますが、城主です。江戸時代が始まった時に城があった所の領主になれば城主、でなければ御三家の連枝の西条藩主でも城主以下ということになります。幕府は大名コントロール手段として、官位、石高、国主城主領主、江戸城での詰席、などなどと細かい、なおかつ相互矛盾するようなルールを作ってました。もともとの城ではない場所でも藩主に功績があれば、城主に認定してました。出羽松山城主になった酒井氏は2万5千石でした。
京都あたりでは、もともと城主だった小出氏が園部に移されてお城がないので築城したいと何度も願っても許可されず、明治政府の許可を得て築城したという話もあります。