山梨

岩殿山城(山梨県大月市)|巨岩・鏡岩と太平洋プレート

山城ACTレベル:中級 ★★☆
山城Wレベル:W2 ★★☆

山城ウェルネス

山城ACTレベル:中級 ★★☆
登り始めから急坂が続き、鏡岩直下は岩場も多く、足元に注意が必要です。距離は短めですが、上りの負荷ははっきりあります。全体として軽登山寄りの内容のため、中級としました。

山城Wレベル:W2 ★★☆
鏡岩の迫力、尾根上の曲輪群、開ける盆地景観と、場面の切り替わりが早い山城です。岩と谷が近くに迫り、歩くほどに没入が深まりやすい構成でした。下山後も印象が残りやすく、W2としました。

主なルート
丸山公園 → 鏡岩直下 → 揚城戸岩 → 三の丸 → 本丸(往復約1〜1.5時間)

累積標高差と所要時間
累積標高差:未計測/ 所要時間:往復約1〜1.5時間

アクセス・駐車場

中央自動車道「大月IC」から車で約10分
山頂近くに無料駐車場あり

現地レポート|ルートと見どころ

岩殿山登山口付近の道路と案内板の写真

登城道は道路の途中にあり、その場での車の停車は厳しいです。手前の駐車場から、10分ほど歩くことになります。

丸山公園入口付近の階段と案内板の写真
山城Q
山城Q

それにしても、高い
これは、士気を削ぎます

丸山公園から見上げる鏡岩の写真

丸山公園

丸山公園内の遊歩道とベンチの写真
丸山公園から眺める岩殿山方向の写真

大岩 鏡岩を見上げながら

登城道から見上げる鏡岩の近景写真

鏡岩を観ながら、登城道を進みます。

登城道途中から見下ろす大月市街の写真

気が付けば、かなり上まで上がってきました。

眺望

登城道途中から眺める大月盆地の写真

このあたりから、一気に雰囲気が変わり、いよいよ内部という感じです。高いですね~。

鏡岩の礫岩の岩肌を近くから撮影した写真

この岩肌を見ると、遠くからはツルツルした感じに見えましたが、これは「礫岩」です。

鏡岩の礫岩の粒を強調したクローズアップ写真

(中間分岐点)鉄壁の守り「揚城戸跡」

揚城戸岩の天然の岩門と登城道の写真
揚城戸跡

だいぶ息も上がってきたころに、ここ揚城戸跡に到着します。

揚城戸岩周辺の縄張図の図版
出典:山 梨 県 大 月 市 岩殿 山総合学術調査報告書 岩殿山の総合研究 1998 山梨県大月市教育委員会 P17より抜粋、加筆

この「揚城戸」は、天然の扉のように見えます。ここを塞がれると侵入は難しいです。「揚げる」とあるので、上に跳ね上がるタイプの城門だったのでしょうか。

揚城戸岩を通り抜ける登城道の様子を写した写真
揚城戸岩の断面構造を示した模式図
出典:山 梨 県 大 月 市 岩殿 山総合学術調査報告書 岩殿山の総合研究 1998 山梨県大月市教育委員会 P17より抜粋、加筆

その裏には番所といくつもの小曲輪があり、防備を固めています。ここを抜けたとしても細い尾根道を進まされるため、正面の三の丸から攻撃にさらされます。突破は厳しい。

山城Q
山城Q

これは、難攻不落

三の丸 乃木大将の碑

三の丸に建つ乃木大将の碑の写真

揚城戸岩の難所を抜けると三の丸へ。ここには、乃木希典大将の碑があります。

乃木希典の肖像写真

乃木希典(のぎ まれすけ)は、日本の陸軍軍人。日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、明治天皇を慕い、あとを追って殉死したことでも知られる。最終階級は陸軍大将。栄典は贈正二位勲一等功一級伯爵。明治天皇より第10代学習院長に任じられ、迪宮裕仁親王の教育係も務めた。~Wikipedia~

山城Q
山城Q

昔の将軍は、ホント、山城が大好きですね

確か、あの東郷平八郎も「山梨県の要害山城」「佐賀の名護屋城」に登り、碑を残しています。

馬場

岩殿山城の馬場跡の平坦地を写した写真

馬場らしい馬場です。下からの風景とは打って変わって、広いです。

二つの井戸

岩殿山城内に残る二つの井戸跡の写真

井戸も二つあります。かなり大規模です。地盤が岩の一枚岩のような場所でも、水を確保できたのでしょう。

眺望

本丸付近から大月市街を望む眺望写真

この城の概要

岩殿山城は、武田氏が大月の交通要衝を押さえるために整備した山城です。

武田勝頼の入城拒否事件で知られ、武田滅亡の象徴的舞台ともなりました。現在は史跡として整備され、登城と歴史を体感できる城跡です。

地形・地質のポイント

大月市街と岩殿山周辺を遠望した写真

どうもこの城は、鏡岩の上にちょこっとあるわけではなく、

岩殿山城周辺の地形図の図版
引用元:国土地理院ウェブサイト(当該ページ)を当ブログ管理者Qさんが加筆修正したものである(スマホで拡大可能) 

