山梨

岩殿山城(山梨県大月市)|巨岩・鏡岩と太平洋プレート

山城ACTレベル:中級 ★★☆
山城Wレベル:W3 ★★★
武田家滅亡に深く関与した岩殿山城

鏡岩と岩殿山城方面を遠望した写真

この山城の魅力|3つのポイント

① 体験価値(ウェルネス)
鏡岩を見上げながら進む登城路は、自然と背筋を伸ばし、思考を「地形を読むモード」へ導きます。登りきった先の大月盆地の眺望が、一気に緊張を解き放ちます。

② 遺構の固有性
揚城戸岩をはじめ、巨岩そのものが防御線となる構造は圧巻。「岩を活かす」ではなく、「岩が城を成す」と感じられる稀有な山城です。

③ 景観・地形の固有性
礫岩層の垂直岩壁と開放的な盆地景観の対比が鮮烈。足元の岩と遠景の広がりが同時に迫る、体感型の地形美が魅力です。

現地レポート|ルートと見どころ

岩殿山登山口付近の道路と案内板の写真

登城道は、道路の途中にありますので、その場に車の停車も厳しいです。手前の駐車場から10分程度、歩くことになります。

丸山公園入口付近の階段と案内板の写真
山城Q
山城Q

それにしても、高い
これは、士気を削ぎます

丸山公園から見上げる鏡岩の写真

丸山公園

丸山公園内の遊歩道とベンチの写真
丸山公園から眺める岩殿山方向の写真

大岩 鏡岩を見上げながら

登城道から見上げる鏡岩の近景写真

鏡岩を観ながら、登城道を進みます。

登城道途中から見下ろす大月市街の写真

気が付けば、かなり上まで上がってきました

眺望

登城道途中から眺める大月盆地の写真

この辺りから、一気に雰囲気が変わりいよいよ内部って感じです。高いですね~。

鏡岩の礫岩の岩肌を近くから撮影した写真

この岩肌を見ると、遠くからだと、ツルツルした感じに見えましたが、これは「礫岩」です。

鏡岩の礫岩の粒を強調したクローズアップ写真

鉄壁の守り「揚城戸岩」

揚城戸岩の天然の岩門と登城道の写真
揚城戸跡
揚城戸岩周辺の縄張図の図版
出典:山 梨 県 大 月 市 岩殿 山総合学術調査報告書 岩殿山の総合研究 1998 山梨県大月市教育委員会 P17より抜粋、加筆

この「揚城戸岩」は、天然の扉ですね。ここを塞がられると、城への侵入は難しい。「揚げる」とあるので、上に跳ね上がるタイプの城門だったのでしょうか。

揚城戸岩を通り抜ける登城道の様子を写した写真
揚城戸岩の断面構造を示した模式図
出典:山 梨 県 大 月 市 岩殿 山総合学術調査報告書 岩殿山の総合研究 1998 山梨県大月市教育委員会 P17より抜粋、加筆

その裏には、番所といくつもの小曲輪があり、防備を固めています。また、ここを抜けたとしても細い尾根道を進まされるので、正面の三の丸から攻撃にさらされます。

山城Q
山城Q

これは、難攻不落

三の丸 乃木大将の碑

三の丸に建つ乃木大将の碑の写真

揚城戸岩の難所を抜けると、三の丸へ。ここには、乃木希典大将の碑があります

乃木希典の肖像写真

乃木希典(のぎ まれすけ)は、日本の陸軍軍人。日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、明治天皇を慕い、あとを追って殉死したことでも知られる。最終階級は陸軍大将。栄典は贈正二位勲一等功一級伯爵。明治天皇より第10代学習院長に任じられ、迪宮裕仁親王の教育係も務めた。~Wikipedia~

山城Q
山城Q

昔の将軍は、ホント、山城が大好きですね

確か、あの東郷平八郎も「山梨県の要害山城」「佐賀の名護屋城」に登り、碑を残しています。

東郷平八郎(とうごう へいはちろう)日本の海軍軍人。最終階級は元帥海軍大将。各地の東郷神社に名を残す。位階は従一位、勲位は大勲位、功級は功一級、爵位は侯爵。 日清戦争では「浪速」艦長として高陞号事件に対処。~Wikipedia~

馬場

岩殿山城の馬場跡の平坦地を写した写真

馬場らしい馬場です。下からの風景とは打って変わり、広い!

二つの井戸

岩殿山城内に残る二つの井戸跡の写真

井戸も二つあったりします。かなり大規模です。地盤が岩石の一枚岩などでしたら、水も十分確保できたでしょう。

眺望

本丸付近から大月市街を望む眺望写真

アクセス・駐車場

中央自動車道「大月IC」から車で約10分
山頂近くに無料駐車場あり

この城の概要

岩殿山城は、武田氏が大月の交通要衝を押さえるために整備した山城です。

武田勝頼の入城拒否事件で知られ、武田滅亡の象徴的舞台ともなりました。現在は史跡として整備され、登城と歴史を体感できる城跡です。

山城ACTレベルと山城Wレベル

山城ACTレベル ★★☆
登り始めから急坂が続き、鏡岩直下は岩場も多く足元に注意が必要です。距離は短めで、休みながら進めば中高年でも歩ける範囲です。全体として「軽登山」寄りの難度のため中級と判断しました。