その奥に本体があるようです。鏡岩を観しながら登ることになりますね。

岩殿山周辺の地質区分を示した図版
引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日) より山城渡りQが加筆・修正したものである (スマホで拡大可能)

ではなぜ、このような大岩となって礫が露出したのかというと、話は複雑です。

鏡岩の岩肌を間近から撮影した写真

つまり、

岩殿山礫岩層の断面構造を示した図版
出典:山 梨 県 大 月 市 岩殿 山総合学術調査報告書 岩殿山の総合研究 1998 山梨県大月市教育委員会 P162より抜粋

関東有数の複雑な地質構造をもつ地域のひとつで、1500万年前後にずっと南方で海底火山によって形作られた、という流れになるようです。

丹沢島と関東山地の衝突による岩殿山の成り立ちを示した模式図
出典:山 梨 県 大 月 市 岩殿 山総合学術調査報告書 岩殿山の総合研究 1998 山梨県大月市教育委員会 P162より抜粋

「丹沢島」という島が次第に北上し、結果的に古い日本列島の関東山地との間に厚い礫岩層を形成。

その後、関東山地と丹沢島がぶつかり合い、プレートの流れに乗って隆起し、出来たのが「岩殿山」だということだそうです。

特に岩殿山は、中腹から山頂部にかけて、今から500万~600万年前に浅海に堆積した円い礫と、小さな石英粒の多い砂とからなる「岩殿山礫岩層」から構成されているとのこと(かなり簡単に説明しています)。

参考文献:
山梨県大月市 岩殿 山総合学術調査報告書 岩殿山の総合研究 1998 山梨県大月市教育委員会

山城Q
山城Q

説明が難しいので、簡単に

この山城の魅力|3つのポイント

① 体験価値(ウェルネス)
鏡岩を見上げながら進む登城路は、自然と背筋が伸び、意識が「地形を読むモード」へ切り替わっていきます。登り切った先で大月盆地が開ける瞬間は、緊張がほどけるように感じました。

② 遺構の固有性
揚城戸岩をはじめ、巨岩そのものが防御線になる構造は圧巻です。「岩を活かす」というより、「岩が城を成す」と思える稀有な山城でした。

③ 景観・地形の固有性
礫岩層の垂直岩壁と、開放的な盆地景観の対比が鮮烈です。足元の岩の迫力と、遠景の広がりが同時に入ってくる体感が、この城の大きな魅力です。

周辺観光・温泉(地域共鳴)

■ 温泉:より道の湯(大月市)
岩殿山城から車でアクセスしやすく、登城後に立ち寄りやすい日帰り温泉施設です。山歩きでほどよく使った身体をゆるめながら、静かに呼吸と感覚を整える時間が持てます。

・泉質:ナトリウム・カルシウム-硫酸塩泉(低張性・アルカリ性・低温泉)
・一般的適応症(例):神経痛・筋肉痛・関節痛・冷え性・疲労回復など(温泉法に基づく代表的記載)
※泉質・適応症は各施設の公式表示をご確認ください。

観光地化されすぎていない落ち着いた雰囲気の中で、「岩の城」と「湯」の余韻をゆっくり味わえるのも、このエリアならではの魅力です。
※泉質・適応症の詳細は各施設の公式案内をご確認ください。

少し足を伸ばして、「景徳院」

岩殿山城から車で足を延ばすと、武田勝頼の菩提寺として知られる景徳院があります。
静かな境内には勝頼公の墓所があり、岩殿山城と武田氏終焉の歴史を重ねて感じられる場所です。

登城で高まった感覚を、静かな空間でゆっくり鎮めながら、「山城の記憶」を内側に落とし込む時間として立ち寄るのに向くスポットです。

山城Q
山城Q

ここで武田家は滅亡したのですね

近くに、武田勝頼一族終焉の地があります。特にこの岩は「生害石」というそうで、この上で自刃したと伝わります。勝頼と奥方、息子の信勝、それぞれの石があります。合掌。

免責

本記事は、現地での観察メモをもとに整理し、筆者なりの解釈を加えた記録です。史実の正確性を保証するものではありません。また、整備状況・所要時間・交通手段・施設情報等は変更される可能性がありますので、訪問の際は必ず最新情報をご確認ください。

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