山城Wレベル ★★★
鏡岩の迫力、尾根上の曲輪群、開ける盆地景観と場面の切り替わりが速い山城です。岩と谷が近くに迫り、歩くほどに没入が深まりやすい構成。下山後も印象が長く残るため W3 としました。

主なルート
丸山公園 → 鏡岩直下 → 揚城戸岩 → 三の丸 → 本丸(往復約1〜1.5時間)

累積標高差と所要時間
累積標高差:急登区間多め/ 所要時間:往復約1〜1.5時間

地形の特徴
礫岩壁・尾根・曲輪が一体化し、大岩を正面防御に組み込む独特の構造です。
礫岩の垂直岩壁と細い尾根上に曲輪や堀切が連なり、鏡岩や揚城戸岩を正面防御に組み込んだ「岩と尾根が一体になった要害構造」が特徴です。

地形・地質のポイント

大月市街と岩殿山周辺を遠望した写真

どうもこの城は、鏡岩の上にちょこっとあるわけではなく

岩殿山城周辺の地形図の図版
引用元:国土地理院ウェブサイト(当該ページ)を当ブログ管理者Qさんが加筆修正したものである(スマホで拡大可能) 

その奥に本体があるようです。鏡岩を観ながら、登ることになりますね

岩殿山周辺の地質区分を示した図版
引用元:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図V2(地質図更新日:2022年3月11日) より山城渡りQが加筆・修正したものである (スマホで拡大可能)

ではなぜ、このような大岩となって礫が露出したのかというと話は複雑。

鏡岩の岩肌を間近から撮影した写真

つまり、

岩殿山礫岩層の断面構造を示した図版
出典:山 梨 県 大 月 市 岩殿 山総合学術調査報告書 岩殿山の総合研究 1998 山梨県大月市教育委員会 P162より抜粋

関東有数の複雑な地質構造をもつ地域のひとつ。1500万年前後にずっと南方において海底火山によって形作られた

丹沢島と関東山地の衝突による岩殿山の成り立ちを示した模式図
出典:山 梨 県 大 月 市 岩殿 山総合学術調査報告書 岩殿山の総合研究 1998 山梨県大月市教育委員会 P162より抜粋

「丹沢島」という島が次第に北上し、結果的に、古い日本列島の関東山地との間に厚い礫岩層を形成。

その後、関東山地と丹沢島がぶつかり合いプレートの流れに乗って隆起。その後、出来たのが「岩殿山」だということだそうです。

特に岩殿山は、中腹から山頂部にかけて、今から500万 ~600万年前に浅海に堆積した円い礫と、小さな石英粒の多い砂 とからなる「岩殿山礫岩層」から構成されているとのこと(かなり簡単に説明しています。)

参考文献:
山梨県大月市 岩殿 山総合学術調査報告書 岩殿山の総合研究 1998 山梨県大月市教育委員会

山城Q
山城Q

説明が難しいので、簡単に

周辺観光・温泉(地域共鳴)

■ 温泉:より道の湯(大月市)
岩殿山城から車でアクセスしやすく、登城後に立ち寄りやすい日帰り温泉施設です。山歩きでほどよく使った身体をゆるめながら、静かに呼吸と感覚を整える時間が持てます。

・泉質:ナトリウム・カルシウム-硫酸塩泉(低張性・アルカリ性・低温泉)
・一般的適応症(例):神経痛・筋肉痛・関節痛・冷え性・疲労回復など(温泉法に基づく代表的記載)
※泉質・適応症は各施設の公式表示をご確認ください。

観光地化されすぎていない落ち着いた雰囲気の中で、「岩の城」と「湯」の余韻をゆっくりと味わえるのも、このエリアならではの魅力です。
※泉質・適応症の詳細は各施設の公式案内をご確認ください。

少し足を伸ばして、「景徳院」

岩殿山城から車で足を延ばすと、武田勝頼の菩提寺として知られる景徳院があります。
静かな境内には勝頼公の墓所があり、岩殿山城と武田氏終焉の歴史を重ねて感じられる場所です。

登城で高まった感覚を、静かな空間でゆっくりと鎮めながら、「山城の記憶」を内側に落とし込む時間として立ち寄るのにふさわしいスポットです。

山城Q
山城Q

ここで武田家は滅亡したのですね

近くに、武田勝頼一族終焉の地があります。特に、この岩!「生害石」というそうで、この上で自刃したとのこと勝頼と奥方と息子の信勝、それぞれの石があります。合掌

まとめ

岩殿山城は、「岩と城が融合した要害」という独自の存在感を持つ山城です。登城そのものが、地形との対話となり、歩く時間がそのまま思考の整理にもつながります。

巨大な鏡岩と揚城戸岩に囲まれながら、かつての緊張感と現代の静けさを重ね合わせる時間は、山城ウェルネスという体験の真価を実感させてくれるでしょう。

免責

本項で紹介している周辺観光・寺院・温泉施設の情報は、訪問時点や運営状況により内容が変更されている場合があります。営業時間・拝観可否・入浴料金・泉質などの詳細は、各施設の公式案内をご確認のうえご利用ください。

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